「初めての祖父の伝記『広辞苑はなぜ生まれたか――新村出の生きた軌跡』」新村恭 |
祖父の伝記を書こうと思いいたったのは、5年ほど前である。それから、出版のしごとに携わりながら、『新村出全集』全15巻と当人の遺した日記を読み始めた。全集はA5判で平均600頁あり、日記も84冊びっしり書かれている。とうてい精読はできないが、通覧し、全集に付箋を貼り、日記の要所をメモした。 準備途中で、明治32(1899)年の、妻となる荒川豊子との往復書簡、ラブレターと、明治40年から42年までの欧州留学の際の絵はがきコレクション約3000枚が、未整理の遺品のなかから見つかったのはラッキーだった。筆文字のものが多い手紙はすらすらとは読めないものではあったが、荒川家で豊子の嫁入り先を決めていたなかで、こっそりと逢い引きをかさね、付き合いの発覚、お先真っ暗なところから婚約に漕ぎつけるところは、面白かった。筆まめな祖父は、船出から欧州各地を遊学し、シベリア鉄道で帰国するまで、往く先々で留守宅に絵はがきを送っており、それを見るのは楽しかった。 ゆかりの地に取材し、関連の文献・資料を調査した。この日本の古本屋のネットで何冊か注文もした。『辞苑』『広辞苑』関係者の新村出宛書簡を丹念にたどり、日本近代文学館に通って800通余ある祖父の佐佐木信綱宛書簡もみた。書くことは、ありすぎる状態であった。そのなかで、年代とテーマの両方をにらみながら、構成を考えていった。 最終的に、「新村出の生涯」「真説『広辞苑』物語」「交友録」のⅢ部にまとめて章立てをし、長すぎない範囲で小見出しをつけて区切り、図をおさめ、本人の生活の一部であった和歌を適宜挿入してまとめた。このあたりは、出版のしごと、編集の経験が生きたとも思う。なんとか、変動の大きい長い時代と幅の広い活動歴を、厚くなく、面白く読めるかたちで収められた。 初めての評伝であるが、自分が書かなければ本は出ず、新村出は知られることなく終わってしまう、自分が書くしかないとの、宿命からくる強い責任感もあった。いまは、刊行できてほっとしているところである。
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