古本屋癌になる-77歳の日記青木書店 青木正美 |
八十四歳になる私は、七年前から東京古書会館へ行かない。行っても”浦島太郎”扱いであろう。二〇一〇年、私は毎回普通市に通い、七夕大市会にも参加した。その年七十七歳、正月からある出版社本を書き始めた。戦後の「古書月報」を独力編集、業界人としても大活躍した都崎友雄のもう一つの伝記である。・・・・・そんな九月のある日、私は喉に腫瘍を見つけ癌研有明病院へ行く。長い待ち時間があって、告げられたのは中咽頭癌。 長寿社会になりやがて二人に一人が癌になるとも言われるが七年前にも、結果は出たのに中々入院の番は来なかった。やっと保険外の、日に三万円かかる個室なら、という話で入院する。一日おきの放射線治療が三十五回、並行して胃瘻の設置手術。抗癌剤、他の点滴が続く。しまいにはのべつ発生する口内炎の発生で食べるのもしゃべるのも出来なくなる。すると食事は胃瘻に、意志は筆談に頼るようになる。前立腺肥大を放ってあったのが祟って終夜20~30回小用に起きることさえある。トイレの取っ手につかまって、泣いて耐えた夜もあったし、日記さえ書けなくなる。が、すぐに覚った。「さして才能もないお前が文学青年的なところを明古の主任だった鶉屋書店に会員に誘われた元々も”日記”だったんだぜ。この六十年も”日記”を支えに生きて来たお前じゃなかったのか!こうなったらどんなに苦しむのかを書いてやろう!」 実は今度の本は癌となったその闘病記であり生還記でもあったのは、結果的に病院の適切な対応と家族の協力あってのことだった。 退院出来たのは年を越した二〇一一年一月三十日。筑摩からは編集者がわざわざ出来上がった本とお見舞いを持って来て下さる。病床で校正を重ねたその本のタイトルは『ある「詩人」古本屋伝』、”風雲児ドン・ザッキーを探せ”のサブタイトルがつく。そう、最初紹介の都=ド・崎=ザキー(都崎友雄)は、戦前はダダイズム詩人ドン・ザッキーだったのだ。 あの年はまた、このひと月と十二日後に、東日本大震災が日本を襲う。その余波で東京も激震、我が家の書斎、隣の書庫の大崩落の片づけに働き、私のリハビリともなったのである。 もし、ご一読頂けたら幸いです。
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