レコード・ストア・エブリデイ若杉 実 |
〝クールなレコードなんてこの世にない。(中略)レコード屋に行きレコードを買うことは呼吸をすることといっしょだからだ〟 文末で著者はこう記し筆をおいている。血道をあげていた時期、毎日五、六軒を目標にレコード屋めぐりをしていたというからだ。店も盤も血肉化してしまっているというのに、それを史書としてゴールすることに最後の最後で恥じらいを覚えた、そう読みとれる。 脱稿から二ヶ月あまり、身体から離れた活字の集積をあらためて見つめ直すと、第三者としての私感をえられる。 日々五、六軒のノルマを課していた時代は、おりしもレコード(&CD)屋バブルのころ。1980年代、ブートレグ系ショップで熱気につつまれた西新宿から引導をわたされた90年代の渋谷宇田川町、通称〝レコ屋村〟には、隆興期に百軒のレコード屋があったと伝えられている。その時代をリアルタイムで体験した人間にとって、昨今のアナログレコードリバイバルと声高に唱える風潮しかり、レコード・ストア・デイ(レコード屋の祭典)しかり、そうした光景がとくべつなこととして各メディアをにぎわすようになった時勢が鼻持ちならなかったのかもしれない。 あたりまえのことが、ある日を境にとくべつなものへと変わる。これほど退屈なことがあるだろうか。だが、身近にあるたいせつなものほど人間は感謝の意を忘れるもの。ミネラルウォーターのよこに酸素ボンベが並んで販売される日を笑って想像できるのは、ひょっとしていまだけかもしれない。 そんなことなどどうでもよくて、本サイトに打ってつけともいえる章〈作家とレコ屋〉が用意されていることを伝えておきたい。登場するのは村上春樹、田中康夫、三上延、そして井上ひさし(別章)。春樹や康夫はそれとなくわかるが、デビューまえの三上が古書店でアルバイトをするよりもまえに中古レコード屋の店頭に立っていたことを知ったとき、鍵穴に鍵が差しこまれるようなおもいに駆られた。参考にしたわけではないが、『ビブリア古書堂の事件手帖』での謎解きのように起伏をつけながら譚をすすめていく構成をこころがけたからだ。 ぶ厚いだけの、まどろっこい教科書みたいなのはごめんこうむりたい。ヒストリー以上にストーリーに重きをおき、紀行文形式も随所に盛りこみ、読者自身がレコード屋めぐりをしている気分をあじわっていただけるように努めた。 今日、そんなレコード屋の経営も焦眉の急だ。取材~脱稿までの一年間で、対象となった二軒の都内老舗が廃業された。現在のにわかレコードリバイバルとて、この危局を止めることはできない。レコ屋めぐりができなくなる以前に、レコ屋という存在そのものがなくなる日がこないともかぎらない。 市井から消えゆく運命はそうかんたんには変えられそうにないだろう。しかし、世のなか月夜半分闇夜半分。オンラインショップでの生き残りをかけ知略を練る老舗オーナーの一喝が目ざましのベルを鳴らす――〝なにが売れて売りあげがいくらなんてどうでもいいんだよ。重要なことさえ気にしていれば……〟(終章より) 命脈をつなぐとっておきの秘訣があるのか!? つづきは本書のなかで。
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