『芝居小屋戦記──神戸三宮シアター・エートーの奇跡と軌跡」菱田信也 |
このたび苦楽堂より上梓しました『芝居小屋戦記──神戸三宮シアター・エートーの奇跡と軌跡』は、神戸・JR三ノ宮の駅近くに建設され開場した小劇場(客席数100)の、立ち上げから3年間の記録をまとめたものです。
原稿のチェックをすべて終えたのは2月上旬。その直後に新型コロナウイルス感染拡大、同時に舞台芸術、とりわけ「演劇」に向けられた世間の風当たりが一変しました。自粛要請を受け公演の中止が相次ぐ中、野田秀樹氏や平田オリザ氏といった著名な演劇人による「文化芸術を絶やすな」という趣旨の発言が「演劇がそんなに特別なのか」と猛反発を受けて炎上し始めたのです。 わが神戸三宮シアター・エートーも3、4、5月に予定されていた演劇・演芸・音楽すべての興行が中止となりましたが「自粛によって劇場が立ち行かない」という状況にはまだ陥っておりません。本書でご紹介しておりますが、当劇場はとある医療法人が運営母体、潤沢な資金をもとにいわゆる「メセナ」の一環として発足しており、貸館賃料収入によって運営が左右されるということがないからです──これ自体が業界的にはおよそあり得ないことです。前述の演劇人発言の炎上は、芸術の必要性(もしくは経済性)について世間と当事者との間に絶対的な認識のズレが生じているから起きてしまったわけですが、神戸三宮シアター・エートーは世間一般のみならず「演劇界」の常識ともかけ離れていると言わざるを得ません。劇場運営に携わりながら本書を書いた私は、そんなこんなの非日常にあふれた劇場の開館から3年間の軌跡をあえて「奇跡」と呼ばせていただきました。 さて「芸能すごろく」という言葉をご存じでしょうか。歌手やバンド、俳優、芸人、アイドル──無名のアーティストたちが世に認められ成り上がっていく様を解説する際に使われる言葉です。バンドならば、地方の小さなライブハウス回りからホールに進出、メンバーの離合集散など繰り返しつつやがては武道館に辿り着く──といった流れのことです。 私は自分が生まれ育った神戸という、さびれかけた古い地方都市に出現した神戸三宮シアター・エートーが、芸能すごろくから降りざるを得なかった人々にとって「最後の楽園」になり得るのではないかと思っています。芸能において完全な東京一極集中の中、この劇場の持つ特異性──小劇場にはありえない一脚10万円の高価なイスと音響照明設備、シャワー完備の豪華な楽屋、アーティストのわがままを最大限優先することが可能な心荒むことない環境、なによりも経済に左右されない自由さ──が、「ここでのんびり生きればいいじゃん」というメッセージを伝えられるのではないか、と。同時に、本書第5章にまとめた「目の前の可能性」において、劇場を通じてKOBEの新しいアイデンティティを提示できるのではないかと思っています。 コロナ禍収束後もおそらく世間は「濃厚接触」をタブー視することでしょう。個と個が過剰に接触することで成り立つ舞台芸術がどのような方法論を見出すのか。本書の中にほんの少しのヒントを見出していただけたら……と、願いつつ。 『芝居小屋戦記 神戸三宮シアター・エートーの奇跡と軌跡』菱田信也 著 |
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