JavaScript を有効にしてご利用下さい.
文字サイズ
古書を探す
許南麒の詩
許南麒の詩 献呈署名入
許南麒の詩 (限定100部版)
在日コリアン詩選集 : 一九一六年~二〇〇四年
許南麒詩集
春香伝 <岩波文庫>
朝鮮歳時記
許南麒詩集 朝鮮冬物語
朝鮮海峡 許南麒詩集 ピポー叢書 57
白頭山 : 長篇叙事詩
日本時事詩集
朝鮮海峡 許南麒詩集 (ピポー叢書)
祖国遙かに 夫を訪ねて
新編春香伝
長編叙事詩集 火縄銃のうた
祝福のうた
巨済島 : 世界の良心に訴える
長篇叙事詩 火縄銃のうた
朝鮮海峡 ピポー叢書57
春香伝 岩波文庫
長編叙事詩 白頭山
春香伝 6刷 赤帯付
火縄銃のうた―長篇叙事詩 (青木文庫)
巨済島―世界の良心に訴える
火縄銃のうた 長篇叙事詩 青木文庫54
春香伝
火縄銃のうた
巨済島 世界にうったえる
白頭山 長編叙事詩
(許南麒)朝鮮冬物語によせて
批評文学2号 安吾論/川上富吉 花田論/円谷真護 石上玄一郎論/須山志津夫 許南麒論/長谷川佳哉
許南麒葉書 日本民主主義文学同盟宛
朝鮮歳時記*
詩集 朝鮮冬物語
火縄銃のうた 青木文庫
詩集 朝鮮冬物語 青木文庫53
現代朝鮮文学短篇集
朝鮮海峡 詩集 ピボー叢書57
日本解放詩集
『詩文化』1950年7月号(18号)
長編叙事詩白頭山 趙基天詩集
長篇叙時詩集火縄銃のうた
詩集 朝鮮冬物語 <青木文庫53>
(詩誌) 芸術前衛 第1巻第2号(1949年9月10日)―近代主義批判への断片(浅井十三郎)、梯子乗りの極限について(許南麒)、詩と革命(田村隆一)ほか
藝術4巻1号 日焼 中野重治 許南麒 徳永 豊島與志雄 対談/野間・出隆
長篇敍事詩白頭山 初帯 本体・帯少日焼 両見返少シミ有
長篇叙事詩 火縄銃のうた 青木文庫
朝鮮海峡 許南麒詩集 ピポー叢書57
『文学評論』2号(1953年3月)
新日本文学 5巻8号
人民文学 昭和27年10月(3巻10号)岩上順一、伊豆公夫、江馬なかし、野間宏、許南麒、小松三千夫(広島の児)、丁玲 他
南からの頌歌
許南麒 抒情詩集 芸術前衛叢書 / 装丁挿画 井出則雄 表版 小倉又夫 朝鮮詩集奥付なし。昭和20年代 本文孔版刷薄冊子 19cm-13cm。全24頁。허남기、ホ・ナムギ
白頭山 -長編叙事詩 :趙基天詩集
雑誌 人民文学 第3巻9号
白頭山 :長編叙事詩 (朝・日文)
人民文学 昭和27年10月(3巻10号)座談会・日本文学の中心課題は何か(安部公房、猪野謙二、西郷信綱、新島繁、梅崎春生)、徳永直、郭沫若、許南麒、野間宏 他
火縄銃のうた 長篇叙事詩 (青木文庫)
人民文学 1953/2 特集 労働者の詩について/叙事詩 松川事件 千代田詩人集団(共同制作)
1956年日本新協劇団・曹禺懇親会アルバム 1冊
全集・戦後の詩 第二巻 角川文庫
人間 第6巻第1号
列島詩人集
文学 第27巻第10号 1959年11月号 記録的方法とリアリズム:「人間の壁」と記録/杉浦民平 創作方法をめぐって。新しいリアリズムへの道/金逹寿 芸術における総合派/柾木恭介 記録の方法とその意味/羽仁進 文学の窓 :谷川雁、渡辺順三、由紀しげ子 入選論文:朝鮮文学の出発点・朝鮮文学史ノート/許南麒 他
白頭山 長編叙事詩 著者 趙基天 許南麒 訳、ハト書房 刊行年 昭27年 初版 帯趙基天 (ちょうきてん)Cho Ki-ch`ǒn生没年:1913-51朝鮮の詩人。咸鏡北道出身。幼少時,父とシベリアに渡り,オムスクのゴーリキー師範大学露文科を卒業。17歳で地方新聞《先鋒》に短詩を発表した。中央アジアのシル・オルタ朝鮮師範大で教育にあたったが,1945年8月ソ連赤軍の一兵士として祖国解放の戦闘に加わった。解放後精力的に詩を書き,51年朝鮮文学芸術総同盟の副委員長になるが,朝鮮戦争により戦死した。作品には土地改革をテーマとした抒情詩《土のうた》(1946),抗日パルチザンの普天堡の戦を描いた長編叙事詩《白頭山》(1947),労働者の新生活を歌った《生のうた》(1950),南朝鮮の麗水反乱事件をあつかった連詩《たたかう麗水》(1948)などがある。許南麒(허남기、ホ・ナムギ、きょ・なんき、1918年6月24日 - 1988年11月)は、在日韓国・朝鮮人の詩人。朝鮮語と日本語の両方で作品を発表。日本語で書いた叙事詩「火縄銃のうた」で有名。在日本朝鮮文学芸術家同盟委員長、朝鮮総聯中央副議長、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議代議員。1918年6月24日、慶尚南道東萊郡亀浦面で生まれた。1931年、亀浦普通学校卒業、釜山第二商業学校入学。1939年夏、渡日。日本大学専門部芸術科映画専攻科に編入学し、中退。中央大学法学部卒業。アテネフランセ、太平洋美術学校などでも学ぶ。1942年、証券会社に就職。1945年秋から1960年頃までの間、朝鮮語とともに日本語の詩作を並行してやっていた。日本語における詩作は、文学的な観点よりも、日本人に対するメッセージを主たる目的としていた。1946年、川口の朝聯学園(川口朝聯小学校)校長に就任。1951年、神奈川朝鮮人中学校教務主任に就任。1952年5月、血のメーデー事件で死亡した近藤巨士のために「近藤君にささげる五月のうた」を作る。1952年、関根弘、長谷川龍生、黒田喜夫、菅原克己らの詩誌『列島』創刊時に編集委員として参画。1956年、朝鮮大学校講師に就任。1959年6月、在日本朝鮮文学芸術家作家同盟(文芸同)初代委員長に就任。1960年代以降、日本語での執筆は殆どなくなる。
森田進, 佐川亜紀 編、土曜美術社出版、2005.5
506p 22cm
4812014816
許南麒 著、同成社、1980.11
254p 23cm
許南麒 著、同成社、1979.10
日本の面影(舞台戯曲)
人事興信録(第31版 )上下揃、2冊分
金沢商工会議所百年史
空から見た私たちのまち―金沢市(航空写真地図)(石川県区割図)
長編小説 赤い水◇カッパノベルス
健康を考える―その他レグルス文庫65
教育革命(同和教育シリーズ)◇新書
近世日本学の研究(金沢工業大学日本学研究所研究叢書第1集)