『神田神保町書肆街考』について鹿島 茂 |
神田神保町という特殊な大学街=古書店街の形成を論じた『神田神保町書肆街考』を執筆しているときに感じたのは、日本は「中金持で中貧乏な国だなあ」ということだった。アメリカのような超格差社会だと大金持ちと大貧乏人しかいない。そのため大金持ちの子供が行く大学の授業料はとてつもなく高い。年間四〇〇万円以上である。一方フランスのような平等が建前の国だと大学の授業料は無料である。 では日本はというと、真ん中くらいの授業料で年間一〇〇万円。そのため日本の大学は専任教員の数を限定し、不足分を非常勤講師で補わざるをえない。神田神保町に明治・中央・日大・専修などの大学が蝟集しているのは非常勤講師の掛け持ちに便利だからである。 これと同じ構造を神保町の古書店街にも見ることができる。非常勤講師のやり取りに相当するのが市会である。ここでは、仕入れた不要な古書を出品し、必要な専門古書を買うことができる。市会という相互扶助組織の存在が神田神保町への古書店の集住を加速したのだ。 つまり、大学にしろ古書店にしろ「集住」ということがミソなのである。というのも「集住」が行われると、おのずから棲み分けの必要から専門店化が進む。すると、その専門店化が客を呼びこむというスパイラルが生じる。 このように、 明治10年代に学生相手の中古洋装本を扱う古書店が誕生したのを皮切りに、神田神保町は「集住性」をキーにしてスパイラルの輪を広げ、世界でも類を見ない古書店街を形成していったわけだが、 では、 その拡大を支えた商品構造はというと、 これが「耐久消費財」という本の性質だった。つまり、本は消費財として使い捨てされるのではなく、「耐久消費財」として「使い回し」されたために、古書店はおおいに潤ったのである。 ところが一九七〇年代後半からこうした商品構造が変わる。本もまた消費財となったため、古書店もまた使い捨てされる本、つまり漫画やアイドル本のようなオタク本を対象とせざるを得なくなり、顧客も学生からオタクに代わる。 だが、ここに来てまた本の商品構造が劇的に変化しようとしている。消費財としての本は電子メディアにとって代わられてしまうからである。では、古書店に未来はないかといえば、その反対である。 なぜなら紙媒体としての本は発行部数が減り、高価格化するから。つまり「耐久消費財」に戻るのである。そして、本が「耐久消費財」となったら、再び古書店に春が訪れるだろう。その何よりの証拠はほかならぬ『神田神保町書肆街考』である。発行部数二〇〇〇部で税込み定価四五三六円という高価格。発売後一カ月半で在庫切れ。プレミアムがついてアマゾンでは六、七〇〇円で取引されている。 ことほどさように、本の高価格化による耐久消費財化が古書店を救うのである。 やがて夜明けの来るそれまでは、意地で支える夢一つ。いま少しの辛抱である。
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