『貸本マンガと戦後の風景』高野慎三 |
貸本屋向けに限定されたマンガ単行本がいくつもの出版社から刊行されだしたのは、一九五三年前後だった。ちょうど、朝鮮戦争が休戦になったころであり、まだまだ戦後の混乱から抜け出せてはいなかった。 貸本屋は江戸時代から存在したが、五〇年代後半に東京、大阪の大都市をはじめ、全国津々浦々にまで貸本屋が波及した。一説には二万から三万軒が数えられたというが、それは大量の貸本マンガの出現によるのかもしれない。いちおう出版社を名乗ってはいたが、多くは零細であり、家族とひとりふたりの従業員による経営状態だった。にもかかわらず、それぞれが月に十点、二十点と出版していた。 それらは、出版物というよりも、手塚治虫が揶揄したごとく、「おもちゃ」や「駄菓子」に類する商品と受け取られた。だが、その「おもちゃ」マンガのなかに、戦争、原爆、混血児、被差別部落の問題から、浅沼事件、女工労働者、炭鉱問題と敗戦後の数々の社会的な事象など、大手の少年・少女雑誌がけっして扱わないテーマが並んだ。 どれも陽の当たらない無名のマンガ家たちが自ら切り開いた作品であるが、貸本マンガ全体を見渡すと、戦後の混乱から続いた、無軌道な無政府状態に近かったとみえないこともない。大手マスコミや良識ある文化人によって貸本マンガは排撃されていたけれども、だが、そこには戦後において、最も自由な空間が存在したようにも思える。貸本マンガはわずか十五年ほどの短い存在ではあったが、敗戦後の生活文化の一翼を担ったのは間違いない。 そして、赤塚不二夫もさいとうたかをも白土三平も水木しげるも楳図かずおも、みな貸本マンガの出身者であったことを考えると、貸本マンガのエネルギーの厚みを感じざるを得ない。
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