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『日本疫病図説』

『日本疫病図説』

畑中章宏

 いま私たちが脅威にさらされている新型ウイルスによる感染症のような疫病、毎年のように列島の各地で発生する水害をはじめとした自然災害を合わせて、ここでは「厄災(やくさい)」と呼ぶことにする。厄災に際して近世の人々は、まじないに頼り、さまざまな神仏にすがった。そうして、厄災をめぐる新たな信仰や習俗が生まれていった。

 災害をもたらす神、あるいは災害を除く神については、「はやり神(流行神)」として位置づけた宮田登の研究成果があり、疫病神(疫神)とその習俗については、大島建彦の多くの著作を送り出している。

 近世の江戸では出版業の勃興し、錦絵や版画に対する民衆の関心も高かった。そして、繰り返し襲ってくる厄災の合間にも、厄災を題材にした出版物がもてはやされることになる。自然災害にかんしては、1855年(安政2年)に起こった安政大地震を契機に「鯰絵」が出回り、疱瘡(天然痘)、麻疹(はしか)の流行にともなっては「疱瘡絵」や「はしか絵」が描かれたのである。

 鯰絵や疱瘡絵は災害史や出版メディア史の範疇で扱われることが多く、その図像学や民俗学が深められずにきた。そして実は、この領域に踏み込んだ先駆者は、外国人研究者だったのである。鯰絵研究に先鞭をつけたのはオランダ人のコルネリウス・アウエハント、疱瘡絵研究のほうはフランス出身のヘルムート・オ・ローテルムンドで、前者は『鯰絵―民俗的想像力の世界』、後者は『疱瘡神―江戸時代の病をめぐる民間信仰の研究』を世に問うている。

 アウエハントの『鯰絵』は、1979年(昭和54年)に小松和彦・中沢新一・飯島吉晴・古家信平による共訳でせりか書房から刊行され、2013年(平成25年)には岩波文庫に入った。ローテルムンドの『疱瘡神』は、宮田登の解説を付して1995年(平成7年)に岩波書店から刊行された。『鯰絵』がその後、民俗学・人類学の領域に大きな刺激を与えてきたのは周知の事実である。もう一方の『疱瘡神』は、医療史を中心とした領域では取り上げられてきたが、『鯰絵』ほどよく知られていないのではないだろうか。

 鯰絵がたびたび言及される機会を得たのは、「阪神・淡路」や「東日本」などの大震災が日本列島を襲ってきたからにほかならない。大震災が起こるたび、近世の民衆は危機的助教化をどのように過ごし、何を支えに復興へと歩み出したかを、過去に遡って学ぼうとしたのである。大震災に対して今回のコロナ禍は、近年にはなかった事態である。このため、危機に瀕して生み出された貴重な文化である、疱瘡絵やはしか絵は埋もれてしまっていたのだろう。

 私が5月に刊行した『日本疫病図説―絵に込められた病魔退散の祈り』は、現在のコロナ禍に、近世の疫病文化から学ぶことができないかという動機にもとづき、疱瘡絵やはしか絵の豊かな世界を紹介しようとしたものである。こうした疫病絵は病気に罹らないように、あるいは病気に罹っても軽く済むようにという願いが込められたもので、魔除けの意味がある赤色で刷ったり、疫病神を退治した英雄や豪傑、病を寄せつけないための身構えや心がけが巧みに描き出されたりしている。
江戸の絵師たちは感染症の流行下に、どうすれば疫病除けを果たせるかという難問を題材に腕を競った。そうして創作された疫病絵の数々は創意や工夫に富み、護符やお守りを超えた鑑賞品としての魅力を十分に備えているのだ。

 また古代・中世の疫病除け信仰とそれにまつわる図像(一章 疫神の誕生)、江戸時代に列島各地に出現した厄災を予言する霊獣(三章 予言する妖怪たち)、近代西洋医学がもたらされた近代以降の疫病への対応(四章 明治の流行病)などについても、解説と関連図版を掲載した。疫病への対処法は、絵を飾って祈願するだけではなく、祭をおこない、社を建て、玩具に託すこともあった。本書では、絵画以外の疫病除けの営為についてもコラムの形で収録している。

 ローテルムンドの『疱瘡神』刊行以降、民俗学・人類学の領域において、疫病絵の研究が活発化したとは言えない。また、近世絵画史の文脈でも、この豊饒な世界に光はあてられてはこなかった。『日本疫病図説』は一般読者向けに、私たちがこれまで疫病とどのようにつきあってきたかを図版とともに概説するビジュアルブックの体裁を取っているが、民俗学や人類学の枠を超えて、感染症の社会史、病とアートといった関心からもぜひ手にしていただきたい。

ekibyou

『日本疫病図説』 畑中章宏 著
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