『町を歩いて本のなかへ』南陀楼綾繁 |
若い頃に受けた影響は、そのあとの自分を形づくる。いったんはその影響から逃れたように思えても、歳を重ねるとまたその頃の自分に回帰してしまう。私の場合は、1980年代前半がそうだ。中学から高校にかけて、SFやミステリ、マンガの本や雑誌を読みふけった。田舎町の本屋に置かれていないものが大半だったので、それらをどう手に入れるか考えるところから、読書がはじまっていた。 その頃の私は、雑誌のコラムが大好きだった。『本の雑誌』『奇想天外』『噂の眞相』『宝島』『漫画ブリッコ』などを買うと、メイン記事は後回しにして、後ろに小さな文字で詰め込まれているコラムを熟読した。そして、そこで知った書き手の本が出ると買って読んだ。情報センター出版局、廣済堂、プレイガイドジャーナル社、北宋社、白夜書房といったマイナーな版元から出たものが多く、初出一覧には見たことのない雑誌が並んでいた。それを手がかりに、また深掘りしていった。 云い方は悪いが、そのような「雑文集」を自分でも出してみたいと、ひそかに思っていた。しかし、30年前ならともかく、いまでは無名の書き手があちこちの媒体に書いた文章をまとめてやろうという、酔狂な編集者はめったにいない。なかば諦めかけていた頃に、原書房の百町研一さんに出会った。 百町さんは小山力也さんの『古本屋ツアー・イン・ジャパン』『古本屋ツアー・イン・ジャパンそれから』や、岡崎武志さんの『気がついたらいつも本ばかり読んでいた』を編集した人である。ことに後者は、これまで書いてきた文章から選んだ、まさに理想の雑文集だった(岡崎さんは以前、晶文社でも『雑談王 岡崎武志バラエティ・ブック』を出されている。うらやましい)。 おずおずと百町さんに、これまで書いた文章のテキストファイルを差し出したところ、そこから選んで、一冊分の目次をつくってくれた。彼は「ここから削りますから」と云っていた気がするが、逆にどんどん増えていって、気づいたら416ページという厚さになっていた。自分では当初入れるつもりのなかったメルマガ「早稲田古本村通信」での連載も、ほぼ全回を収録できた。
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