『活動写真弁史』のこと片岡一郎 |
活動写真弁士という職業がかつてあった、と書かれたり言われたりする機会は多い。オワコン、などという美しくもない、今やその言葉自体の方が古び、干からびてしまった蔑称を向けられたことも多々ある。だが、これらの評価は適切ではない。今も活動写真弁士は存在している。本書の著者である私が現役の活動写真弁士なのだから間違いない。我語る故に弁士あり、なのである。
日本の古本屋を利用される皆さんの中には、徳川夢声の名を何となくは知っている方も多くおられると思う。活動写真弁士を芸能人生の起点とした夢声は、話術の名手らしい語る様な文体が特徴で、旺盛な筆力によって百冊以上の本を出した。彼の著作は映画史に止まらず、庶民からみた大正~昭和史の記述として評価が高く、当然、弁士時代の思い出を綴った文章も多い。 見世物を語る上で朝倉無声は避けて通れず、弁士を語る上で徳川夢声は避けて通れない。まことムセイは大衆芸能を研究する者にとって、この上もなくアリガタイ名前である。 突然だが、私は恐竜が子供のころから好きだ。一度は地球の覇者となったにも関わらず、忽然とその時代を終えたところが好きだ。絶滅したと一般的に思われているにも関わらず、実は正当な末裔が存在しているところも良い。なんのことはない、活動写真弁士は芸能史上の恐竜なのだ。 ならば、長きにわたった「活動写真弁士とはこういうもの」という固定観念を、恐竜の様に、更新する時期が来ているのではないか、その役割を担うのは自分だろう、と勝手に考えた。では、活動写真弁士の再評価を、どのようにすれば良いのか? 何しろ弁士は恐竜より世間に知られていないのだ。だが我が先達たちは雑誌に、新聞に、公文書に、あるいは私的記録に少しずつ存在の痕跡を残している。 もし自画自賛が許されるならば幾つかの点において、その試みは成功している。少なくとも黒澤明に多大な影響を与えた、彼の実兄にして活動写真弁士の須田貞明こと黒澤丙午について、ここまで詳述した本は他にはない。 今、改めて参考文献リストを見直すと、敬愛すべき先輩弁士たちの広大な行動範囲にあきれるばかりだ。まさか弁士の歴史を調べていて『南米調査資料』や『特高月報』を読もうとは思わなかった。もう少し穏便に生きられなかったものかと思うが、お前こそ弁士のクセに小さくまとまってどうするのだ、と反対に叱られそうでもある。
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