『浮世絵の解剖図鑑』でお江戸へタイムスリップ牧野健太郎 |
北斎さんと広重さんは、お江戸の同じ時期に風景画の絵師として活躍しました。「富嶽三十六景」シリーズを北斎さんは1831年頃出版され、当時71歳で大ヒット。その2年後、広重さん37歳が「東海道五十三次」シリーズを出して大当たり、浮世絵に風景画ジャンルが出来ました。 そんな北斎さんや広重さんが描いたお江戸に小旅行してみませんか。 『浮世絵の解剖図鑑』の最後に「美しい浮世絵をできるだけ近くで見て頂きたい」と書き添えましたが、その絶好の町が東京神田神保町です。浮世絵版画は、現在では作品の性格から、光に当てたくない、湿気に弱い、高額などの理由から所有者は展示したくない、傷ませたくない、見せたくない、当然触らせたくないと考えます。展覧会でも照度を落とし、ガラスで遮ります。それでも好事家は頑張って浮世絵を1メートルほど離れた距離から双眼鏡で鑑賞しています。しかし、向こうの人々、お江戸の方々はこのカラー印刷物「浮世絵」を16文(約500円)程度で買って、嗜好品として手に持ちながら、また仲間と床に転がりながら見ていました。そう、浮世絵の楽しみ方は今とは少し違い「わかる奴には分かる」、洒落と粋と見栄、異性にもてる事がとても大事、ユーモアが一番でした。 広重さん還暦前、最晩年に描いた『名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣』(本書146~147頁)は、猫が画面中央で「怒っている」作品です。展覧会などで作品下などの説明文には「二階家の窓から見た夕景の美しい富士が描かれた浅草の田圃、江戸の名所のひとつです」と添えられています。しかしお江戸の通人、物知りの方々はこの浮世絵を見てにんまり、解説がなくとも「へぇ~」となります。「吉原」の文字がなくとも、浅草田圃にある2階建ての家とならば、新吉原と分かり、富士が見える事から西側のお店、そこの2階で白猫を可愛がっている主とならば「あの美しい太夫と決まり」と笑っていました。ただ、この白猫君が背中を丸め、目を吊り上げて耳を立て、怒っていることが「訳知り人」の要です。 浮世絵の中の江戸は、ロンドンやパリより大きく、100万人を超える人々が暮らす世界最大の都市で、平和な暮らしがあったといいます。特に幕末には大地震があったり、疫病「コロリ」が流行ったりと大変な時代でした。それでも江戸の人々は助け合い、どこか気楽に構えて前向きに生きていたようです。私たちのご先祖さまたちが暮らした江戸を浮世絵から覗いてみると、絵画としての誇張や偏り、遊びはありますが「物質的には裕福ではないが、ゆったりと暮らす人たち」の姿が見えてきます。アフターコロナは、江戸の生き方が少し参考になるかもしれません。
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