『『図書』のメディア史―「教養主義」の広報戦略』について佐藤卓己(京都大学大学院教授) |
本書の刊行で、なんだか肩の荷を下ろした気分になっている。ともかくも、岩波書店のフラッグシップ・マガジンを使って「岩波文化」通史を書いてみたわけだ。 岩波書店の創業100年企画の『物語 岩波書店百年史2 教育の時代』(岩波書店・2013年)を上梓してから、すでに2年が経過した。この「社史」企画の打診をうけたのは2008年秋だった。もう7年も前のことだ。その発端は『思想』第1000号記念号(2007年8月号)の鼎談、米谷匡史・苅部直・佐藤卓己「思想の100年をたどる①」だろう。この座談会は現在では『思想』編集部編『「思想」の軌跡―1921-2011』(岩波書店・2012年)に収められているが、このとき私は体系的な「岩波書店社史」の不在を痛感した。もちろん、公式社史として堂々たる『岩波書店五十年』(岩波書店・1963年)があり、その後も『岩波書店七十年』、『岩波書店八十年』と追補されている。しかし、これは見開きで「岩波書店刊行物」目録と「岩波書店」「出版界」「内外事情」年表を並べたデータ本で、世間一般の「社史」とニュアンスは異なる。むしろ創業者の評伝、安倍能成『岩波茂雄伝』(岩波書店・1957年)が社史的なのだが、当然ながら岩波茂雄の没した1946年で終わっている。 『『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性』(岩波書店・2002年)で「講談社文化」を論じた私としては、それと対になる「岩波文化」の研究もいずれは執筆したいと考えていた。それゆえ、渡りに舟と「100年史」企画に応じたわけだ。当時の山口昭男社長と執筆者の打ち合わせ会は2008年3月19日に交詢社ビル4階「銀座神谷 木挽庵」で行われた。そのときは黒岩比佐子さんと苅部直さんと私の三名であり、翌4月から岩波書店で定期的に「百年史の会」が催された。最初に決めた執筆分担では、「前史―1930年代まで」が黒岩さん、「1930年代―1968年まで」が私、「1968年―現在まで」が苅部さんとなっていた。その後、黒岩さんが2010年に膵臓癌でお亡くなりになり、第1巻の執筆は紅野謙介さんにバトンタッチされた。それ以後、私は「百年史」の読者として黒岩さんをいつも意識していたわけだが、その思いは苅部さんも紅野さんも同じだったはずである。 その意味では、PR誌『図書』に焦点を絞った本書も、PR会社を経てライターとなった黒岩さんにまず読んでいただきたかった一冊である。『図書』の巻頭コラム「読む人・書く人・作る人」に即して言えば、本書は「読む人」の視点で貫かれた岩波文化史である。そのため、私が『図書』の「書く人」になった2002年で叙述を終えることは予め決めていた。そのため、黒岩比佐子「村井弦斎の英文小説とマーク・トウェイン」(『図書』2009年7月号)などにも言及していない。同じように、気になりながら本書で論じきれなかったエッセイはあまりに多い。「日本の古本屋」メールマガジンということもあり、超弩級の古書好きだった黒岩さんのことをあらためて思い出している。(終)
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