『遅れ時計の詩人―編集工房ノア著者追悼記』涸沢純平 |
編集工房ノアは、1975年(昭50)9月、私が29歳で始めた。住んでいる大阪、関西の地で、文芸出版がしたかった。42年が経つ。 本書のサブタイトルに迷った。「編集工房ノアの42年」と出来ない。実は、私が還暦(10年前)に出そうと思いまとめ、校正刷りまで上げたが、自信がなくなり、放置していた。自社で自分の本を出すことに迷いもあった。が古希をむかえ決心した。恩義を受けた足立巻一さんの享年72歳を越えては、あまりに恥ずかしい。 考えた末、「編集工房ノア著者追悼記」とした。すべてが著者への追悼記なのである。私と著者との間の話なのだが、私だけが知ることもあり、記憶、記録として残しておくことも意味があるかもしれない、と思いなおした。 帯文は、手さぐりで始めた出版の業界の師とも思う、地方・小出版流通センター代表の川上賢一氏の言葉。 「関西で唯一の文芸専門出版社主・涸沢純平が綴る、表現者たちとの熱い交わり模様、亡き文人たちを語る惜別のことば。奥さんと二人の出版物語。」「関西で唯一」は、正確かどうかはわからないが、私は褒詞として受け取った。社員も何人かいたことはあるが、長年の二人出版となった。 帯の裏には、「大阪淀川のほとり、中津の路地裏の出版社。港野喜代子、永瀬清子、清水正一、黒瀬勝巳、天野忠、大野新、富士正晴、東秀三、中石孝、足立巻一、庄野英二、杉山平一、桑島玄二、鶴見俊輔、塔和子。本づくり、出会いの記録」と書き、私が出会い別れた著者たちの名前を上げ全体を表している。 創業第一冊。大阪の名物詩人、港野喜代子の詩集『凍り絵』を持って、宣伝のための新聞社回りわした夜、港野はひとり住まいの家の風呂で、心臓マヒを起こして死んだ。期待した港野の人脈が得られなくなった。 私は詩人大野新の鋭利な文章を読み、評論集『沙漠の椅子』を出版。大野さんに連れられて天野忠さんの「北園町九十三番地」に行った。 表題「遅れ時計の詩人」とは、十三の詩人、清水正一さんのこと。まねかれていく清水さんの家の柱時計はなぜか何時間も遅れていた。生業の蒲鉾屋の時間を詩人の時間にする遅れ時計。私は清水さんのことを父とも、港野さんのことを母とも思った。そうした心模様を書いた。 鶴見俊輔さんは「ノアは十九世紀の出版を思わせる」と言った。遅れ時計の出版社なのだ。 出版して二カ月が経つが、大筋は別にして、気にとめられる細部は、人によってさまざまであることがわかった。私の手を離れた、ささ舟のようなもの。
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