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朴貞花第二歌集 無窮花の園:在日歌人・朴貞花が告発・糾弾する日本近現代史
無窮花の園--在日歌人朴貞花が告発・糾弾する日本近現代史
朴貞花第二歌集 無窮花(ムグンファ)の園-在日歌人・朴貞花が告発・糾弾する日本近現代史
身世打鈴
オリオンと林檎 (韓国文学の源流 短編選2)
第12回 韓國陶象會展
アンティークスタイルの花刺繍
韓国巫服に顕れた伝統性―萬口大択神楽(グッド)を中心に*
国語と国文学 546号(昭和44年8月号 46巻8号) (松浦宮物語は定家の実験小説か/一条朝詩壇と本朝麗藻/平中物語の末尾/弄花抄諸本の分類 第一次本・第二次本及び増補本の認定について)
刺しゅう写真集 4 ハーブ・ギャラリー
平安朝歌合大成 全10巻
婦人公論 130号小川芋銭他挿絵入 「紙上珍奇博覧会」写真と文
松林桂月 増補改訂版
ナショナル・アイデンティティとジェンダー : 漱石・文学・近代
臨済宗妙心寺派宗制 発行人臨済宗妙心寺派総務部長 羽賀文圭 編集制作 編集工房 銀匙社 臨済宗妙心寺派宗務本所発行 非売品 垂示記念印あり 刊行年 平9 サイズ B6判 全530頁+92頁 京都の禅寺は、五山十刹代表される、室町幕府の庇護と統制下にあった一派と、それとは一線を画す在野の寺院とがあった。前者を「禅林」または「叢林」、後者を「林下」といった。妙心寺は、大徳寺とともに、修行を重んじる厳しい禅風を特色とする「林下」の代表的寺院である。平安京の北西部を占める風光明媚な妙心寺の地には、花園上皇の花園御所(離宮萩原殿)があった。花園上皇は、建武2年(1335年)落飾して法皇となり、花園御所を禅寺に改めることを発願した。法皇の禅の上での師は大徳寺開山の宗峰妙超であった。宗峰は建武412月没するが、臨終間近の宗峰に花園法皇が「師の亡き後、自分は誰に法を問えばよいか」と尋ねたところ、宗峰は高弟の関山慧玄を推挙した。その頃、美濃の伊深で修行に明け暮れていた関山は、都に戻ることを渋っていたが、師僧・宗峰の遺命と花園法皇の院宣があっては辞去するわけにはいかず、暦応5年/康永元年、妙心寺の開山となった。なお、「正法山妙心寺」の山号寺号は宗峰が命名したもので、釈尊が嗣法の弟子・摩訶迦葉に向かって述べた「正法眼蔵涅槃妙心」という句から取ったものである。関山慧玄の禅風は厳格で、その生活は質素をきわめたという。関山には他の高僧のような「語録」はなく、生前に描かれた肖像もなく、遺筆も弟子の授翁宗弼に書き与えた印可状の他、ほとんど残されていない。妙心寺では開山関山慧玄以降、二祖授翁宗弼、三祖無因宗因、四祖日峰宗舜、五祖義天玄承、六祖雪江宗深までを「六祖」と呼んで尊崇している。なお、この初祖〜六祖は法系を指すものであって、妙心寺の住持として何世目であるかを指すものではない。住持の世代としては日峰宗舜、義天玄承、雪江宗深がそれぞれ七世、八世、九世にあたる。
月刊 日本及日本人 第133号 昭和2年9月15日 ・政教と宗教的最高善 ・失敗せる松方幸次郎
松林桂月
松林桂月 増補改訂
生活の絵本 第1巻 第1号 (昭和49年11月) <創刊号>
國文學 : 解釈と教材の研究 4(13) 特集:伊勢物語の総合探求 4(13)
精神修養逸話の泉 第6編
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