『日本国民のための愛国の教科書』の“トリセツ”将基面 貴巳 |
この小文をお読みになる方々には「日本人が日本を愛するのは自然で当然のことだ」とお考えになる方が少なくないのではないでしょうか。あるいは、そのような意見をメディアで見かけたことがあると思います。私の最新刊『日本国民のための愛国の教科書』(百万年書房)は、「自分の国を愛することは当然だ」という一般通念が、実は、歴史的にも哲学的に成り立たないことを論じるものです。 この本は、もう一冊、別の書物を執筆した副産物です。『愛国の教科書』と同時発売となる『愛国の構造』(岩波書店)は、現代パトリオティズム(愛国主義)論を歴史的・哲学的に分析する学術書ですが、この本を仕上げる段階に入った頃、愛国心の問題は、政治思想の専門家だけでなく、広く一般読者にも考えてもらう必要があると痛切に思うようになりました。実際、現代日本では、道徳教育の一環として「国を愛する心」が教えられています。しかし、愛国心教育の結果、「国を愛すること」が「自然だ」「当然だ」「単純だ」と思うだけに終わっているならば、愛国心について考えを深めたことになりません。中学生でも理解できる平易な「教科書」が必要だと考えたゆえんです。 歴史を遡ってみると、日本人が愛国心を持つようになったのは、明治時代、それも1890年代以降のことにすぎません。つまり、1880年代以前の日本人にとっては、愛国心を持つことは「自然」どころか、愛国心とはどのようなことか全くわからなかったのです。また、愛国心を哲学的に考え直してみると、それほど「単純」でも「当然」でもないことが浮かび上がってきます。たとえば、愛国心とは、文字通り、国を愛することですが、その愛とは無条件に溺愛することだとはかぎりません。また、国に忠誠心を抱くといっても、不正や腐敗が横行する国に忠実であることは道徳的に正当だと言い難いでしょう。さらに、国を誇りに思うといっても、国に関するありとあらゆることを常に誇りに思うことであるわけがありません。そんな完全無欠な国はどこにも存在しないし、自分の国を誇りに思うならば、国の欠点や過失に関して羞恥心や怒りの感情を抱くことになるはずです。このように、愛国心とは決して「単純」なことではないのです。 しかも問題はそれにとどまりません。そもそも、「自分の国を愛するのは当然で自然なことだ」というような物言いは、一見したところ素朴で無垢な感情の表れのように見えます。しかし、このような言葉づかいは、実のところ、民衆扇動(デマゴギー)のレトリックなのです。「当然だ」「自然だ」「単純だ」と断言するなら、その意見は異論を許しません。こうして反対論を封じ込めてゆく結果、異なる意見を持つ人々を排斥することとなります。「愛国心“当然”論」の正体は極めて危険なのです。 『国民のための愛国の教科書』は、過去十数年にわたって国の道徳教育の一環として行われている愛国心教育や通俗的な愛国心に関する言説への「解毒剤」として読んでいただきたいと願っています。 『日本国民のための愛国の教科書』将基面 貴巳 |
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