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『東京の古本屋』

『東京の古本屋』

橋本倫史

 きっかけは、ふとした一言だった。
 大学4年生を迎えた春、単位がまだ足りなくてどの授業を履修しようかと頭を悩ませていたところに、同郷の友人がアパートを訪ねてきた。ちょうどそのとき、テーブルの上に『SPA!』を広げてあった。毎週購読していたわけではなく、その週はたまたま買い求めて、テーブルに置いてあった。開いていたページには、福田和也さんと坪内祐三さんによる対談連載「これでいいのだ!」が掲載されていた。それを目にした友人が、「この人、早稲田で授業やってるよ」と教えてくれた。「レポートさえ出せば誰でも単位もらえる授業らしいけど」と。

 ぼくが通っていたのは早稲田大学ではなく、学習院大学だったけれど、単位交換システムがあり、その授業はぼくでも履修できるようだった。最初はただ「単位がもらえるなら」と申し込んだのが、坪内さんの「編集・ジャーナリズム論」という授業だった。そんなよこしまな気持ちで履修したものの、内容に引き込まれ、大学4年間で唯一欠席しなかった授業になった。
 授業は水曜日の5限だった。少し早めにアパートを出て、当時早稲田通りと明治通りの交差点にあった「すがきや」で腹を満たしたり、早稲田の古本屋街をのぞいたりしながらキャンパスまで歩いた。上京してからずっと高田馬場に暮らしていたけれど、古本屋に立ち寄るようになったのは、坪内さんの授業を受けてからだった。

 それからほどなくして、「わめぞ」というグループが立ち上がった。早稲田と目白と雑司ヶ谷で、本にまつわる仕事をしている人たちが集まり、「古書往来座」では外市という古本市が定期的に開催されるようになった。ぼくは買い物客として立ち寄りながら、「古書現世」の向井透史さんに誘ってもらって、打ち上げの席に混ぜてもらったり、飲み会があるときには声をかけてもらったりするようになった。そうして少しずつ古本屋の人たちと遊ぶようになり、楽器もできないのに、古書店主たちとボエーズというバンドまで組んでいた。ぼくは「記録係」ということになっていたけれど、ライター仕事で使うICレコーダーを持ち出し、演奏を録音しながらビールを飲んでいただけだった。大塚にあったオレンジスタジオで練習したあとは、サービスデイには焼酎の一升瓶が1300円で入れられる居酒屋「江戸村」でしこたま飲んで、酔っ払いながら都電脇を雑司ヶ谷に向けて歩いた。ぼくは古本屋で働いたこともなければ、頻繁に古本屋で買い物をするよいお客さんでもないけれど、そうしてお酒を飲んでいるうちに、古本屋の生活に少しだけ触れたような心地がした。そして、それをいつか言葉にしたいと、ずっと思っていた。

 ボエーズのボーカルを務めるのは、イラストレーターの武藤良子さんだ。その武藤良子さんが金沢の龜鳴屋から『銭湯断片日記』という本を出版する運びとなり、目白のブックギャラリーポポタム」で刊行記念トークイベントが二夜連続で開催された。その一夜目のゲストは「石神井書林」の内堀弘さんだった。
 トークイベントの冒頭で、内堀さんは、「この本を読んでいると、武藤さんが羨ましくなる」と切り出した。「銭湯と古本屋がある町に暮らしたい」なんて語られることも多いけれど、内堀さんは古本屋を始めた20代の頃、朝日も入らない風呂なしの物件に暮らしていて、当時の夢は「風呂つきの物件に住むこと」だった、と。銭湯の記憶はお金がなかった20代の記憶と結びついていて、ほっこりしたイメージとは程遠く、古本屋は「命懸けの場所だった」と内堀さんは言った。命懸けという言葉が、耳にこびりついた。

 武藤良子さんの『銭湯断片日記』は、本にまとめるつもりで書かれた文章ではなく、銭湯を訪れたときのことを日記としてつらつらと綴り、ブログに掲載されていたものだ。ただ、それがブログに綴られたままのテキストではなく、一冊の本にまとまったことで見えてくるものがあると、内堀さんは言った。
 そこまで話したところで、内堀さんは山口昌男さんの話をした。かつて山口昌男さんを中心に、「東京外骨語大学」という小さな集まりがあり、学長が山口昌男さんで助教授が坪内さん、学生が「なないろ文庫」の田村治芳さん、「月の輪書林」の髙橋徹さん、そして内堀さんだったという。

「山口先生にはすごくお世話になって、いろんなことを教わったんですけど、そのひとつが『コレクションというのは、集めることで初めて見えてくるものがあるんだ』ということで。たとえば本草学も、いろんな葉っぱをとってきて、これはあれに効く、これに効くと、コレクションから見えてくるものがあったと言うんですね。明治以前の日本にはコレクションの思想があって、その最たるものが日記だ、と。日記というのは日々のコレクションで、それだけを抜き出すと大したことは書いてないんだけど、それがまとまることで見えてくるものがある。その話を聞いてから、日記って面白いんだなと思うようになったんですよね」

 ぼくは以前から日記を書いたり読んだりするのが好きだったけれど、この夜のトークイベントを聞いているうちに、日記の面白さをあたらめて感じたような気がした。古本屋のことを書くのであれば、日記として綴ろう。ビールを飲みながらふたりの話を聞いているうちに、そう決めたのだった。

tokyohuruhon

『東京の古本屋』 橋本倫史
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https://www.webdoku.jp/kanko/page/4860114620.html

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