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『書物・印刷・本屋 日中韓をめぐる本の文化史』

『書物・印刷・本屋 日中韓をめぐる本の文化史』

藤本幸夫

 本書は中国・朝鮮・日本の坊刻本、即ち民間の営利出版(日本では「町版」)を対象とし、その具体的な諸相を明らかにしようとするものである。坊刻本は庶民の擡頭と共に内容・意匠それぞれに工夫を凝らしつつ、深淵且つ絢爛たる出版文化を形成してきた。従来書籍を対象とする類書では、文学史的意義・理論的研究や内容分析、或いは版種や文字の異同等が中心であった。このような研究が高踏的とされ、今回のテーマのような分野は、ややもすれば低く見られ勝ちであったように筆者には思われる。敢えて申せば、全体として機能する人体の頭部だけを重んじ、日常生活を支える下半身を軽んじるに近い。本書では書籍の出版から販売・読書に至る具体的な諸相、即ち潤筆料・版下・刻版・彫師・摺師・版木・料紙・装幀・本屋・貸本屋・書価・出版部数・流通・読者・版株・印刷術・和刻・禁書・出版統制等々に視点を置き、理解に資すために写真三九〇点余をも掲載した、これまでにあまり類例のない書の出版を目指した。このような視点から本を見る研究者は寧ろ少ないが、今回ご執筆者の方々には極力お触れいただけるようにお願いした。幸いにも斯界第一線で御活躍の方々のご賛同を得て、かなりの達成度を得られたのではないかと思っている。

 木版印刷の濫觴は中国の隋から唐初にあるとされ、朝鮮、そして日本には八世紀には伝わっていた。坊刻本成立には、必要とされる書籍を見極め出版に必要な資本を有する人物と刻版の技術、更には出版書を購入し得る読者層がなければならない。中国では北宋代に条件が整い、その後隆盛に向かうが、日本では十七世紀前半、朝鮮では十八世紀末に始まる。日本では十七世紀に町人が擡頭し、それに応じて坊刻本も盛んになってゆく。高度な金属活字印刷術を有する印刷文化国朝鮮では官版・家刻版・寺刹版・書院版などが盛んであったが、庶民の経済力の脆弱さと特に庶民読者層の薄さが坊刻本の発達を阻んだ。本書の執筆陣は三五名(但し内二名は二本執筆)、その内中国学六名、朝鮮学三名、キリシタン版一名、日本学二五名と甚だ人数的にはバランスを欠いているように見えるが、それには以下のような事情がある。

 筆者は朝鮮語学と文献学を専攻する者で、朝鮮には坊刻本の発生が遅く、また出版の諸相を示す文献の極めて少ないことを承知している。ただ朝鮮は中国文化を早くから受け入れ尊崇して来たため、文化のあり方が中国に酷似している。従って士大夫は中国同様漢文による詩・文を残し、子孫や門弟たちはそれらを編纂し出版した。その際に出版経緯・費用の調達・刻手の賃金・紙代、果ては刻手への酒代までも記録した「刊役日記」がある。文集刊行の際資金を広く募るので、使途を問われた場合を想定しても、記録が必要であったと思われる。これ迄公にされたのは僅かであったが、最近精粗さまざまではあるが十一種の「刊役日記」を集めた韓国語訳版が出ており、刊役の内幕を窺知し得て興味深い。今回は利用叶わず、今後紹介できる機会があればと思う。中国では宋代以降書肆が極めて多く、中には数百年の老舗もある。しかし筆者の知る限りでは、上記の如き出版の諸相を示す具体的な資料は少ないように思われる。その点江戸時代では本屋仲間の記録・幕府のお触書・出版された書目類・諸蔵書目録・書物末の書物広告、諸随筆類があって大いに資するのである。朝鮮では官の蔵書目録や地方官衙所蔵版木目録はあるが、個人の蔵書目録は殆どない。また中国では官や大蔵書家である士大夫の蔵書目録は種々あるが、多くは四部分類に従った正規の書籍類が列挙されている。ところが日本では蔵書は官だけに限らず、寺刹・神社・武士・町医者・町人など多岐にわたっており、それぞれの収書意図によってその内容は様々である。写本の国書類も多い。神道・武道・華道・茶道・香道等、又本屋が営利目的で出した五張単位の絵が中心の安価な草双紙類等、枚挙に遑ない。それに町人出身、例えば屋根屋・キセル屋・呉服屋・薬屋や農民等出身の学者や文人が知的関心を持って文筆界に加わる。このようなことは中国や朝鮮にはなく、彼らは己が身を置く町人文化に対する視点を持っており、その書き物では出版の世界にも触れられる。武士と町人の間に立ち位置のある曲亭馬琴の『近世物之本江戸作者部類』等はその逸なるものである。それに江戸時代の出版物ジャンルの多様性もあり、他の二国に比べ遥かによく出版実態を窺知できるため、日本書研究者がその三分の二を占めることとなった。

本書には謂わばマニアック的な論文もあるが、上辺を撫でるだけではなく、深く入り込む研究も大事である。筆者は朝鮮本研究において、長澤規矩也氏の御研究に倣い、当初より刻手名を徹底的に集めてきた。面倒で時間のかかる作業であった。朝鮮本は刊記を付すことが極めて少ないが、刻手名を手掛かりに刊年・刊地を特定し得ることがあり、刻手名は極めて有効な手掛かりとなる。ここで諸論文に一一触れる余裕はないが、上記諸相を知ろうとすれば、多くの書を繙かねばならないが、本書にはそれらが詰まっており、エンサイクロペディア的な役割を果たし得ているのではないかと思う。

本書に収め切れなかった分野も多い。俳書や浄瑠璃・旅行案内書・武鑑・重宝記・狂歌・川柳・細見等も、出版事情は基本的には同じであろうが、それぞれに特殊性もあるであろう。また中国書については卑見の及ばぬ所も多いと思われる。本書が今後研究者及び読書子の関心がこの方面に向かう契機になればと願っている。

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