『保守と立憲』ついて中島岳志 |
『保守と立憲』(スタンドブックス)を出版しました。この本は主に「保守」や「立憲」、「リベラル」などの概念を整理しながら、現実の政治を批評した内容です。「リベラルな保守」を掲げて結成された立憲民主党の枝野幸男代表との対談も収録しました。 この本の発端は2011年の東日本大震災にあります。 震災の直後、私は共同通信配信の連載で「死者と共に生きる」という文章を書きました(『保守と立憲』に収録されています)。大切な人の死(2人称の死)に直面した被災地に向けて、死者との出会い直しの重要性を論じました。 大切な人が死ぬと、私たちは喪失感を味わいます。いつも「その人」がいた場所の空白に落ち込み、呆然と立ち尽くしてしまいます。 しかし、一定の期間が過ぎると、私たちは死者と出会いなおします。生きているときには言えなかったことが墓前で言えたり、ふと死者のまなざしを感じたりしながら、生きるようになっていきます。 死者はいなくなったのではありません。死者となって存在しているのです。 私たちは死者の存在を思い、死者から照らされて生きることで、倫理や規範を獲得します。大切なのは、死者と共に前向きに生きることである。そう考えて、被災地に向けた文章を書きました。 それから、死者について考えることが多くなり、自分が専門とする政治学の分野でも、死者という問題が重要な意味を持つのではないかと考えるようになりました。 例えば、立憲主義です。 立憲主義とは、過去の様々な失敗を繰り返さないよう、そこで得られた経験知や教訓をルール化し、憲法によって国家権力を制約するものです。立憲主義は、国民が権力を縛るためのルールと言われたりしますが、その「国民」は現在の国民だけではありません。むしろ主役は、死者たちです。死者たちが過去に蓄積してきた苦難の歴史の産物が憲法であり、死者の経験の総体が、現在の権力を縛っているのです。 立憲主義の重要なポイントは「死者の立憲主義」であることです。この死者からの拘束を嫌い、憲法を足蹴にしているのが、安倍内閣です。安倍首相は自ら「保守」であることを掲げながら、死者に対する謙虚さを著しく欠いています。 憲法は条文だけでなく、付随する不文律の慣習や解釈によって成立しています。しかし、安倍内閣は、「書かれていないもの」は存在しないものとして扱い、勝手な解釈によって憲法をめぐる常識を破壊しています。 私は、このような政権を「保守」とみなすことはできないと考えています。 『保守と立憲』では、保守の原点を確認することで、「立憲」や「リベラル」という概念との有機的な関係性の再生を目指しています。 森友問題や加計問題など、安倍内閣の手法が問題視される中、政治の在り方を再考するために読んでいただければ幸いです。
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