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「商うことと歌うこと 頁をめくる音で息をする」

「商うことと歌うこと 頁をめくる音で息をする」

古本屋弐拾dB 藤井基二

 
 昨年の十一月に自分の古本屋の日々を書き連ねた『頁をめくる音で息をする』(本の雑誌社)が刊行となった。裏表紙にはこう書かれている。「開店時間は23時。尾道の路地に佇む古本屋は、疾走する店主が築いた小さな城。深夜の隠れ家から詩と熱情があふれだす。」担当の編集者さんが考えた宣伝文だ。まともな勤め人になることから逃げた身からすれば「失踪する店主」の間違いではないかと思った。

 平日の開店時間は夜の二三時から二七時。「深夜の古本屋」と雑誌の本屋特集で取り上げられたりする。理由は単純で、開業前に続けていたアルバイトの隙間で営業しようと考えた結果、深夜営業となった。酒や珈琲など、「水」は売っていない。(本も売らずに、売れずに?)お客さんに油ばかり売ってはいるが。「儲かるのか?」と聞かれれば、赤ちょうちんの下で笑えるくらいには、と答えている。ボロ儲けということはないが、地味にもそれなり温かく暮らせている。「深夜にどんなお客さんが来るのか?」と気になった方は、ぜひとも拙著を読んでいただければと思う。呑み屋と間違えてやってくる酔客、井上靖好きの勝気な女性に、誕生日の瞬間を古本屋で祝う常連客。ほんとうにさまざまなお客さんが、一つ二つと言葉を残して夜を去ってゆく。

 「どうして古本屋をはじめたんですか?」と、よくお客さんに聞かれる。二三才ではじめた店だったので何かしら大きな野望や理由があるだろうと思う人がいるのも分からなくはない。実際はただ就職することができなかった、苦し紛れの選択だった。本を読みつつ酒を飲みながらぼんやり暮らしたい。そんな単純な願いに至るまでには紆余曲折あった。今から思い起こせば、たわいないきっかけだったが当時は切実だった。

 心が病むと本は読めなくなる。そんな経験を学生時代に味わった。就活に進路、恋愛やらなんやらと重なり、大好きだった本を開く元気さえなくなった。読んでくださった方の何人かは同じ経験をしたことがあると、感想を伝えてくれた。「苦しかったのは自分だけじゃなかった」と話す声は、そのまま僕の声でもある。原稿を書き進めながら、何度も昔の自分を振り返る。当時のことを文章にするのは初めてのことで苦労したが、一つの区切りをつけるきっかけにもなった。

 本では有名無名の詩人の詩を紹介している。高校時代に出会った中原中也をきっかけに詩にめざめ、店をはじめてからもたびたび詩集を開いている。裏路地の日陰を生きるような生涯を送ったアル中の詩人、伊藤茂次。彼の言葉には、後ろ向きであるのに突き抜けた光がある。コロナ禍での営業で心が折れそうなときに、何度か励まされた。石垣りんや石原吉郎の詩は甘っちょろい自分を何度も引っ叩いた。言葉に叩かれるたびに背筋を伸ばす。

 生まれ故郷福山を生きた木下夕爾は、特にお気に入りの詩人だ。詩、俳句(夕爾は俳人でもあった)が好きな方には知る人も多いと思うが、それほど知名度があるとも言えない。彼の第一詩集『田舎の食卓』は復刻版もあるが古書価はそれなりに高く、酒の勢いを借りて地元の古本屋で買い求めた。東京での文学者の夢を諦め、家業の薬局を継がねばならなかったひとりの詩人。モダニズムな感性で書かれた詩作品にはどこか寂しさが漂う。現代の若い読者にこそ響くものがあると思う。今回、拙著を読んだ方から「詩を読んでみたくなった」と言われれば、これほど嬉しいことはない。

 「古本屋」は商人のひとつの形であることは間違いない。夢やロマンだけでは腹を満たすことは難しい。埃にまみれながら粛々と本をさばき、淡々と日銭を稼ぐ時間が大半だ。とはいえ、「古本屋」にロマンがまったくないのかと言われれば、僕は違うと思う。お宝な商品で一攫千金といったようなロマンの話ではない。本を介してさまざまなお客さんと交わる時、一篇の詩のような時間が流れることがある。引っ越しにともなって売りに来られた本のこと、亡くなったご家族の自宅へ買取に行った時のこと、常連さんの何気ない会話。本の間に挟まれた一枚の写真や紙片のように静かで微かなもの。ふと、本から取り出してはつい見入ってしまう声がある。一冊ずつにいくつもの声が重なっている。その声たちがまたこうして、一冊の本として立ち現れたと思っている。読んでくださった声がまた重なり、自分の本が古本屋の棚に並ぶ日が来ることを僕は夢見てしまう。

『頁をめくる音で息をする』 藤井基二 著
B6判並製 208ページ(カラー32ページ含む)
本の雑誌社 定価:1,540円(税込)好評発売中!
https://www.webdoku.jp/kanko/page/4860114647.html

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