好きなことをやって生きていければ石神井書林 内堀 弘 |
坪内祐三さんは、今年の一月、急性心不全で突然亡くなった。六十一歳だった。坪内さんと初めて会ったのは、この本の年譜を見ると一九九二年とあるので、彼は三十四歳、私は四つ上なので三十八歳だ。みなそうだろうが、三十代の頃、自分が六十代になるなんて想像もしなかった。
代々幡斎場で微笑みかけるような遺影を見た。そこに老いの影も感じなかった。老人になった坪内祐三を遂に見ることはないのだと私は思った。この先、顔のしわを増やしながら、『評伝山口昌男』を書き、『日本編集者列伝』や『昭和世相史』や『アンダーグランド精神史』を書いたのかもしれない。たくさんのことをやり残したはずだが、それでも、と思う。それでも彼は、三十代の頃には想像もしなかった歳まで生き、ものを書き続けた。 『本の雑誌の坪内祐三』は、月刊「本の雑誌」に載った坪内さんの座談、対談、インタビュー、エッセイの内、単行本に未収録のものを集めた。たとえば冒頭のインタビューは三十代のもので、かと思うと去年の秋(というのは六十一歳)に書いたものもある。ここでは、三十代から六十代まで、坪内さんが関心を寄せたものを一望できる。 読んでいて気づくのは、若いときの語り口と、晩年のそれがあまり(いや、ほとんど)変わっていないことだ。興味の所在、ものの面白がり方、大げさに言えばライフスタイルまで変わっていない。 (聞き手)ということは、三十八年間(註・このとき三十八歳)で働いたのは「東京人」 にいた三年間だけになりませんか。 今、この質問の「三十八年間」を「六十一年間」としても答えは同じだ。定職に就いたのは三年間だけで、後は「雑誌の総目次を見るのが好きなんです」のまま生きた。「雑誌の総目次」は、「本屋」や「古書店(展)」、「明治文学」、「現代アメリカ文学」、「追悼文」、「東映任侠映画」など自在に置き換えられる。それがこの本にある。つまり、好きなことをやって、生きてきたのだ。 掲載の座談会で、新宿の高原書店(古書店)の「文庫と新書の棚は凄い」と話す場面がある。私はここが妙に印象的だった。坪内さんはこのときもう五十歳を越えていた。たとえば、五十を過ぎて、定職には就いてないけど、本をよく読んでいて、どうでもいいことをよく知っているおじさん、というのは、昔、親戚の集まりにいたものだ。おじさんは、法事の席で退屈そうにしている高校生の「僕」に「最近、新宿の高原書店の文庫と新書の棚が面白いよ」と教えてくれる。このおじさんが話すのは、珍しい本を見つけたという自慢話でも、店主とは飲み仲間だという内輪話でもない。そこに行けば、何かがはじまるかもしれない、という話だ。 文化人類学の山口昌男さんは、私の店の古書目録をいつも丁寧に見て下さった。専門化すれば小さな店でも食べていける。それを愚直に信じていたから、目録は専門の近代の詩歌集にはじまり、都市モダニズム文献があって、はみ出したものを最後に「その他」とした。山口さんが「君の目録は頁が進むほど面白くなって、いつも最後が一番面白い」と言った。「なら、その他だけで古書目録を作るのはどうでしょう」そう話すと、「その他は、そう簡単に現れないよ」と笑った。 『本の雑誌の坪内祐三』は、単行本に入らなかったものを集めた。「その他」が一冊になったのだ。一番面白いところだ。この本の中で、坪内さんは、まだ好きなことをやって生きている。 『本の雑誌の坪内祐三』坪内祐三著 |
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