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「第一藝文社」をさがす旅

「第一藝文社」をさがす旅

早田 リツ子

 2015年春、当時コロンビア大学の東アジア図書館で働いていた友人から、北川冬彦の『純粋映画記』を出版した第一藝文社について問うメールが届いた。北川が滋賀県大津市の出身であることは知っていたが、彼の著作を刊行した出版社が大津にあったというのは初耳だった。友人は詳しい情報を求めていたわけではないので、ここで「わからない」と返信すれば済む話だったのに、いま思えば何かの力が働いたかのようにもう少し調べてみようと思い立ったのだ。

 まずは図書館のレファレンスサービスを利用することにした。その結果、参考文献として紹介されていた古書店主山本善行さんの「純粋映画記 北川冬彦」(林哲夫編著『書影でたどる関西の出版100―明治・大正・昭和の珍本稀書』)に出合い、大いに驚くことになる。そこには北川だけでなく伊丹万作や今村太平、杉山平一等の名があり、天野忠、中江俊夫などの詩人の名があった。

 社主中塚道祐(悌治・勝博名義もある)についての詳細は不明のまま、次は国立国会図書館の書誌検索で、第一藝文社の本をリストアップする作業を始めた。それによって刊行書に映画評論、詩集、いけばなの本が多いことがわかってきた。実はこのあたりで、くだんの友人宛に概要を伝えて終わることも考えていた。

 ところでリストは当然ながら発行順につくりたいと思っていたのだが、国会図書館も各地の図書館の書誌も、ほとんど発行年までの記載なので同年内の刊行順がわからない。いま思えば、私的な小レポートが思いがけず長い記録になった直接的なきっかけは、発行日を知るために各地の図書館の蔵書を借り、さらに気になる本を全国各地の古書店さんから取り寄せた結果ともいえそうだ。

 私はこれまで、おもに農山村女性の生活史を聞き書きで記録してきた。その地に結びついて営まれた暮らしの話を聞かせてもらうのは、私にとって時代と地域社会を知るための貴重な学びの機会だった。子守り奉公、女工労働、過酷な農作業、敗戦後の変化へとつづく話の底には、戦争がどっしりと居すわっていることも常に意識させられた。

 第一藝文社をさがす旅をつづけた基本的な動機も、この出版社の主要な社業が敗戦までのほぼ10年だった点にある。大津で創業し、間もなく京都へ事務所を移した個人出版社が、困難な時代にどのような本を出したのか全容を知りたくなったのだ。もう一つは、その後明らかになってくる中塚道祐という人の誠実な人柄と、地主の跡取り息子である出自を嫌い、理想の社会を夢見た生き方に関心をもったからだった。さらに決定的だったのは、中塚の長男修さん(故人)との出会いと協力があったことである。

 修さんから託された資料中の自伝『思い出の記』(私家版)と、中塚が編集していたいけばな流派機関誌によって、彼の個人史と、本と著者に関するエピソードが一度に目の前に現れたのだ。それからはリスト作成をつづけながら、第一藝文社の本を実際に手に取って読んだ。もちろん私にも入手可能なもの、理解できそうなものに限られ、その理解も充分とはいえなかったのだが。いけばな関係にも関心はあったが割愛した。

 戦時体制下で刊行された本を手にすることには、新刊書では味わえない身の引き締まる感覚があった。刊行間もない第一藝文社の本を待ちかねていたように買い求め、傍線を引きながら熱心に読んだ読者との出会いも、古書ならではの感動だった。また「いけばな批評家」としての中塚の活動も注目に値する。「挿花は決して一部階級のものであつてはならぬ」と書いた中塚が、作庭家、いけばな・茶道の研究家として著名な重森三玲に師事し、第一藝文社の社名の相談にものってもらったという結びつきにも驚いた。最初の刊行本は重森の『挿花の観賞』である。

 今回は本に導かれるままに時間をさかのぼる旅だった。第一藝文社を通して多くの出会いがあった。なかでも日本映画の向上を願って労を惜しまず尽力した杉本峻一、中塚の篤実な人柄を尊んだ今村太平や杉山平一、今村の親友日名子元雄(文化財保護の専門家)、厚木たか(『文化映画論』の訳者)、九州の詩人西山明、経済学の本を遺した友人佐久間紀彦などはとくに印象に残っている。また中塚に思想的な影響を与えつつ、自らは自由な生き方を選べないまま若くして世を去った、姉の中塚くめも忘れ難い人である。

 一冊の本が世に出るまでに、さまざまな人の力が注がれていることにいつも胸が熱くなる。今回は資料をさがす段階から、図書館と「日本の古本屋」の検索サイトを通じて全国の古書店さんに助けられた。本が届くたびに「よくぞ持っていてくださった!」と心から感謝した。

 最後に中塚のメッセージを記しておきたい。〈日本はいま戦争をしていないけれど、しかしいま地球上には戦争がある。この地球上の、どの地域に戦争があっても、それは、しんの平和でない〉――本書「いけばなと平和」より。


『第一藝文社をさがして』 早田リツ子 著
夏葉社 定価:2,750円(税込)好評発売中!
http://natsuhasha.com/news/2022119/

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