本とエハガキ⑧ 読書エハガキ③軍隊読書

本とエハガキ⑧ 読書エハガキ③軍隊読書

小林昌樹

軍隊にも生活があり読書もある

 戦後の我々にはよく判らなくなっているが、軍隊にも生活があり、そして読書があった。
仮に軍隊内での読書を「軍隊読書」と呼んでおく(より古風には「陣中読書」なる言葉もあった)。さきの大戦でアメリカ軍などは読書を重視し、陸軍用の小説本まで開発して大規模に配布した。日本軍でも日中戦争から、慰問袋の中身に雑誌などが喜ばれたという*。中国戦線では常設の図書館、「つはもの文庫」【参考図1】といったものもあった(山田清吉『武漢兵站』図書出版社、1978)。

つはもの文庫
【参考図1】つはもの文庫

 つはもの文庫を作った山田清吉によると「講談や落語の本は各部隊の図書室で間に合う」ということだったから、中国戦線に展開した各部隊にも図書室があったようだ。かように軍隊生活全般で読書行為は見られたらしいので、それを実際に「見て」しまおうというのが今回の連載記事である。
 軍隊内の個人読書については、岩波文庫などを携帯した話がちらほら見られるが、それらが没収されるかどうかは場合による**ようだ。その岩波は1940年に陸軍から慰問用として岩浪文庫20タイトル各5000部を実費で収めている。

* 中野綾子「慰問雑誌にみる戦場の読書空間:『陣中倶楽部』と『兵隊』を中心に」『出版研究』(45) p.139-157, 2014.
** 将校やその候補生は自由に本を所持できたらしい。「〔入隊時、初年兵係将校に没収された岩波文庫を転属時には返され〕長旅のあいだ、私は船のなかで万葉集やファウストを、気ままに読みふけった。将校の卵になった私は、すでにそれだけの自由をてにいれていた」『われら戦争を越えて:旧陸軍経理学校第十二期幹部候補生回想録』(十二紫会、1983、p.147)。

軍隊生活における娯楽としての読書

次の【図8-1】は「(軍隊生活)娯楽室」と題する写真エハガキである。罫線パターンから言っても、兵隊の軍服から言っても、わりあいと初期の写真エハガキのようだ。残念ながら発行社名などが印字されていないが、駐屯地前あたりに店を開いていた雑貨店が売ったものだろう。駐屯地に面会に来た家族や、休暇で里帰りする兵隊がこういった「軍隊生活」のエハガキを買ったものと思われる。

 【図8-1】には12名の兵隊が写っているが、そのうち手前の2名が読書をしている。つまり「娯楽」の一環で、軍隊で読書も容認されていたことがわかる。読んでいる資料は平綴じで
やや厚いので雑誌と思われる。
 ひとり分奥の対面する2人は、コマの形から将棋をやっており、中央奥2人はそれを見物するという格好だ。左一番奥の人物は何かを読んでいるようにも見える。右の2人はズックを脱いで裸足であり、かなり寛いだ雰囲気が演出されている。

8-1
【図8-1】「(軍隊生活)娯楽室」
 罫線パターンb 明治末〜大正初

図書閲覧室を備えた酒保

 次の【図8-2】は台北にあった台湾歩兵第一連隊の「酒保」の「図書閲覧室」である。こうして写真エハガキを見ると、酒保で本を読ませる、という発想ないし制度は、結構一般的だったように思われてくる。
 酒保(しゅほ)とは、駐屯地(兵営)や艦船内などに設けられた売店である。軍事史本などを読んでいると、酒保と言えば、飲食したことが主に言及されるが、全部とは言えなかったにしても、こういった図書閲覧室を備えたものもあったわけだ。

8-2
【図8-2】「(台湾歩兵第一連隊)酒保図書閲覧室」
 罫線パターンd 昭和8年以降

 【図8-2】には9人ほどの閲覧者が写っており、その全員が熱心に読書している風なのは演出として、右から3人目が閲覧しているのはハードカバーの単行本であり、左端の人物は何を読んでいるかわからないが鉛筆を持っているのは、比較的マジメな読書が想定されていたようである。酒保は主に下士官が使ったとウィキペディアにあるので、下士官が軍事がらみの調べ物など、やや硬い読書をしていたものか。

 左奥にガラス戸つき書架が置かれ、おそらく雑誌でなく図書が満載である。棚の前の人物は立ち読みをしているようだ。
 柱には日めくりカレンダーが掛けられ、壁にはポスターや額縁に入った絵画が掛けられ、さらに観葉植物が置かれており、かなり上品にしつらえられている。灰皿が置かれているので喫煙は可能だったようだ。酒以上にタバコと軍隊生活は切り離せないものだったろう。奥の壁真ん中、時計の下に見えるのは鏡だろう。拡大すると右端と右から3人目の人物が映り込んでいる。

新聞も読める

 【図8-3】も酒保、それも売店本体だろう。右奥にほぼ部屋の長さのカウンターが設置され、その向こうにガラス戸つき棚が設置されている。壁に大きく「必一列」と書き出されているのは、物品を購入する際には必ず一列に並べ、という意味だろう。棚の上に黒板(?)が斜めに掲げられ、いろいろ細かい事柄が白文字で書かれているのは、酒保の利用規則や、商品一覧や定価などが掲示されているのだろう(拡大しても読めない)。

8-3
【図8-3】「〔酒保〕」
 罫線パターンdで罫線なし 昭和8年以降

 しかし、ここでひときわ目立つ器物は、斜め板が屋根状にしつらえられた「新聞架」2台である。新聞架とは、新聞紙を閲覧するための書架で、戦前の図書館エハガキではおなじみの什器である。
 カウンターのこちら側に無造作に置かれていることからみて、新聞紙はタダで閲覧できたことがわかる。カウンターの上にはラジオ受信機が置いてあるように見え、だとすれば、新聞紙、ラジオ放送といった報道メディアに接することもできたのが酒保、ということになろう。

「酒保ニハ聯隊長ノ定ムル新聞、雜誌、遊戯運動器具等ヲ備付ルコトヲ得」(高橋慶蔵(KT生)編『軍隊内務書摘要解義』不動書店、1908、p.409-410)ということになっていた。
 軍隊経験者が書いた漫画【参考図2】を見ると、【図8-3】がまさに「酒保」であるとわかる。

参考図2
【参考図2】「酒保」(相原ツネオ著『兵隊さん物語(兵隊さんシリーズ)』(日本館書房、1969、p.98-99より)

軍学校での読書

 兵卒や下士官(要するにヒラや係長クラス)は酒保を利用するとして、士官(中間管理職みたいなもの)はどうだったのか、いまいちよくわからないが、士官(将校)になるための学校での読書エハガキを数枚持っているのでご紹介する。

 【図8-4】は広島陸軍地方幼年学校の「集会所」とキャプションにある。みなが何をしているかというと新聞や雑誌を読んでいる風である。幼年学校とは士官学校のうち、中学相当程度の一般学問と軍事教育をする学校で、地方幼年学校として仙台、名古屋、大阪、広島、熊本にあった。同等なものとして陸軍中央幼年学校予科があった。ここを3年やってから中央の幼年学校本科(2年)へ進み、卒業後、士官候補生の上等兵として各連隊に配属される。その後、士官学校に入り直して士官≒将校となる。

8-4
【図8-4】「広島陸軍地方幼年学校 集会所」広島八木トンボ堂発行
 罫線パターンc 大正後期〜昭和初め

 そもそも軍学校の「集会所」とは連隊における酒保に比すべきものらしく、陸軍士官学校編『陸軍士官学校の真相』(外交時報社、1914)「生徒集会所と酒保」(p.110-)によると、「之は日曜日其他休日に開かれるもので〜其処には和漢洋の書籍、新聞、雑誌や各種の遊戯、運動器具等を備付け、又若干の飲食物(酒類、飲料、菓子、果物、一品料理等)を販売して、生徒に簡潔なる慰安を与ふる〜のが其目的」とある。

 さらにいうと「此集会所には別に細密なる規定も厳重なる監督もない。〜例へば図書を覧るにも、借用証を出す必要なく、自由に読み得、又閲覧後は之を丁寧に原位置に格納する」ということになっていたようだ。

 【図8-4】の広島の幼年学校集会所の図書は、右奥の書棚を拡大して見ると、一応ラベルが貼付され管理されているようだが、次の【図8-5】士官学校集会所の本はラベルも貼付されず、わりあいと無造作なように見える。

8-5
【図8-5】「陸軍士官学校生徒集会所(図書閲覧室)」
 罫線パターンb 明治末〜大正前期

 海軍でも陸軍の士官学校にあたる学校、海軍兵学校(戦時中を除き、全国で1つ、呉市沖の江田島にあった)でも、似たような図書閲覧室【図8-6】があった。

8-6
【図8-6】「海軍兵学校 書籍展覧所」
 罫線パターンb 明治末〜大正前期

 同校には「海軍兵学校図書館」があったが、その組織と【図8-6】「書籍展覧所」との関係はいまひとつ分からない。ただし、上記図をよく見ると、大量の図書にはほぼ全てに(日本の図書館本にしては)大型のラベルがきちんと貼付されているように見えることから、図書館の管理下にあったように思われる。

 図書館が出したほぼ唯一の文献『海軍兵学校図書館和漢図書分類目録 昭和2年1月現在』(海軍兵学校図書館、1927)「(付表)図書館設備一覧」によると、図書館は独立館舎を持たず、閲覧室が「生徒館」など各所に分散していたようだ。

 ただし、陸軍幼年学校、士官学校よりも海軍兵学校のほうがシステマティックに図書を管理していたように見える。海軍といえば軍艦内のコミュニケーション手段として「艦内新聞」が有名だが(復刻がある)、アメリカ海軍のように軍艦図書館は持っていなかったようだ。

次回は書斎エハガキ

 戦前でも今でも、書斎などという高級なものを持つことができた人は、学者など一部の職業に限られるだろうが、それでもなお、ちらほら書斎の写真エハガキを目にする。長年、図書館や読書のエハガキを集めていると、自然、そういったものも目に入ってくるので、そこそこの枚数がある。それらを紹介しつつ分析もしてみたい。

エハガキの罫線パターン(連載1回にも掲載)

【表1-1】様式による年代推定表(あくまで目安)
【表1-1】様式による年代推定表(あくまで目安)

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田川建三氏と1960年~70年代の雑誌文化(上)

田川建三氏と1960年~70年代の雑誌文化(上)

樽見博(日本古書通信社)

 「野町和嘉 人間の大地」展の衝撃

8月7日に、世田谷美術館で開催中の「野町和嘉 人間の大地」と題された写真展を見て来た。同館の学芸員野田尚稔さんから同題名の図録(A5判、231頁、定価3960円。クレヴィス刊行)を頂いていた。圧倒されるドキュメンタリー作品ですよと話されていたが、図録を見ると砂漠や荒涼とした大地に生きる人々を写した作品も、全て芸術的な香気に溢れ、ドキュメンタリーとは違うのではないかと考えていたが、図録に収められた作品と、展示会場で見た襖より大きなサイズに焼き付けられた作品は別物であった。野田さんがドキュンタリーであり圧倒されますよというのが実感出来た。フォトジャーナリスト野町和嘉さんが家畜と人間の間に壁を作るのが「文明」であると書かれているが、南スーダンの遊牧民の大きな角をもった牛と人間の共生する生活は正にその言葉を裏付けていた。日本でも牛や馬を使った時代の農民の暮らしは曲がり屋に代表されるように、確かに家畜と人々が共生していた。農耕民と遊牧民の差はあるとしてもどこか共通したものがある。現在の我々の文明から失われたものの一つであろう。

今回私がもっとも衝撃を受けたのは、第3部「エチオピア 旧約聖書の世界」と、第5部「メッカとメディナ イスラーム大巡礼」の各作品であった。メッカのアカバ宮殿や、ムハンマンドの廟墓のある聖地メディナに群集するイスラム教徒たちの様子は、しばしば報道されるので知ってはいたが、通常の日本人の感覚からはかけ離れたパワーが写真を通して響いてくる。またアフリカに初期キリスト教を伝える文化が残ると聞いたことはあったが、エチオピアの標高2500メートルの聖地ラリベラに褐色の肌に白いターバンと衣をまとった人々がクリスマスを祝うため遠隔地から巡礼の旅を重ねて集った群集の姿や熱気を初めて眼にすることが出来た。

またエチオピア北部ティグレ州の絶壁にある無数の岩窟教会と修道士たちの姿は、ローマ帝国の迫害に耐えて信仰を守り続けた初期キリスト教徒の姿を彷彿とさせるものがあった。それらの作品に対する衝撃に近い思いに捉われ、しばし写真の前に釘付けになった。現在世界は混迷の時代を迎えているが、今後世界情勢が危機を脱して良くなるにせよ、再び戦争の暗黒の世界が到来するにせよ、それは机上の政治学や経済学に裏付けられた理念ではなく、宗教的な群集のパワーの進む先にあるような気がする。

 田川建三氏の訃報

そんなことを思っていた8月14日の新聞に、新約聖書学者田川建三氏(大阪女子大学名誉教授)の訃報が掲載された。2月19日に89歳で亡くなっており、ライフワーク『新約聖書 訳と註』全7巻8冊を発行した作品社から半年遅れで公式発表されたようだ。新聞の記事はごく簡単なもので、その後も詳しくその業績を伝える追悼記事は目にしなかった。日本のキリスト教信者は国民の1%にも満たないが、キリスト教文化が支配する西欧文明に憧れをもつ人は極めて多い。その少ない日本人キリスト教界でも異端に属する田川氏への関心が低いのも無理はない。私も田川氏の聖書学やその世界的な評価について詳しくは知ってはいないのだが、数行の訃報で済まされるべき研究者ではないことだけは分かる。

 60~70年代の雑誌・出版文化

田川氏の『イエスという男』(1980年・勁草書房)など主な著作を構成する論稿や評論が掲載されたのは、アカデミックではない、傍流というべきカウンターカルチャーに属する60~70年代の雑誌であった。現在人々の社会意識を左右するのは雑誌や新聞ではなく、SNSなどのネット情報と言われる。

今から半世紀前、田川氏を支えた、現在とは比較にならないほど熱を帯びていた当時の雑誌文化を中心に考えてみたい。聖書学ばかりでばかりでなく、あらゆる研究には主流に対する傍流の存在が大切かと思う。私はクリスチャンではないが、キリスト教書を読むことは好きで、浅野順一氏やカール・バルトの著作にも触れて来た。現在の新教出版社の初代社長で、古書店から出発した長崎書店長崎次郎ことについても調べたことがある。田川建三氏の著作も所持していたはずと調べたら、『批判的主体の形成-キリスト教批判の現代的課題』(1971・三一書房)、『立ちつくす思想』(1972・勁草書房)と共著『はじめて読む聖書』(2014・新潮新書)が出て来た。今回、他の著作も改めて買い求めて読み始めると厳格な聖書学者と思っていたが、強烈な革新的研究者であったのを知った。唯我独尊的な言動も見受けられ、主流派から煙たがれるのも分かるが、そうした異端の研究も受容出来た60~70年代の出版界の懐の深さも感じるのである。

 マルコ福音書

新潮新書『はじめて読む聖書』は田川氏のほか、山形孝夫(宗教人類学)、池澤夏樹(作家)、秋吉輝雄(旧約聖書・古代イスラエル宗教史)、内田樹(仏文学・思想家)、山我哲雄(聖書学者)、橋本治(作家)、吉本隆明(詩人・思想家)の8名に編集者・作家の松家仁之氏が『聖書』についてインタビューしたものである。田川氏の話のタイトルが「神を信じないクリスチャン」で集中一番多くの頁を割いている。この章だけ聞き手が湯川豊氏(元『文学界』編集長、後の東海大学教授など)である。ここで田川氏は分かりやすくこれまでの研究の歩みを語り、自著について触れている。

「マルコ福音書」に特別な思いを抱かれているのは何故かと問われ、大学院で修士論文を書いていたころ「マルコもマタイもルカもろくに区別されていなかったんです。正典ですから、四福音書正典と言って、四つの福音書は別々の著者が書いたものだけれども、同一の真理を表現している。相互に相違、矛盾はない。ローマ教皇からそういう勅令が出ていて、カトリックの人たちは大変だったんです。しかしプロテスタントも大部分はほぼ同じ雰囲気の中にありました。だから、四福音書はそれぞれ違うものです、などと言ったら、すぐに干されてしまいます」。

その点ブルトマンというドイツ人学者は「四つの福音書はそれぞれ別であり、それぞれ異なった意識を持つ人が書いている。そういう当たり前の認識をしっかりと方向づけしてくれ」た。「二〇〇八年の夏に出した『新約聖書 訳と註 第一巻』では、マルコとマタイの翻訳でその違いを細かく指摘する作業をいたしましたが、従来の翻訳がそもそもおかしいんです。マルコのこんなにわかいやすい鮮明な文章が、なんでこんな風に違って訳されてしまうのだろう。それは同じ話をマタイも書いていて、そのマタイの文をマルコに読み込むから、マルコの文を誤訳してしまうのです。そうではない、マルコは同じ話でも全然違う意味のことを言っているじゃないか。だから翻訳そのものをまず直していかなければいけない」のだと。こうした考えは、強烈な現キリスト教界への批判であり、反発を受けた研究だったと想像される。

1_新約聖書訳と註
〇(左)「新約聖書 訳と註 第一巻」作品社
〇(右)「聖書の世界 第5巻 新約Ⅰ」講談社

田川氏の研究の核は「マルコ福音書」の研究にある。その最初の纏まった研究書は、勁草書房から刊行された『原始キリスト教史の一断面 福音書文学の成立』(昭和43年)である。「まえがき」で田川氏は本書の意図を次のように書いている。「原始キリスト教という実態は、普通考えられているよりもよほど幅の広い、複雑な要素のからみあっている実態である」「福音書記者の位置についての考察をぬきにして、原始キリスト教史を描くのは不可能である。その中でも最初の福音書であるマルコは原始キリスト教史の中で一つの改革的な試みを提出している」「福音書という文学類型をマルコが創造するにいたった理由を問う、ということが原始キリスト教史研究の重要な課題なのだ」と。私の基本的なキリスト教理解が足りないことを実感するのだが、現行の『新約聖書』は「マタイの福音書」「マルコの福音書」「ルカの福音書」「ヨハネの福音書」の順に収められている。1970年(昭和45)に田川・八木誠一・荒井献訳で出された『聖書の世界5 新約Ⅰ』(講談社)ではマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの順で、正典の『新約聖書』には収められていない「トマスによる福音書」を本邦初訳(荒井訳)で収めている。

2_原始キリスト教史の一断面
〇「原始キリスト教史の一断面 福音書文学の成立」勁草書房(昭和43年)

昭和43~45年は、既成概念に反抗して全国の大学で学園紛争が過熱していた時代である。勁草書房は『吉本隆明著作集』に象徴されるように当時最も活発な出版社であった。田川氏も「狭いキリスト教世界だけの会話ではなく、クリスチャンであろうとなかろうとだれにでも通用する学問的研究なのだ、という気持を、選んだ出版社によって表現したかったのである」と書いている。後のライフワーク『新約聖書 訳と註』でも勿論「マルコ福音書」が「マタイ福音書」の前に収められている。その解説で田川氏は「マルコ福音書」について次のように書いている。

「史上はじめて書かれたイエスという男の伝記、というよりも、イエスという男の伝記はこれ以外に書かれていない、といった方がいいかもしれない。他の三つの福音書はこれを神の子イエスの地上での顕現の物語に作り変えようと努力したものである」「当時のユダヤ教条主義が支配するおぞましい社会で、それを批判的にはねのけようとしたイエスのさまざまな言動を多く伝えている」「この人(注・マルコ)がイエスの伝記を書こうと思わなかったら、あの人類史上稀に見るすごい人物の姿が後世に伝わらなかったのは確かである。そもそも、イエスの伝記を書くという発想そのものが、マルコの独創であり、彼がそれを実現しなかったら、ほかの人たちがその改作を作ろうなどという気も起こさなかっただろう」。私もそうだが、福音書にこういう問題があることを知る人は稀だろう。そして、野町氏のエチオピアの聖地ラリベラの巡礼者たちの姿が重なるのである。

 イエス伝

田川氏の著作で最も知られるのは『イエスという男 逆説的反抗者の生と死』(三一書房・1980)であろう。私の求めたのは1991年刊行の16刷であるが、「日本の古本屋」に2020年刊行の増補改訂版が出ている。田川氏は冒頭「歴史の先駆者」(第一章逆説的反抗者の生と死)で「イエスはキリスト教の先駆者ではない。歴史の先駆者である。歴史の中には常に何人かの先駆者が存在する。イエスはその一人だった。おそらく、最も徹底した先駆者の一人だった。そして歴史の先駆者はその時代の、またそれに続く時代の歴史によって、まず抹殺されようとする」「イエスは殺された男だ。ある意味では、単純明快に殺されたのだ。その反逆の精神を時代の支配者は殺す必要があったからだ。こうして、歴史はイエスを抹殺したと思った。しかし、そのあとを完全に消し去ることはできなかった。それで、今度はかかえこんで骨ぬきにしようとした」「体制は、その人物を偉人として誉めあげることによって、自分の秩序の中に組みこんでしまう」「イエスも死んだあとで教祖になった」。

これが現在のキリスト教界への大胆な批判であることは素人でもわかる。おそらく批難轟轟であったろうと思うが、滝沢克己は『聖書のイエスと現代の人間 田川建三「イエスという男」の触発による』(1981・三一書房)を刊行している。
興味深いのは、田川氏はこの本の元となった原稿を『歴史と人物』(中央公論社)と『情況』(情況社)に掲載したことである。しかも連載が『歴史と人物』から『情況』へ変わったについては問題が起こったようである。残念ながらその理由を書いた『情況』1974年3月号は所持していない。私の手元に68~70年発行の『情況』が20冊ほどあるが、田川氏が執筆しているのは1970年11月号「特集・市民社会と階級形成」のみである。「平田清明批判=個体性と共同性」と言う論稿で、後に『批判的主体の形成-キリスト教批判の現代的課題』(1971・三一書房)に収録されたものである。
(続く)

3_情況
〇「情況 1970年11月号」情況社
 
 
樽見博
昭和29年生まれ。平成20年から「日本古書通信」編集長。先頃「早く逝きし俳人たち」(文学通信)を刊行、「戦争俳句と俳人たち」(トランスビュー)「自由律俳句と詩人の俳句」(文学通信)とあわせて三部作を完成。

 
 

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日本現代詩歌文学館
レファレンスと蔵書が一体化した「言霊の館」【書庫拝見38】

日本現代詩歌文学館
レファレンスと蔵書が一体化した「言霊の館」【書庫拝見38】

南陀楼綾繁

 5月23日の朝、JR北上駅に着いた。改札口で待ち合わせていた編集担当のHさんとタクシーに乗り、6、7分ほどで「詩歌の森公園」に到着する。その中にある三角屋根の建物が、今回取材する〈日本現代詩歌文学館〉だ。

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★日本現代詩歌文学館の入り口

 ここにやって来たのは、『「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝』(河出書房新社)などの著書がある荒川佳洋さんに勧められたからだ。荒川さんは同館の館報で「現代川柳時評」を連載されたことがあり、同館を訪れたこともあるという。書庫も見学して、「短歌、俳句、詩の本ならなんでも揃っているから行ってほしい」と話してくれた。
 私は文学は好きだが、詩や短歌・俳句にはなじみが薄い。若い頃に詩集に熱中したこともなく、自分でつくったこともない。同館の魅力が理解できるか不安だったが、ちょうど、盛岡市で本のイベント「モリブロ」が10年ぶりに開催されるというタイミングがあり、行ってみることにした。

 館内に入ると、副館長の豊泉豪さんが出迎えてくれた。長身で物静かな感じの方だが、館の話になると、口調に熱を帯びる。
「この館の方針は、詩歌に関する資料ならすべて集めることです。詩歌関係の書籍や雑誌は多く発行されてきましたが、一点ごとの発行部数は少なく、図書館や文学館にも所蔵されていないものが多いです」
 そして、この方針と設立の経緯が不可分に結びついていると、豊泉さんは話す。その意味を理解するために、同館の歴史をたどっていこう(以下、佐藤章『詩歌文学館の出発』一ツ橋綜合財団、『詩歌文学館ものがたり』日本現代詩歌文学館 を参照)。

「文学館戦士」たちの思い

 日本現代詩歌文学館が生まれたのは、詩歌をめぐる人の縁のおかげだった。
 東京で詩の出版社・芸風書院を経営していた萩原廸夫は、これまで集めてきた詩の資料を所蔵する詩歌文学館の設立を構想。これに共感したのが、小学館社長の相賀徹夫だった。
 ここに岩手県出身の詩人・川村洋一が加わり、川村の高校時代の旧友で、毎日新聞の記者として北上支局にいた佐藤章と語り合ううちに、岩手に詩歌文学館をつくろうという話になった。

 1982年の年末、佐藤が北上市長の斎藤五郎に構想を話すと、市長は「うん、いい計画だなあ。検討するべじぁ」という反応を示し、翌年4月には議会で設立が承認された。自治体では普通、考えられないぐらいのスピード感だ。
 斎藤市長の人柄は、多くの人から愛されていた。詩人で同館の振興会理事も務めた白石かずこは「丸顔で元気で、気さくで太陽のように明るい」「愛すべき、すばらしい人間」だったと、斎藤の追悼文で記した(「大いなる太陽、五郎さん」、『詩歌文学館ものがたり』)。
「北上が古くからの宿場町で、人が行き交い、新しいものが好きな土地で江戸時代から俳諧が盛んだったことも、当館が実現した理由かもしれません」と、豊泉さんは話す。
 盛岡市には〈石川啄木記念館〉があり、花巻市には〈宮沢賢治記念館〉がある。それに比して、北上には特別に著名な文学者がいるわけではない。しかし、そのことがかえって「詩歌」という広いくくりでの文学館を可能にしたのかもしれない。

 1984年4月、日本現代詩歌文学館が設立された。その基本理念は次のようなものだ。
「文学の源泉であり、文学上最高の位置に置かれるべき詩歌資料を総合的に収集し、文化財保護の精神をもって二十一世紀以降の次代に継承することを本目的とし、特徴的には、散文中心の施設、また今後全国的に作られるであろう特定文学者の文学館や記念館がなし得ない全国規模の詩歌の総合文学資料館であり、博物館的性格をふくむもの」
 有名無名を問わず、日本全国の詩、短歌、俳句、川柳などの詩歌を対象とし、過去の資料だけでなく、現在やこれから発行される資料も収集対象とすることから、館名に「現代」が入れられた。
 同年4月には日本現代詩歌文学館振興会が設立された。作家の井上靖が最高顧問に就任。文学研究者の小田切進らが顧問となった。翌年には文芸評論家の山本健吉も最高顧問となった。
 井上が最高顧問になったのは、小学館の相賀と親しかったこともあるが、「文学の洗礼を詩によって受けた」という思いが強くあったからだ。彼は晩年にも詩集を出しつづけた。
 10月には、移転した黒沢尻工業高等学校の校舎に、北上市立図書館が入るとともに、日本現代詩歌文学館の仮書庫も置かれた。

 1985年、井上靖の提案を受けて、「詩歌文学館賞」の創設を発表。詩、短歌、俳句の三部門で、その年の最も優れた作品集を選ぶものだ。この賞によって、同館が認知されるようになり、出版社や著者からの献本も増えたという。現在も継続しており、取材した翌日に贈呈式が行なわれた。
「かつては、詩、短歌、俳句の各ジャンル間はほとんど交渉がなかったのですが、同館の設立や文学館賞によって、活発な交流が生まれたと思います」と、豊泉さんは話す。

 1990年、黒沢尻工業高等学校の跡地に、日本現代詩歌文学館が開館した。鉄筋コンクリート造りで一部三階建て。館の前にある碑は井上靖が揮毫し、岩手県出身の彫刻家・舟越保武が設計した。1993年には、文学館に隣接した土地に北上市立中央図書館が開館。文化的施設が集まる場所になった。
 開館までに、市長を辞していた斎藤五郎、山本健吉が亡くなり、開館後の2年間で萩原廸夫、井上靖が亡くなっている。
 佐藤章は詩歌文学館の設立を志した萩原廸夫を「文学館戦士」と呼んだが、ここまで挙げた全員をそう呼んでもいいだろう。彼ら文学館戦士が集まったことで、同館は実現できたのだ。

詩歌に関するすべての資料を

 同館の資料は現在約153万点。そのうち雑誌が75パーセントを占める。詩の形式で分けると、俳句が最も多く、短歌、詩、川柳がつづく。
 しかし、利用者の内訳では、短歌が最も多く、詩、俳句の順になるのが面白い。これは「短歌や詩が原典を参照する傾向があるのに対して、俳句では出典があまり重視されません。庶民の文芸ということで、無名性が強い傾向があるのかもしれません」と、豊泉さんは推測する。
 資料全体の99パーセント以上が寄贈されたものだ。これに関しては、日本現代詩歌文学館振興会の存在が大きい。
 振興会では、各県で活動している詩人、俳人、歌人、川柳作家らを評議員としている。その数は全国で約800名。彼らは同館の存在をアピールしながら、詩歌関係の新刊を寄贈するよう呼びかける。

 この資料の寄贈と深く結びつくのが、レファレンスという役割だ。詩歌の世界では、実作者が同時に研究者である場合が多く、同館の利用者も多くは実作者なのだ。
「ある詩歌がどの雑誌のいつの号に発表されたか、作品集に収録された作品の初出などの問い合わせが多いです。家族が書いた作品を読みたいというご希望もあります」
 別名を使っている場合も多く、調べるのには時間がかかる。半分は県外からの問い合わせであり、それらに丁寧に回答していく。
「当館では、資料寄贈者がレファレンスの利用者であり、また利用者がいずれ資料寄贈者になります。ですから、レファレンス対応が次の寄贈に直結するんです」
 レファレンスの回答をもとに、論文など成果が出れば、それを寄贈してもらう。そうすることで、同館の資料も充実していくのだ。
 特別資料は原稿、色紙、短冊などの自筆資料、写真、筆記具などの遺愛品、約10万点にのぼる。

「1冊1冊は古書店が見向きもしないような雑誌であっても、バックナンバーが揃うと研究資料として大きな価値が生まれるんです」と、豊泉さんは強調する。
 詩歌に関するすべての資料を収集することが、この館の「本質」なのだということが、次第に判ってきた。

村上昭夫と高橋昭八郎

 では、書庫に案内していただく。
 1階の閲覧室には、発行中の詩歌の雑誌がずらりと並んでいる。

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★閲覧室の雑誌コーナー

 その奥の扉を抜けると、書庫がある。雑誌でいうと60~80万冊程度収容できるものだが、現在は余剰本を入れている。
 現在のメインの書庫は、通路を歩いた先にある。2002年に「日本現代詩歌研究センター」として増設されたもので、現在150万冊以上の資料を収容している。書庫のほか、研究室や資料整理用の部屋がある。
 まず、詩に関する資料が収められているフロアへ。雑誌は50音順に配列されている。サイズも厚さもバラバラだ。

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★詩の雑誌が並ぶ棚

 目についた一冊を抜き出すと、『八木忠栄個人誌 いちばん寒い場所』だった。詩人の八木忠栄が出していたもので、一冊ずつ手製本でつくられている。
「少部数のものがほとんどで、製本方法もさまざまです。ホチキス綴じの場合は、保存のために、ホチキスを外して紐で製本し直しています」と、豊泉さん。
 北原白秋らが参加した雑誌『ARS』の創刊号もある。発行した阿蘭陀書房は、白秋の弟の北原鉄雄が興した出版社だ。

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★『ARS』

 あ、『gui』があった。1979年、藤富保男、奥成達、山口謙二郎らが創刊した詩を中心とした同人誌。北園克衛の『VOU』の影響を受けている。
 奥成達は詩人、ジャズ評論家であり、さまざまなペンネームを使って全冷中(全日本冷し中華愛好会)など1970年代のサブカルチャー・シーンで暗躍した。私はあるきっかけで奥成さんにお会いしてから、同誌をずっと送っていただいていたが、ほとんど読まないままだった。

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★『gui』

 この『gui』の表紙を手がけていたのが、詩人の髙橋昭八郎だ。高橋は1933年(昭和8)、北上市生まれ。同地で発行された詩誌『首輪』に参加した。盛岡の印刷会社に勤務し、同館の開館準備に関わる。

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★『首輪』

 豊泉さんは開館の翌年に学芸員となるが、2年後に学芸員が一人だけになって途方に暮れたときに、高橋を訪ねていったという。
「具体的な展示の手法や印刷物のデザインから、企画の立案と推進、文学館の方向性や組織運営のことまで、どんなことでもおもしろがり、一緒に考え、導いてくださいました」と、感謝する。
 高橋の縁で2009年には「詩の姿 藤富保男線描展」を開催。藤富保男もまた『gui』の同人だ。そして、藤富の没後、彼の蔵書が同館に寄贈された。

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★藤富保男蔵書の棚

 高橋昭八郎は、詩人の村上昭夫の友人としても知られる。村上は盛岡のサナトリウムで結核の療養中に高橋と出会い、『首輪』に誘われる。
 村上は1967年、唯一の詩集『動物哀歌』(Làの会)を刊行。編集と装丁を高橋が担当した。村上はその翌年、41歳という若さで亡くなる。

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★『動物哀歌』

 なお、別置されている特別資料には、「村上昭夫コレクション」として、村上が新聞記事を切り抜いたスクラップブックも所蔵されている。
「この熱帯鳥が台風で盛岡にやって来たという記事は、『動物哀歌』に入っている『熱帯鳥』のヒントになったと思います」と、豊泉さんは解説してくれた。

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★IMG_2349 村上昭夫のスクラップブック

『げんげ通信』もある。毎年4月に東京の谷中で開かれる、詩人・菅原克己を偲ぶ会「げんげ忌」の講演などをまとめたもの。発起人である作家の小沢信男さんに誘われて、私も参加するようになった。関係者だけに送られる冊子なので、後で手に入れようと思っても難しい。

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★『げんげ通信』

 ほかにも、岩手県詩人クラブの同人誌『皿』、西脇順三郎や北園克衛が参加した『詩法』(紀伊國屋書店)、稲垣足穂も同人だった『カルト・ブランシュ』など、次々と見つかる。表紙と目次を眺めるだけで、中をゆっくり見る時間がないのが惜しい。

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★『皿』

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★『詩法』

 別の棚には「坂入コレクション」がある。井上靖の研究家で、歌人でもある坂入公一が収集した井上靖のほぼ全部の初版本など約1700点。なかでも、まだ無名だった頃の『流転』(有文堂)は貴重だという。

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★坂入コレクションの棚

俳句と短歌の貴重資料

 別の階には、俳句関係の資料がある。こちらにも大量の雑誌があるが、とても見て回る時間はない。
 まとまった蔵書としては、「山口青邨コレクション」約4万4000点がある。山口は盛岡市生まれ。句誌『夏草』を主宰した。
 妻の山口イソは、こう回想する。
「本が好きで書生時代よりの文庫本、後年俳句ブームの時代まで皆様よりの寄贈の本のかずかず、お手紙なども捨ててはいけないとキツく申され小さな書庫にあふれ、物置も一杯になり下積の方は土に化しさうで、私はそのことに悩む日々でした」(『山口青邨生誕百年展』)
 妻によって保管された資料が、同館の開館直後から寄贈されたのだ。本人の句集、句誌、自筆資料などが中心だが、文学関係の資料も多い。

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★山口青邨コレクションの棚

 なお、同館の真向かいには、〈山口青邨宅・雑草園〉がある。青邨が住んだ東京の杉並区和田本町の家を移築復元したもの。山口は小ぢんまりとした家を「三艸書屋」、庭を「雑草園」と名付け、数多くの句が生まれた。

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★山口青邨宅・雑草園

 また、「中村草田男文庫」もある。句誌『萬緑』を主宰。香西照雄が収集した句集、句誌など約7700点。

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★中村草田男文庫の棚

 さらに別の階に移ると、短歌関係の資料がある。
 雑誌では、短歌の歴史で重要な『馬酔木』と『アララギ(阿羅々木)』の創刊号がある。
「これらは『蕨家資料』として寄託されているものです。千葉の蕨真一郎は『蕨真(けっしん)』という号で『馬酔木』に参加していましたが、1908年(明治41)に蕨が出資して『阿羅々木』を創刊します」と、豊泉さんは説明する。
 特別資料としては、伊藤佐千夫、斎藤茂吉らから蕨真一郎に宛てた書簡も所蔵する。

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★『馬酔木』

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★『阿羅々木』

 また、「近藤芳美コレクション」「塚本邦雄コレクション」もある。どちらも蔵書や著作だけでなく、原稿、ノート、スケジュール帳、写真アルバムなど、かなりの量がある。
 塚本には限定本が多いことでも知られるが、それらは書肆季節社の政田岑生が手がけたものだった。「珠粒本」という豆本のシリーズはそのひとつだ。

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★塚本邦雄の珠粒本

 仙台の古書店〈萬葉堂書店〉の松崎徳勝が寄贈したのが、「尾山篤二郎文庫」と「関登久也文庫」だ。尾山は国文学者で歌人。関は花巻出身の宮沢賢治研究家で歌人。松崎は自身と交流のあった二人の資料を残したくて、これらの資料を収集したという。

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★尾山篤二郎文庫と関登久也文庫

市民に開かれた文学館

 ここまで駆け足で、書庫を見てきた。しかし、ここで紹介した資料は、文学史に名を残す作家や私が知っている人物に限られる。
「有名無名を問わずに」詩歌に関する資料をすべて集めるという同館の方針からすれば、これらは氷山の一角に過ぎない。
 著名ではないが、誰かにとっては重要な作家、雑誌などを探すときに、同館の本当の力が発揮できるという気がする。
「受け入れる資料に制限をかけないのが、この館の本質なんです」と、豊泉さんは断言する。
 詩人の松永伍一は、同館の文学館ができる前にこの地を訪れ、「ここに日本の言霊の集まる聖地ができる」と感動した。
「魂がおのずから寄り集まってきて、そこで言葉による鍛錬ができ、そのことが安らぎとなっていく、そんな空間であってくれれば、日本の各地から言霊に誘われて老若男女が『詩歌巡礼』にやって来るだろう(「みちのくに言霊の館」、『詩歌文学館ものがたり』)

 書庫を出て、2階の展示室に行くと、「ペットと詩歌」という展示が開催中だった。これまで館蔵品をもとにした展覧会のほか、風、震災、温泉、鉄道、食べ物、家族などのテーマで展覧会を開催。毎回図録も刊行する。
 同じ階には、「井上靖記念室」もある。

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★井上靖記念室

 物故作家の資料を展示するとともに、現代作家の新作を募集する。展示が終わると、その作品は同館の新しい資料に加わる。
 同館には無料で入れるため、散歩の途中で立ち寄る人も多い。また、短歌、俳句などさまざまな講座が開かれている。
 開館から35年が経ち、詩歌の世界も大きく変わった。
「いちばん大きいのは結社やグループの時代ではなくなりつつあることです。その一方、文学フリマでは短歌や俳句がかなりの人気があります。当館も盛岡での文学フリマにブースを出して、図録やグッズを販売しています。今後も新しい書き手の作品を収集していきたいです」と、豊泉さんは語る。
 同館では、資料の収集とレファレンス、そして展示が有機的につながっている。今後、詩歌について知りたいことがあれば、まずはここに当たってみたい。

 
 
日本現代詩歌文学館
岩手県北上市本石町2-5-60
https://www.shiikabun.jp/
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

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自由への終わりなき模索_書影

「帯文」を考える――模索舎、激動の2万日をどう100字で伝えるか
(『自由への終わりなき模索-新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店「模索舎」の半世紀』)

「帯文」を考える――模索舎、激動の2万日をどう100字で伝えるか
(『自由への終わりなき模索-新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店「模索舎」の半世紀』)

清原悠(社会学者・模索舎アーカイブズ委員会)

 9月下旬に清原悠編『自由への終わりなき模索――新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店「模索舎」の半世紀』(ころから)を刊行することが決まった。その自著につける帯文を、自分で考えることになった。ええっ、帯文って自分で書くんですか? てっきり誰かに頼むのだと思っていました。まあ、確かに880頁もある本、しかも、2段組とか3段組まである。来月に迫る刊行までに原稿を読んでもらって、素晴らしい帯文を書ける暇人、才人、奇人、変人など、いるはずがない。日本の出版流通史に詳しく、社会運動史にも詳しく、カウンターカルチャー・サブカルチャーにも詳しく、書店論にも明るく、できれば社会的企業にも関心を持ってきた人で、なるべく著名人、100字で核心をつかみつつ7700円もの高価な本を買う意欲をガンガンあおれる文才があって、できたらタダもしくは「薄謝で申し訳ありませんが」で仕事を引き受けてくれる心の広~い人が・・・いるわけない。

 こんなことを書くと、まるで自分以外に適任者がいないと言いたげに思われるかもしれないが、それは大いなる誤解。まず、全く著名人ではない。のぶれす・おぶりーじゅで無償労働ができる身分になった覚えもないです。ジョン・レノンの歌詞も知らなかったくらい音楽には疎いので、「はっぴいえんど」とか「頭脳警察」とか「岡林信康」とか「水玉消防団」とか「水牛楽団」とか「ジュンスカ」とか「ブルー・ハーツ」とか「ZELDA」とか「オフ・ノート」とか本書の中であれこれ語られても、全然話題についていかれなかったです。元舎員へのインタビュー後に、国会図書館にひたすら通って全部調べました(脚注の数だけで700個程あります)。かろうじて演劇はわずかばかり知識があるので、「黒テント」の佐藤信さんが模索舎とどんな絡みがあったのかとか、沖縄の笑築過激団が東京で公演をやったときに模索舎の舎員が出張販売に1週間出向いたとか、新宿紀伊國屋書店の1階と2階のエスカレーターのところで消火器をかけあう「新宿大運動会」があったとかの話は、「へぇ~」とうなずくことができました。そういえば佐藤郁也『現代演劇のフィールドワーク: 芸術生産の文化社会学』(東京大学出版会、1999年)って名著ですよね。あ、他人様の古本(絶版本)の宣伝をしている場合じゃない。

 ミニコミの話もですね、吉本隆明がなぜ人気なのか(だったのか)さっぱり分からないので、『試行』がいかに模索舎で売れ筋だったかとか言われてもピンと来ない。小野田穰二『遠くまで行くんだ』がベストセラーだったと言われましてもね、「どこまでお出かけですか~?れれれのれ~」という感想しかでてきません。『野宿野郎』とか『南米マガジン』とか『HARD STUFF』とか『とほ』とか全く知りませんでした。生きててすみません。あっ、『草の根通信』は大好きでっす!

 じゃあ、社会運動史はどうか。模索舎といえば「新左翼の書店」、「党派」の機関紙で有名ですよね。でもね~、私は新左翼とか詳しくないんですよ、公害問題・住民運動の研究が出発点だったので。模索舎は「のんせくと・らでぃかる」の思想に基づいて作られたということなんですが、セクト(党派)に詳しくないと「のんせくと」の意味合いが定まりません。民青とか、反帝学評とか、社青同解放派とか、戦旗派、叛旗派とか、三派全学連とか、いっぱい出てきます。ところで、サンパって何?全学連って一個じゃなかったの?

 書店論の方はどうか。3年前に「模索舎50年史」のプロジェクトを始めてからは、数多ある「書店本」を読みつつ、時間を見つけては日本各地の本屋めぐりもしてみました。そういう過程を経て、模索舎を改めて調べてみると、際だった特徴があることが分かりました。模索舎は「過激派の書店」ではなく、取次を全く使わない新刊書店という「書店の過激派」だったということが。個人経営ではなく、創業時より共同経営を柱として運営されてきたということが。しかし、書店員になったこともない私が、いかに書店論を語りうるでしょうかね。

 そういうわけで、「帯文」をどうしようか。求められる条件を全部満たして書ける人間はいない、いたらそいつは人間じゃない! じゃあ、いっそのこと人間以外に書かせてみたらいいのでは、ということで生成AIに書かせてみることにしました(タダだしね)。売りどころの一つは段ボール55箱分もの資料を読み解いて歴史をつまびらかにしたこと。それから、舎員経験者を中心に18名にインタビューを複数回行ったこと(延べ44名)。あとは模索舎は社会運動と出版流通の両方にまたがった活動だというところですね。そこで次のようにオーダーしてみました。「次のキーワードを含む本の帯文を作って下さい 社会運動 本屋 表現の自由は流通の自由 共同経営の波瀾万丈の歴史 オーラルヒストリー」。

 「もちろんです!」と調子の良い返事に続けて、帯文案が出てきました。どれどれ、お手並み拝見といこう。

 「表現の自由は、書くだけじゃ守れない――届ける自由があってこそ。」社会運動の熱が渦
  巻いた時代、本屋は闘争の現場だった。単なる商売ではなく、思想の広場として生まれた
  共同経営書店たち。その波瀾万丈の歴史を、当事者達のオーラルヒストリーから堀り起こ
  す。本が、社会を変えようとしていた時代の記録

 むむ、なかなかやるじゃないか、と言いたくなるところ。でも、色々間違っているんだな。まず、模索舎はビラ・ミニコミといった表現物と、立派な装丁の本とをフラットに扱う、つまり表現物の形態の差によるヒエラルキーを否定するところから始まった「書店ならざる書店」だというところ。それにね「本が、社会を変えようとしていた時代の記録」とか言われると、まるで今がそうじゃないみたいですよね。本書は過ぎ去ったニッポン昔話の本じゃないんです。読んだ人の何かを、「今」を変えてくれるだろうこと、これを信じて作った本です。というか、作る過程でインタビューに答えてくれた人、作り手である「私たち(模索舎アーカイブズ委員会)」の何かを確実に変えてくれた本だから、読み手にも響くに違いないと確信が持てた本なんです。生成AI君、キミもまだまだだね。ネットばかりやってないで、もっと本を読みなさい!もちろん、タダ読みは許しまセン!

 さて、振り出しに戻る。帯文案、どうしましょう、というところで紙幅が尽きました。残念無念、続きは「Webで!」ではなく「書店で!!」。
 
 
自由への終わりなき模索_書影
 
書名:『自由への終わりなき模索
   -新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店「模索舎」の半世紀』
編著:清原悠
発行元:ころから
監修:模索舎アーカイブズ委員会
判型/ページ数:A5判/880頁
価格:7,700円(税込)
ISBN:978-4-907239-78-7
Cコード:C0036

2025年9月27日発行予定
http://korocolor.com/book/978-4-907239-78-7.html

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■本なら売るほど1

『本なら売るほど』が本になるまで

『本なら売るほど』が本になるまで

児島 青

 「むさぼり読む」という表現があります。

 私は幼いころ、両親が買い与えてくれた紫式部の伝記を読むのが好きでした。紫式部が、父の藤原為時の赴任に随行し、都から遠く離れた越前で、持参した書物をたちまち読み尽くしてしまい、手持ち無沙汰にため息をつくシーンが、なぜかとりわけ好きでした。

 「むさぼり読んで」「読み尽くす」。

 まるで腹を空かせた怪獣が手当たり次第に喰らい尽くし、尚まだ足りないと吠えているイメージ。私は式部のように才気煥発な子どもではありませんでしたが、幼心に、読書という行為はパワフルなものなのだと感じ、自分もむさぼるように片っ端から本を読んで強い人になりたいと思いました。そんな遠い憧れを、今もまだ追いかけ続けて、気付けば、様々なかたちで本に憧れる人が出てくる『本なら売るほど』という漫画を描いています。この作品を描くに至ったのは、思い返せば奇妙なめぐりあわせでした。

 2020 年ごろから始まった世界規模のパンデミックの最中、接客業を生業にしていた私は(今も漫画と兼業で続けています)、感染対策のためまともに働くことが難しくなり、収入も先が見通せなくなりました。そんな矢先、体に異変を感じて病院に行ったら、そこそこ深刻な病気が見つかったのです。この先何十年、当たり前に生きるつもりで将来の心配をしていた私でしたが、それどころか、このままでは来年この世にいないかもしれない、という現実を知ったとき、急に自分の来し方を思いました。逃げを打つばかりの人生だった気がしました。

 KADOKAWA のハルタという、未知の雑誌の編集部員を名乗る人からメールがあったのは、その半年ほど後です。治療の山場を乗り越え、命拾いした記念に、最後の挨拶のつもりで描いた漫画をネットに放流した直後でした。漫画家という、思いもよらなかった仕事に挑戦する
恐怖がありましたが、死にかけたばかりで少し大胆になっており、何よりお金に困っていたので、恐る恐る連絡を取ってみたのでした。

 それからは、いつ終わるとも知れないボツとダメ出しの日々。私をスカウトした担当編集A 氏はすこぶる頭の切れる人で、私が「なんとなく」描いたぬるいネーム(打ち合わせの叩き台にする漫画の設計図のようなもの)のどこがダメでいかに面白くないか、徹底的に理論で解説してくれました。悔しいことにぐうの音も出ず、「あいつ……スカウトしたくせに……!〇〇歳も下のくせに……!」と、およそ年上らしからぬ幼稚な反感を抱きもしましたが、あるとき一度、「新人に嫌われてしまって辛いんです……」みたいなことを彼がポロっとこぼしたことがありました。思えば、誰より漫画を愛しているのに、面白い漫画を作るためには当の漫画家に嫌われることも言わねばならない、漫画編集者とは因果な商売です。そう、まるで、本を誰より愛しているのに、だぶついた在庫を客の代わりにその手で葬らねばならない古本屋のように……。

 単行本一巻の一話にあたる読切『本を葬送る』を七転八倒して描き上げたとき、そんな担当A 氏が「この作品を担当できたことを誇りに思います」と言ってくれたことは、私の人生の財産の一つになりました。作家の持ち味は否定せず、そのうえでちゃんと「ダメ」を言ってくれる誠実な編集者の伴走があったからこそ、作品を世に出せたと思います。

 私は当初、できれば本をテーマに描きたくないと思っていました。勝手気ままに本を愛でることは、私だけの、誰にも侵されたくない趣味の最後の砦のように思っていましたから。それを仕事にしてしまえば、当然第三者の評価の的になる。私は自分の安息地を食い扶持のために手放してしまうのではないだろうか……そんな怖さを感じていました。しかし商品になり得る漫画を作るということはそう甘いことではなく、時に恐怖心や羞恥心を乗り越えて自分を曝け出し、相手(担当編集者や読者)と殴り合わなければならない土壇場だったのです。試行錯誤を経ましたが、結局、手放したくないものこそが、描けるものだということを思い知りました。

 郊外にポツンとある小さな個人経営の古本屋の雰囲気が好きだったのと、私自身にすこし古物商の経験があったため、主人公は古本屋の店主にしました。彼は、人はいいけどちょっと軽薄で、本は好きだけど店主としてはまだ未熟な青年です。誌面に連載予告が載る直前までタイトルは決まっておらず、仕事帰りの疲労困憊した車中でふと浮かんだ言葉が、そのまま私のデビュー連載のタイトルになりました。

 『本なら売るほど』

 作品の出来はともかくとして、我ながら、それ以上でも以下でもない、絶妙なタイトルをつけたものだと自負しています。

 一冊の本が呼び水となって、次はこれを、その次はあれを……と、どんどん読みたい本が増えてしまう楽しさともどかしさは、読書の醍醐味のひとつではないでしょうか。私の描いた本が誰かにとっての呼び水になれば、こんなに光栄なことはない、と思っています。

 
 

■本なら売るほど1
■本なら売るほど 1
 
■本なら売るほど 2
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発行元:KADOKAWA
判型/ページ数:B6判/194頁
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ISBN:978-4-04-738374-6
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ボックス

自著については語りたくない。が、しかし。
――『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社)

自著については語りたくない。が、しかし。
――『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社)

下平尾 直(共和国)

ひさしく編集者の仕事をしながら、「自著について語る」なんてナンセンスだと、ずーーーーっと思ってきた。語りたいことがあれば、その1冊のなかに注入するために書物にしているのではないのか。あるいは百歩も千歩もゆずったとして、モティベーションにあふれた有為な若い人びと、あるいは自分の業績を何十冊も世に問うてきた大先輩の訓話であればそれもありかもしれない。しかし、こちとらあと3年で還暦というおっさんである。20歳代の感性にはかなわずとも、中年は中年なりの工夫と知恵をふりしぼって、今回、1冊の本を出した。それ以上に何を語ればいいのであるか。恥のおおい半生にまた恥の上塗りといった感がなきにしもあらずである。

 *
ウェブサイト「日本の古本屋」のユーザーやそのメーリングマガジンの読者にどこまで認知されているのか、はなはだ心許ないことであるが、本稿の執筆者は「株式会社 共和国」という、世間でいうところの「ひとり出版社」を営んで、はや12年目になる。これまで90数点の新刊書を出してきたのだが、大きなベストセラーもなく、出せば出すほどマイナーになっていくような気がしてならないレヴェルの零細出版者だ。
にもかかわらず、あろうことか、破廉恥にも、「自著」なるものを出版してしまった。それが7月に刊行された『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社、2025年)である。タイトルからは、自伝やら伝記やら社史のように見られることが多いのであるが、じつはそういうつもりでは書くことができなかった。最初から最後まで読んでくださればわかるとおり、本人としては、「自分を疑え!」をモティーフにした一種の精神史のつもりである。

もともとは昨2024年9月のある夜、コトニ社の後藤亨真さんから「シモヒラオさんの本を出しませんか? 共和国も10周年を迎えたことですし、そんな感じの本を……」うんぬんと教唆煽動され、ついうかうかと引き受けてしまったわけだが、あらためて考えてみたら、「10周年」的な感情が自分には稀薄な気がしてきた。そもそも編集者の仕事といっても、著者訳者の原稿を預かって、読んで、本にするだけである。その本を最善の姿で世に送り出すために原稿に介入したりデザインに口を挟んだりすることは当然だし、会社としての一定の方針やコンセプトみたいなものもある。しかし完成した本はやはり著者や訳者のものであって自分のものではないという疎外感は抜きがたく、存外に大きいのだった。
だから、本書『版元番外地』では、三分の一ほどは独立創業する前後の経緯や、出版社としての動機や社会とのかかわりかた、あるいは出版や編集についての方向性などを書いてコトニ社にたいする義理を果たすことにして、残りの三分の二ほどはまったくの独自路線で稿を進めさせてもらうことにした。勝手なもんであるな。コトニ社には感謝しかない。自分が自分の担当編集者であれば、とっくにキレて絶交していることであろう。

そういうこともあって、この本が実際に出版されてしまうと、依頼から逸脱した本にしてしまった責任をそれなりに追わねばならない気がしてくる。なんといってもコトニ社も新進気鋭の「ひとり出版社」だ。まんいち売れないだとか在庫過剰だとか返本多数だとかの惨状ともなれば、これまで堅実丁寧にビジネスを続けてきた後藤さんとコトニ社の将来に大きな打撃を与えてしまう。それだけはなんとしてでも避けねばならぬ。となれば、自著についてだって語りもすれば、トークイベントなるものだってやりましょう。
で、また、自伝やら伝記やら社史のような路線からおおきく逸脱してしまったとはいえ、拙著は拙著なりにひとつのモティーフで完結させたつもりもある。そのモティーフを実現するために、執筆にあたって筆者が自分に課したいくつかの制約を披瀝してその責めの一端をふさぎたい。

1) コトニ社の意向を裏切ってしまったのであるから、なによりコトニ社に納得してもらえるだけの内容的な充実をめざさねばならない。売れるかどうかはわからないけれども、せめて出版したことを後悔させるような本になってはならないだろう。

2) 自伝でも伝記でも社史でもないとはいえ、自分について書くのであるから、一定の個人に言及せざるをえない局面に遭遇するはずだ。しかし、だれかを誹謗したり中傷したりして他者を貶めるようなことはしない。暴露的なことでしか興味を惹けないような本にするくらいならそこで出版を断念する。自分を大きく見せるようなことになるのであれば、自分をアホにすること。

3) なので、単なるエピソードの羅列ではなく、文体と構成に意を尽くし、全体として最後まで読んではじめて意味がわかるような、一部を読んだだけではなんだかよくわからないもの、AIに安易に要約させえないようなものをめざす。できれば、光と影、静と動、リズムをもちこんで、洋楽ロックアルバムのような書物にしたい。

4) かなしいとかくるしいとか主観の垂れ流しにしない。つねに自分を対象化すること。

ごく一部を列挙してみると、以上のようなことである。これによって「自分を疑え!」という本書の最大のモティーフがどこまで達成できているかは、ぜひ本を手に取ってご自分の目で確かめていただきたい。むろんこの場合の「自分」とは、わたしのことであるけれども、あなたのことでもあってほしい。

 *
しかし、今回こうして1冊の本をまとめながら、われわれ出版社は、なんと因果な不幸の星の下に生まれついてしまったのか、と考えざるをえなかった。よくよく考えなくても、やはり不幸でしかない。というのは、なにもこの共和国という出版社が、こういう本を出して世間にアピールしなければならないほどの零細出版社だからでも、ここまで書き進めていながらやはり「自著を語る」ということが不毛のような気がしてきたからでも、そのいずれでもない。小社であれ、コトニ社であれ、K談社やS学館やI波書店のような大企業であれ、あらゆる出版社が刊行する「新刊」なるものは、それが生まれて市場に流通しはじめた瞬間から「古書」として再流通してしまう宿命を負っているからなのだ。

いや、こう書いたからといって、何もそれをひがんだり恨んだりしているつもりもないのである。実際に拙著でもしばしば肝心なところで古書を利用した。むしろ古書店から古書を購入していなければ、本書は成立しなかったといってもいいくらいだ。内田魯庵訳『罪と罰』やら津田仙『酒の毒』やら中野光風『義民小平次』やら曾野綾子『華やかな手』やら中盛彬『かりそめのひとりごと』やらが、当の筆者よりも輝いているくらいだ。国会図書館にだって所蔵されていない本もかなりある。いわば本書自体が、古書/古書店との共同作業なのだった。

しかし、嗚呼、そんな拙著も、刊行からわずか1カ月ですでに「日本の古本屋」に出品されているではないか……。こうなれば、わたしに1冊でも古書を売ったことがある古書肆のみなさんが、拙著を新刊書店で購入してくださるよう願うしかないのではないか!?
 
 
ボックス
 
書名:『版元番外地――〈共和国〉樹立篇』
著者:下平尾 直
発行元:コトニ社
判型/ページ数:四六判・288頁
価格:3,080円(税込) 
ISBN:978-4-910108-22-3
Cコード:C0095

好評発売中!
https://www.kotonisha.com/project-21

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2025年8月25日 第425号

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☆INDEX☆
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1.『本なら売るほど』が本になるまで
                            児島 青

2.「帯文」を考える――模索舎、激動の2万日をどう100字で伝えるか
 (『自由への終わりなき模索-新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店
 「模索舎」の半世紀』)
           清原悠(社会学者・模索舎アーカイブズ委員会)

3.自著については語りたくない。が、しかし。
 ――『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社) 
                       下平尾 直(共和国)

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

━━━━━━━━━━【自著を語る(344)】━━━━━━━━━━

『本なら売るほど』が本になるまで

                            児島 青

 「むさぼり読む」という表現があります。

 私は幼いころ、両親が買い与えてくれた紫式部の伝記を読むのが好きで
した。紫式部が、父の藤原為時の赴任に随行し、都から遠く離れた越前で、
持参した書物をたちまち読み尽くしてしまい、手持ち無沙汰にため息をつ
くシーンが、なぜかとりわけ好きでした。

 「むさぼり読んで」「読み尽くす」。

 まるで腹を空かせた怪獣が手当たり次第に喰らい尽くし、尚まだ足りな
いと吠えているイメージ。
 
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=23008
 
 
書名:『本なら売るほど 1』
著者:児島 青
発行元:KADOKAWA
判型/ページ数:B6判/194頁
価格:792円(税込) 
ISBN:978-4-04-738107-0
Cコード:C0979

書名:『本なら売るほど 2』
著者:児島 青
発行元:KADOKAWA
判型/ページ数:B6判/194頁
価格:836円(税込) 
ISBN:978-4-04-738374-6
Cコード:C0979

漫画誌『ハルタ』で連載中

好評発売中!
https://www.kadokawa.co.jp/product/322405000881/
 
 

━━━━━━━━━━【自著を語る(345)】━━━━━━━━━━

「帯文」を考える――模索舎、激動の2万日をどう100字で伝えるか
(『自由への終わりなき模索-新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店
 「模索舎」の半世紀』)

           清原悠(社会学者・模索舎アーカイブズ委員会)

 9月下旬に清原悠編『自由への終わりなき模索――新宿、ミニコミ・自
主出版物取扱書店「模索舎」の半世紀』(ころから)を刊行することが決
まった。その自著につける帯文を、自分で考えることになった。ええっ、
帯文って自分で書くんですか? てっきり誰かに頼むのだと思っていまし
た。

まあ、確かに880頁もある本、しかも、2段組とか3段組まである。来月に
迫る刊行までに原稿を読んでもらって、素晴らしい帯文を書ける暇人、才人、
奇人、変人など、いるはずがない。日本の出版流通史に詳しく、社会運動史
にも詳しく、カウンターカルチャー・サブカルチャーにも詳しく、書店論に
も明るく、できれば社会的企業にも関心を持ってきた人で、なるべく著名人、
100字で核心をつかみつつ7700円もの高価な本を買う意欲をガンガンあおれる
文才があって、できたらタダもしくは「薄謝で申し訳ありませんが」で仕事を
引き受けてくれる心の広~い人が・・・いるわけない。

 
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=23445
 
 
書名:『自由への終わりなき模索
   -新宿、ミニコミ・自主出版物取扱書店「模索舎」の半世紀』
編著:清原悠
発行元:ころから
監修:模索舎アーカイブズ委員会
判型/ページ数:A5判/880頁
価格:7,700円(税込)
ISBN:978-4-907239-78-7
Cコード:C0036

2025年9月27日発行予定
http://korocolor.com/book/978-4-907239-78-7.html
 
 
━━━━━━━━━━【自著を語る(346)】━━━━━━━━━━

自著については語りたくない。が、しかし。
――『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社) 

                        下平尾 直(共和国)

ひさしく編集者の仕事をしながら、「自著について語る」なんてナンセン
スだと、ずーーーーっと思ってきた。語りたいことがあれば、その1冊の
なかに注入するために書物にしているのではないのか。あるいは百歩も千
歩もゆずったとして、モティベーションにあふれた有為な若い人びと、あ
るいは自分の業績を何十冊も世に問うてきた大先輩の訓話であればそれも
ありかもしれない。しかし、こちとらあと3年で還暦というおっさんであ
る。20歳代の感性にはかなわずとも、中年は中年なりの工夫と知恵をふり
しぼって、今回、1冊の本を出した。それ以上に何を語ればいいのである
か。恥のおおい半生にまた恥の上塗りといった感がなきにしもあらずであ
る。
 
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=23495
 
 
書名:『版元番外地――〈共和国〉樹立篇』
著者:下平尾 直
発行元:コトニ社
判型/ページ数:四六判・288頁
価格:3,080円(税込) 
ISBN:978-4-910108-22-3
Cコード:C0095

好評発売中!
https://www.kotonisha.com/project-21
 
 
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━━━━━━━━━【書影から探せる書籍リスト】━━━━━━━━━

「日本の古本屋」で販売している書籍を、テーマを深掘りして書影から
探せるページをリリースしました。「日本の古本屋」には他のWebサイト
には無い書籍がたくさんあります。ぜひ気になるテーマから書籍を探して
みてください。
 
「日本の古本屋」書影から探せる書籍リスト
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=13964

━━━━━━━━━━━━━【次回予告】━━━━━━━━━━━━━

新連載スタート!「世界の古本街 見て歩き」(仮題)
執筆:能勢仁(ノセ事務所)

世界58か国を旅した著者が、世界の古書店街をご紹介します。

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書名:『山本武利著作集 メディア・宣伝・諜報の社会史』全十巻
著者:山本武利
発行元:文生書院
判型/ページ数:各A5判・560頁(予定)

『第七巻 米国の対日工作』好評発売中!
https://www.bunsei.co.jp/yamamoto_collection_of_works/

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━━━━━━━━━━【日本の古本屋即売展情報】━━━━━━━━━

2025年8月~2025年9月の即売展情報

https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

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次回は2025年9月中旬頃発行です。お楽しみに!
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*☆ 本を売るときは、全古書連加盟の全国の古書店に ☆*
全古書連は全国古書籍商組合連合会(約1,950店加盟)の略称です

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日本の古本屋メールマガジン その425 8月25日

【発行】
東京都古書籍商業協同組合:広報部・「日本の古本屋」事業部
東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
URL  https://www.kosho.or.jp/

【発行者】
広報部・編集長:藤原栄志郎

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2025年8月8日 第424号

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          古書市&古本まつり 第151号
      。.☆.:* 通巻424・8月8日号 *:.☆. 。
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メールマガジンは、毎月2回(10日号と25日号)配信しています。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

━━━━━━━━━━【シリーズ古書の世界】━━━━━━━━━━

破棄する前に7 山之口貘・高田渡・高田豊・小沢信男(下)
                       三昧堂(古本愛好家)

何時求めたのか、整理しようとした雑誌の中から『現代詩手帖』1978年
4月号「増頁特集=短詩系文学」が出てきた。高柳重信、赤尾兜子、永田
耕衣、三橋敏雄などがまだ存命中で執筆している。そんなことから買って
あったのだろう。頁を開いたら、辻征夫が「桃の花」という詩を寄稿して
いた。辻は前回ふれた小沢信男さんが、その死を惜しんだ浅草生まれで
向島育ちの詩人である。貘や高田親子同様、世渡り不器用な詩人だった。

2006年6月、東京古書会館で開かれた地下室の古書展の折、小沢さんと
坂崎重盛さん、石田千さん三人の記念トークショーが開かれたことがある。
小沢さんは辻との交友について思いを込めて話されたのだが、私は知らない
詩人であったので興味を持ち、その後、詩集やエッセイ集など目につけば
求めてきた。
 
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=23181
 
 
━━━━━━━━━━━━━━【本とエハガキ】━━━━━━━━━━━━━

本とエハガキ(7) 読書エハガキ②寄宿舎読書
                             小林昌樹

学校寄宿舎の読書エハガキ

 戦前、公的施設の記念エハガキが出版されることが多かったことは今までに
述べたが、学校などもそうで、運動会などがエハガキで残っている。ただ、
読書とのからみでいうと、授業中の読書風景などはそう多くない。そのうち
図書館エハガキの関連で学校図書館を紹介することになるだろうが、ここでは
存外に読書風景が多く残っている寄宿舎を紹介する。

 中学校や高等学校など、当時、義務教育ではなかった学校では寄宿舎が用意
された。戦後、大学の教養課程になる高等学校では、原則として寄宿舎に入ら
ねばならなかったくらいである。
 
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=23215

 
 
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━━━━━━━━━━【シリーズ書庫拝見37】━━━━━━━━━━

京都学・歴彩館
本も文書もモノも集める「京都学のセンター」
                            南陀楼綾繁

 3月13日の朝、市営地下鉄烏丸線の北山駅から地上に上がり、南へと歩く。
 右手にはかなり広い更地が広がっている。「ここには何が建つんだろう?」と
ぼんやり考えながら、京都コンサートホールを通り過ぎると、〈京都学・歴彩館〉
(以下、歴彩館)が見えてくる。

 隣には京都府立大学、裏には広大な府立植物園がある。京都府はこのエリアを
「北山文化環境ゾーン」と呼んでいるようだ。
「前身の京都府立総合資料館は、北山駅のすぐ南にあったんです」
 9時の開館と同時に中に入ると、出迎えてくれた資料課の司書・楠久美さんが
教えてくれた。さっきの更地がそうだったのか!
 総合資料館は2016年9月に閉館。後継の歴彩館は同年12月に一部オープンし、
翌年4月にグランドオープンした。
 
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=23307
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一
文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、
図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年
から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」
の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」
の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、
『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』
(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、
編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。
 
 
X(旧Twitter)
https://twitter.com/kawasusu
 
 
━━━━━━━━━━\\大好評発売中!//━━━━━━━━━━

            南陀楼綾繁 著
   
     「書庫をあるく アーカイブの隠れた魅力」

ご好評をいただいている『書庫をあるく』(連載1〜19回収録)は、
今も幅広い読者の皆さまにご支持いただいています。今後の連載と
あわせて、ぜひこの1冊からお楽しみください。

大好評発売中!
https://libro-koseisha.co.jp/history_culture/978-4-7744-0840-8/
 
 
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━━━━━━━━━【書影から探せる書籍リスト】━━━━━━━━━

「日本の古本屋」で販売している書籍を、テーマを深掘りして書影から
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には無い書籍がたくさんあります。ぜひ気になるテーマから書籍を探して
みてください。
 
「日本の古本屋」書影から探せる書籍リスト
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━━━━━【8月8日~9月15日までの全国即売展情報】━━━━━

https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

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ハンズ横浜古本市

期間:2025/07/25~2025/08/28
場所:ハンズ横浜店 7階イベントスペース 
   横浜駅西口 横浜モアーズ7階
URL:https://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

------------------------------
河原町地下古本市

期間:2025/08/01~2025/08/27
場所:丸善京都本店 地下2階 MARUZENギャラリー 
   京都市中京区河原町通三条下ル山崎町251 京都BAL
URL:https://honto.jp/store/news/detail_041000117616.html?shgcd=HB300

------------------------------
ひばりが丘の古本市

期間:2025/08/04~2025/08/11
場所:ひばりが丘PARCO1階 東京都西東京市ひばりが丘1丁目1-1
URL:https://x.com/TOKYOBOOKPARK

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フィールズ南柏 古本市

期間:2025/08/06~2025/08/27
場所:フィールズ南柏 モール2 2階催事場  
   柏市南柏中央6-7(JR南柏駅東口すぐ)

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第2回 夏の古本市・名古屋

期間:2025/08/08~2025/08/10
場所:名古屋古書会館 2階 名古屋市中区千代田5-1-12 
URL:https://hon-ya.net/
URL:
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丸善博多店古本まつり

期間:2025/08/08~2025/09/07
場所:丸善博多店(JR博多シティ8F) 福岡市博多区博多駅中央街1-1
URL:https://x.com/maruzen_hakata/status/1943972978347454890/photo/1

------------------------------
第11回 昆陽古本まつり

期間:2025/08/09~2025/08/17
場所:イズミヤショッピングセンター昆陽 2階催事場 
   兵庫県伊丹市池尻1-1

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第9回 Vintage Book Lab(ヴィンテージ・ブック・ラボ)

期間:2025/08/09~2025/08/10
場所:西部古書会館 杉並区高円寺北2-19-9
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=830

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第38回 下鴨納涼古本まつり

期間:2025/08/11~2025/08/16
場所:下鴨神社 糺の森にて
URL:https://kyoto-koshoken.com/sokubaikai/

------------------------------
BOOK DAY とやま駅

期間:2025/08/14
場所:富山駅南北自由通路(あいの風とやま鉄道中央口改札前)
URL:https://bookdaytoyama.net/

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高円寺均一古本フェスタ by ヴィンテージブックラボ

期間:2025/08/16~2025/08/17
場所:高円寺西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=1270

------------------------------
球陽堂書房メインプレイス店 夏の古書フェア

期間:2025/08/18~2025/09/30
場所:球陽堂書房メインプレイス店 (サンエー那覇メインプレイス2F)

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夏の阪神古書ノ市

期間:2025/08/20~2025/08/25
場所:阪神梅田本店8階 催事場 大阪市北区梅田1丁目13番13号
URL:https://web.hh-online.jp/hanshin/contents/hsst/hsst05/detail/2025/07/post_33.html

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BOOK & A(ブック&エー)

期間:2025/08/21~2025/08/24
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9  
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=843

------------------------------
川崎古本まつり

期間:2025/08/21~2025/08/27
場所:アゼリア サンライト広場  JR川崎駅・京急川崎駅直結
URL:https://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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ぐろりや会

期間:2025/08/22~2025/08/23
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
URL:https://www.gloriakai.jp/

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第55回古本浪漫洲 Part.1

期間:2025/08/28~2025/08/30
場所:新宿サブナードジャングルスカイ広場(催事場)  
   新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111
URL:https://furuhonromansu.kosho.co.jp/

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杉並書友会

期間:2025/08/30~2025/08/31
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9  
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=619

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第55回古本浪漫洲 Part.2

期間:2025/08/28~2025/08/30
場所:新宿サブナードジャングルスカイ広場(催事場)  
   新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111
href=”https://furuhonromansu.kosho.co.jp/”>https://furuhonromansu.kosho.co.jp/

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第55回古本浪漫洲 Part3

期間:2025/08/28~2025/08/30
場所:新宿サブナードジャングルスカイ広場(催事場)  
   新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111
href=”https://furuhonromansu.kosho.co.jp/”>https://furuhonromansu.kosho.co.jp/

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フジサワ古書フェア(9月)

期間:2025/09/04~2025/10/08
場所:有隣堂藤沢店4階ミニ催事場  J
   JR・小田急藤沢駅南口フジサワ名店ビル4階

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東京愛書会

期間:2025/09/05~2025/09/06
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
URL:http://aisyokai.blog.fc2.com/

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五反田遊古会

期間:2025/09/05~2025/09/06
場所:南部古書会館 品川区東五反田1-4-4
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=567

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第55回古本浪漫洲 Part.4

期間:2025/09/06~2025/09/08
場所:新宿サブナードジャングルスカイ広場(催事場)  
   新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111
href=”https://furuhonromansu.kosho.co.jp/”>https://furuhonromansu.kosho.co.jp/

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高円寺均一まつり

期間:2025/09/06~2025/09/07
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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第55回古本浪漫洲 Part.5(300円均一)

期間:2025/09/06~2025/09/08
場所:新宿サブナードジャングルスカイ広場(催事場)  
   新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111
href=”https://furuhonromansu.kosho.co.jp/”>https://furuhonromansu.kosho.co.jp/

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松菱古本市

期間:2025/09/10~2025/09/15
場所:松菱百貨店 6階催事場 三重県津市東丸之内4-10

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第156回 倉庫会 古書即売会

期間:2025/09/12~2025/09/14
場所:名古屋古書会館 2階 名古屋市中区千代田5-1-12 
URL:https://hon-ya.net/

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書窓展(マド展)

期間:2025/09/12~2025/09/13
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=571

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第56回 鶴屋古書籍販売会

期間:2025/09/12~2025/09/15
場所:鶴屋本館6階会場 熊本県熊本市中央区手取本町6-1

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好書会

期間:2025/09/13~2025/09/14
場所:西部古書会館 杉並区高円寺北2-19-9
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=620

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日本の古本屋メールマガジンその424 2025.8.8

【発行】
 東京都古書籍商業協同組合:広報部・「日本の古本屋」事業部
 東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
 URL  https://www.kosho.or.jp/

【発行者】
 広報部・編集長:藤原栄志郎

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京都学・歴彩館
本も文書もモノも集める「京都学のセンター」【書庫拝見37】

京都学・歴彩館
本も文書もモノも集める「京都学のセンター」【書庫拝見37】

南陀楼綾繁

 3月13日の朝、市営地下鉄烏丸線の北山駅から地上に上がり、南へと歩く。
 右手にはかなり広い更地が広がっている。「ここには何が建つんだろう?」とぼんやり考えながら、京都コンサートホールを通り過ぎると、〈京都学・歴彩館〉(以下、歴彩館)が見えてくる。

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★京都学・歴彩館の外観

 隣には京都府立大学、裏には広大な府立植物園がある。京都府はこのエリアを「北山文化環境ゾーン」と呼んでいるようだ。
「前身の京都府立総合資料館は、北山駅のすぐ南にあったんです」
 9時の開館と同時に中に入ると、出迎えてくれた資料課の司書・楠久美さんが教えてくれた。さっきの更地がそうだったのか!
 総合資料館は2016年9月に閉館。後継の歴彩館は同年12月に一部オープンし、翌年4月に
グランドオープンした。
「一部オープンのときは、まだ資料の半分くらいしか運べてなかったんです」と、楠さんは当時の大変さを語る。
 歴彩館があるのは府立大の敷地で、建物には同大の図書館や研究室も同居する。隣には同大キャンパスがあるので、昼は大学食堂で安く食べられた。
 建物は地上4階・地下2階。2階には350席という広い閲覧スペースがあり、開架の資料も充実している。ここだけでも一日中いられそうだ。

京都資料の幅広さ

 資料課で公文書を担当する(当時)若林正博さんと合流して、地下の収蔵庫へと向かう。
 同館は図書資料、古文書のほか、美術工芸や歴史民俗の資料、つまり現物(モノ)も収集している。だから、「書庫」ではなく、「収蔵庫」なのだ。
 2023年現在の資料の総点数は、約88万点。内訳は図書資料が約41万6000点、文書資料が約40万9000点、現物資料が約5万5000点となる。
 これがすべて京都に関する資料とその関連資料というのだからすごい 。ここは図書館、文書館、博物館の3つの機能を備えた「京都学のセンター」なのだ。
 まずは地下1階から案内していただく。

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★地下1階の収蔵庫

 左側には京都資料が並ぶ。ここにある資料の多くには、京都の意味の「K」のラベルが貼られている。これ以外に、後で触れる旧京都府立京都図書館時代 の蔵書もある。
 行政、歴史、地理、教育、美術……。当たり前だが、どの分野も京都に関する資料だけを集めている。それなのに、これだけ多くの棚を占めているということは、やはり京都には歴史の厚みがあるのだ。

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★地域ごとの資料が並ぶ棚

 私が関心を持つ出版史の棚もある。『京都出版史』『京阪書籍商沿革史』『茶道ジャーナリズム六十年』『藤井文政堂板木売買文書』……。そそられる並びだ。

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★出版史関係の棚

 精神科医・平澤一の書物エッセイ『書物航游』(新泉社)もある。中公文庫版で読んだはずだが、京都に関係あったっけ? 手に取ってみると、京都の古本屋との交流を描いた「古本屋列伝」が収録されている。
「ここに私の祖父が出てきます」と、若林さんが云うので驚いた。

 若林さんの祖父・若林正治は、幕末から続く京都の〈伏見春和堂〉という古書肆の主人で、反町茂雄や書誌学者の川瀬一馬とも親交があったという。
「当時の実家 は和本だらけでした」と、若林さんは幼い頃を振り返る。長じて古典籍担当の学芸員になる運命だったのかもしれない。
 なお、若林正治は旧制第三高校の生徒だった頃から半世紀にわたって、洋学史資料を収集。そのコレクションは現在、〈神田外語大学附属図書館〉に収蔵されている(他の資料と合わせ「神田佐野文庫」と呼ばれる)。2022年4 月、歴彩館での企画展「明石博高 京都近代化の先駆者」で、この若林コレクションの里帰りが実現した(『若林コレクションの里帰り 神田佐野文庫貴重資料』神田外語大学附属図書館)。

 芸能の棚に移動すると、戦前から戦後にかけての歌舞伎の「吉例顔見世興行」や、松竹などの喜劇・軽演劇のパンフレットなどがずらりと並ぶ。

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★吉例顔見世興行のパンフレット 1933年(昭和8)

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★喜劇・軽演劇のパンフレットの棚

 教育関係で目に付いたのは、府内の学校誌や生徒の卒業文集・作文集だ。こういう資料は後になって集めようと思うと大変だ。

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★卒業文集・作文集の棚

本以外の資料も大量に

 隣のブロックを見ていると、大量のスクラップブックが並ぶ棚があった。京都新聞など地元紙の連載から切り抜いたものだ。

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★スクラップブックの棚

 また、写真のアルバムが並ぶ棚もある。『京都行幸写真帖』と題されたファイルを開くと、1940年(昭和15)に昭和天皇 が京都に行幸した際の写真が1枚ずつ入っており、手書きのキャプションが付されている。

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★『京都行幸写真帖』 より

 さらに、府内の住宅地図が大量に並ぶ棚もある。各区のものが年代順に揃っているので、店や施設の消長を突き止めようとする際には便利だ。

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★住宅地図の棚

 地図と云えば、同館には吉田初三郎が描いた鳥観図が280点近く 所蔵されている。そのうち40点 は京都を舞台としたものだ。吉田は祇園で生まれ、各地の鳥観図を手がけたが、昭和10年代に京都に帰って亡くなったという。
 そのなかから、『都ホテルを中心とせる洛内外名所交通鳥観図』(1928)を見せていただく。その美しさに息をのむ。都ホテルがやたら大きいのが面白い。

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★吉田初三郎の鳥観図

 吉田の鳥観図を寄贈したのは、京都在住の朏(みかづき)健之介 だ。朏は郷土人形のコレクターで、総合資料館 の開館の翌年である1964年から何度かに分けて、収集してきた郷土人形や玩具を寄贈。その数は約1万2000点にのぼるという。
 さらに奥に進むと、他とは異なる請求記号の一群が並ぶ棚がある 。これらは旧京都府立京都図書館の蔵書を引き継いだものだ。

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★旧京都府立京都図書館時代の図書が並ぶ棚

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★『京都教育』

「『京都教育会雑誌』は明治14年創刊 で、何度か誌名を変えて『京都教育』となります。
これだけまとまって揃っている館はほかにありません」と、楠さんは説明する。
 欠けている号は、古書店で購入する。〈みやこめっせ〉で開催される「春の古書大即売会」に出向いて探すこともある。
「これは持っていないかもというものはいったん確保しておいて、スマホがなかった時代は、近くの府立図書館に走って所蔵をチェックしたりしました (笑)。欠号が埋まると嬉しいですね」と楠さんは話す。即売会はこんな本が出ていたと知ることができるので勉強になるとも。
 別のブロックには、雑誌がまとまっている。この中にも貴重なタイトルが多い。
 ひとつ選んで見せてもらったのは、『技藝倶樂部』だ。京都の花柳界の雑誌で、グラビアには芸妓の踊りの写真などが掲載されている。

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★『技藝倶樂部』

総合資料館から歴彩館へ

 書庫めぐりの途中だが、ここで歴彩館の開館に至るまでの経緯を見ておこう(『総合資料館40年のあゆみ』京都府立 総合資料館)。
 1963年11月、左京区下鴨半木町に京都府立総合資料館がオープンした。
 開館直前の「京都新聞」では、大きな写真や図解でこの館の全容を伝える。「一度に三千人利用」「書庫には二十万冊」という見出しが躍る。
 16日には一般公開を開始。開館の1時間前から行列ができ、夕方までに約3000人が来館したという。最初の展示は、風俗研究家・吉川観方が集めた京都の風俗資料だった。

 館の目的は「京都に関する資料等総合的に収集し、保存し、展示して調査研究等一般の利用に供するため」というものだった。
 初期のコレクションは、「吉川観方コレクション」(約1万5000点)、先に触れた「朏コレクション」、そして、和楽器界の老舗である佐竹藤三郎から寄贈された和楽器117点の「佐竹コレクション」の3つだった。
 1967年、京都府が教王護国寺(東寺)に伝わった「東寺百合文書」を文化財保護の目的で購入。奈良時代から江戸時代中頃までの約900年にわたる文書である。同館で整理が進められ、1980年に重要文化財、のちに国宝に指定された。
 1968年には、京都府開庁100年を記念して、京都府百年史の編纂事業を開始。同館に百年史編纂室が設置された。同室では『京都府百年の年表』全10巻、『京都府百年の資料』全9巻などを編纂した。

 編纂事業の終了した1972年には、同館に行政文書課が置かれ、明治以来の府庁文書が移管された。その一部は重要文化財に指定されている。
 2000年には、京都府立図書館との間で機能と蔵書の分担を行なうことになり、一時休館したうえで、蔵書の約半分にあたる政治、経済、自然科学、文学などの一般書を府立図書館に移管。
 翌年の再開館後は、「京都に関する専門資料館」として、「京都の歴史、文化、産業、生活等の諸資料(図書、古文書、行政文書、写真資料、近代文学資料等)を重点的に収集・整理・保存」するものと定義した。
 なお、資料の増加にともない、1971年には第2収蔵庫、1973年には第3収蔵庫が設置された。それでも収納スペースは足りなくなる一方だった。
「歴彩館が開館してからは、書庫の環境はずいぶんよくなりました。以前は空調も入っていませんでした」と、楠さんは云う。

府立図書館と湯浅半月

 総合資料館の蔵書には、旧京都府立京都図書館時代 から引き継いだものが含まれている。
 同館は1898年(明治31)、京都御苑内に開館した。1904年(明治37)に館長となったのが、聖書学者としても知られる湯浅半月(吉郎)である。
 湯浅は群馬県安中に生まれた。兄の治郎は福沢諭吉の影響を受け、私設図書館〈便覧舎〉を開設した(「明治の文化人 湯浅半月」1~3、『総合資料館だより』第117~119 号、1998年10月~1999年4月)。
 そうした縁もあり、図書館への情熱を持った湯浅は、アメリカの図書館事業を視察している。1909年(明治42)に左京区岡崎で開館した新図書館には、日本最初の児童閲覧室を設置した。

 湯浅はまた、旧来の書籍を死蔵するだけの「古代的図書館」を批判し、書庫を開放して本を自由に閲覧できる「近世的図書館」をめざした(高梨章「半月湯浅吉郎、図書館を追われる」、日本図書館文化史研究会編『図書館人物伝』日外アソシエーツ)。
 浅井忠ら洋画家の「二十日会」のメンバーだった湯浅は、図書館で展覧会を開催するなど、「文人的・趣味的ネットワークを介した図書館活動」を行なった。
 また、湯浅は京都の郷土史に関する貴重書を購入し、それらをもとに1914年(大正3)から『京都叢書』全16巻が刊行された。

 湯浅を支えた館員が、のちに宮武外骨とともに浮世絵研究を行なう井上和雄と、森鷗外の末弟で江戸時代の書誌学を研究した森潤三郎だったという事実は興味深い。その森が編集し、井上も寄稿したのが、京都の古本屋〈細川開益堂〉の雑誌『ほんや』だった。
 しかし、図書館に関する先見の明が理解されなかったからか、官僚主義からのやっかみのせいなのか、湯浅は1916年(大正5)に館長を辞任して、早稲田大学図書館顧問となった。
 こうして沿革をたどってみると、歴彩館が所蔵する資料は、さまざまな来歴を経て集まってきたものであることが判る。収蔵庫のなかには、それらの資料がいわば地層を成すように並んでいるのだ。

科学史家の脳内を再現した吉田文庫

 書庫に戻ろう。
 同館には、10以上の特別文庫や資料群があるが、最も分量が多いのが「吉田文庫」(「吉」は正式には「つちよし」)だ。京都大学名誉教授の吉田光邦の蔵書約3万3000点 のコレクションである。
 吉田光邦は1921年(大正10)、愛知県西春日井郡生まれ。京都大学理学部宇宙物理学科卒業後、同大人文科学研究所の助手となる。
 判りやすい専攻は「科学技術史」で、『江戸の科学者』(講談社学術文庫)という著書もあるが、著作目録を見ると、『ペルシャのやきもの』『京都の美と魅力』『ものと人間の文化史 機械』『万国博覧会』『田沼意次 都市と開発の時代』『イスラム 歴史と親交』など多岐にわたっている。『明治大正図誌』(筑摩書房)の海外編、『図説万国博覧会史1851-1942』(思文閣出版)など、編者としての仕事もある。いわゆる「京都学派」らしいジャンル横断ぶりだ。

 京都の古書店〈キクオ書店〉の前田司は、店番をしていた母から「黒い鳶のマントを着たいかつい顔の初老の人」から「洋書の本を片っ端からぬいては、値だけを見て一冊も買わんと帰っていったんえ」と聞かされる。
 セドリ屋ではと疑ったが、後日、助手の横山俊夫が買い付けに来たことで、吉田光邦だと判明したという。前田は吉田の研究会に参加し、その自由で活発な雰囲気に興奮する。そして、吉田の資料収集の手伝いを買って出る。

「先生はご研究のテーマを決められると、まずその分野の古今東西の文献を収集される。(略)先生の収集される文献はその時点では古書市場で誰も買わず石ころのように安価に転がっているものが多かったのである。他店を訪ねても、その多くは柵の下の方でホコリにまみれていた。(略)そして何よりも痛快なのは、こうして収集が一段落し、先生の論文や著書が発表されるや、この集めた古書の値がえらく高くなっていくのである」(「『吉田文庫』に寄せて」、『吉田光邦 両洋の人 八十八人の追想文集』思文閣出版)

 1991年、吉田は70歳で亡くなる。京大の横山俊夫は、友人の岡本道雄を案内して吉田の自宅の書庫に入る。
「本の密林であった。しずまった空気のなか、棚ごとに前後二重にならべられ溢れでている本の背の列、さらにその上のすきまごとに横積みにさしこまれた本が幾重もの庇のように影を落としている。それらが両側から迫るいく筋かの細長い通路。腹部を両手で押さえながら蟹歩きされる岡本先生を、本のなだれが圧しつぶさないかと気が気でなかった」(「吉田文庫の誕生」、『吉田光邦 両洋の人』)

 横山や研究者、編集者らが中心となって蔵書の行く先を考えた結果、翌年、長男の吉田茂博から京都府に蔵書が寄贈された。それを「吉田文庫」として、総合資料館で受け入れることになったのだ。
「資料の配置は、先生独自の分類体系を生かすため、元吉田邸における配置場所、序列を保つことに留意し、部屋毎にラベルを色分けし、通番を付して元の配架順を再現している」(文献課「〈業務報告〉吉田文庫について」、『資料館紀要』第25号、1997)
 そうすることで、吉田光邦の「頭の中」を再現しようとしたのだ。
 このような配列の先例には、〈京都市国際交流会館〉の「桑原武夫記念室」や〈明治大学図書館〉の「林達夫文庫」があったという。桑原武夫記念室に関しては、2017年に蔵書の一部を勝手に廃棄したことで問題となった。

 そういう経緯を知ったうえで棚を眺めると、たしかに、どの本のための資料だったのかがおぼろげに判って面白い。同じことを、井上ひさしの蔵書をもとにした山形県川西町の〈遅筆堂文庫〉でも感じた。
背表紙が気になって、『黒い魔術 或る発明家の運命』(天然社)という本を抜き出してみると、G・ビルケンフェルトという作家の小説だった。
 吉田文庫の設置にも関わったキクオ書店の前田司が、「しかし正直申せば、この『吉田文庫』をこのまま古本屋にすれば商売繁昌は間違いないと、はばかりながら町人の感覚がそう思わせるのである」と、まさに本音を漏らしているのもいい。

吉田文庫 (1) 
★吉田文庫の棚

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★『黒い魔術』

 図書・雑誌のほかには、パンフレット、ポスターなどがある。パンフレットは「博覧会」「音楽」「演劇」などとテーマごとに袋に入れて棚に並べられている。

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★吉田文庫のパンフレットの棚

「万国博1970」と題された袋の中には、大阪万博における「鉄鋼館」「三菱未来館」「三井グループ館」などのパビリオンの資料や、前年に発行された『日本万国博中学生ニュース』が入っていた。

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★大阪万博のパンフレット

 また、吉田が収集した技術・工芸・美術関係の現物資料もある。たとえば、西南アジアの陶磁器や織物、中国の漆器、年画・絵馬、現代作家の版画、人形、置物、仮面など、これまた多岐にわたるという。
 吉田文庫は現在は収蔵庫に入っているが、総合資料館時代には開架されていた。そこで開催されていたのが、「半木半読会」(半半会)だった。誘いの言葉にはこうある。
「本好きが、みずから選んだ本を手に、半ばわかったつもりのことを半時ほど語り、聴く人また半時ほどそれに応えるという小さな会―そんな集まりがあればとの巷の声に、下鴨の半木町にある京都府総合資料館が、月にいちど場所を提供するとの、いきなはからい。そこで会の名はおのずと『半木半読会』略して『半半会』に、開催日は各月(隔月か?)の半ばと決まりました」

 第1回は1997年2月に開催。話者は吉田の本を出版した淡交社の臼井史朗が「編集者の懺悔」と題して話した。
 こういったサロン的な会は、吉田研究室の闊達な雰囲気を再現しようとしたものだろうが、じつに京都っぽいなあと感じる。町人による知的なサロンの伝統があるのだ。
 半半会はいつまで続いたのだろう? 歴彩館でも吉田文庫の蔵書を閲覧室に持ち出すなどして、半半会を再開したら面白い人たちが集まりそうだ。

戦災を逃れた資料も

 ほかのコレクションについても、駆け足で見ていこう。
「石井資料」は、大宝印刷の社長だった石井喜太郎が収集した印刷関係資料。印刷業界の雑誌や実物見本など約1000点。

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★石井資料の棚

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★チラシやレッテルのスクラップブック

「河上肇文庫」は、京都にゆかりの深いマルクス経済学者・河上肇の著作や原稿・ノート類、執筆した新聞・雑誌、書簡や写真など約800点。河上についての研究書もまとまっている。

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★河上肇文庫

「佐々木惣一資料」は、憲法学者の蔵書や原稿、約1400点。河上肇や寺田寅彦を含む知人からの書簡、講演速記録などもある。

佐々木惣一 (1)
★佐々木惣一資料

 近代文学関係では、関西文壇の資料を集めた「天眠文庫資料」、歌人・吉井勇の原稿など
約4500点の「吉井勇資料」などがある。
 廊下を挟んだところにある扉を開けると、そこは貴重書庫だ。和本や吉田文庫の貴重書、古い「京都新聞」などが収められている。

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★貴重書庫の和本の棚

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★吉田文庫の準貴重書

 俳人・俳諧研究家として活躍した伊藤松宇が集めた、貴重な連歌俳諧書もある。このコレクションは、1945年(昭和20)の東京大空襲で焼失したと思われていたが、近年、総合資料館 に寄贈された資料を調査したところ、伊藤松宇のコレクションの一部だと判明したという。

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★連歌俳諧書の棚

 壁際になにやら岡持ちのようなものが置かれている。「これは何ですか?」と訊くと、若林さんから「カチョウヨウリャクの函です」という謎の言葉が返ってきた。
『華頂要略』は京都青蓮院の寺誌で、本篇170巻169冊、附録44巻41冊 という膨大なものだ。それを収めていたケースらしい。

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★『華頂要略』のケース

 この貴重書庫に収められた資料は順次デジタル化され、同館の「歴史資料アーカイブ」で公開される。

西山文庫のボックス資料

 やっと地下1階を見終わった。大量の貴重書を目の当たりにして、ちょっと食傷気味……なのだが、まだ地下2階がある。
 このフロアには、新聞や官報 、官公庁資料 などが収められている。ここには、同館が受け入れた最新の大型コレクションがある。
 それが「西山文庫」だ。なにしろ、2023年に受け入れたばかりなのだ。

 西山卯三は、1911年(明治44)、大阪市生まれ。京都帝国大学建築学科を卒業後、建築家として活動。住宅学者として、日本の住まいやまちづくりについて考えつづけた。『これからのすまい』『住み方の記』など著書も多い。旧制中学時代を回想した『大正の中学生』(彰国社)は、私の好きな本だ。
 1994年に83歳で亡くなると、同僚や教え子の尽力により、1997年に京都府木津川市で「西山文庫」を開設。のちに〈NPO法人西山夘三記念すまい・まちづくり文庫〉として、資料の整理・公開を行なってきた。

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★西山文庫の棚

 しかし、所蔵資料は経年的劣化の恐れがあり、「恒久的で安全な保管と広範な永続的公開」を望める機関として、歴彩館に寄贈された(「西山卯三と昭和のすまい・まちづくり展」パンフレット、歴彩館、2024)。京都は学生時代から西山が住んだまちであり、後半生は歴彩館のある下鴨の地を終の棲家としたという縁もあった。
 西山文庫の資料は以下のようなものだ。
「書籍・報告書・雑誌(約8500点)、手書き原稿・メモ・調査研究資料(約650ボックス)、著作原画(約70冊のクリアホルダー)、スケッチブック(約120冊)、写真ネガフィルム・スライド(約10万コマ)、日記・日誌・旅行ノート・講義ノート・学習ノート(約400点)、手紙・はがき・名刺(約45ボックス)」
 この引用だけで、じつにさまざまな形態があることが判る。整理するのには骨が折れただろう。
 建築関係の書籍や雑誌がずらりと並ぶ棚も壮観だが、テーマごとに分類されボックスに収められた調査資料が貴重だ。
 西山らが代表委員となり、1971年に結成された「京都市電をまもる会」のボックスは、棚の2段以上もあった。

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★ボックス資料の棚

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★「京都市電をまもる会」関係の資料

 ちょうど西山文庫の整理作業をしていた職員の 松田万智子さんにお会いすることができたが、「他のどこにもない手書きの資料が多いのが、西山文庫の面白さだと思います」と話してくれた。
 西山のスケッチの素晴らしさは、2017年に京橋の〈LIXILギヤラリー〉で開催された「超絶記録! 西山夘三のすまい採集帖」展で味わうことができたが、ここにはその現物がずらりと並んでいる。
「京都」と題されたスケッチブックを見せてもらうと、国際ホテルから見た比叡山や、嵐山が描かれている。

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★西山卯三のスケッチブックより

 また、「安治川物語」という一冊には、ユーモラスな絵が見つかった。これは遺稿となった『安治川物語』(日本経済評論社)のためのスケッチだろう。

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★「大和川堤での昼食」と題されたスケッチ

 ボックス資料には、1970年の大阪万博に関するものもある。
 西山研究室の助手だった広原盛明は、『評伝・西山卯三 20世紀の「すまい」を創った建築家』(京都大学学術出版会)で、大阪万博会場計画は西山にとって「苦い思い出」になったと評している。当初、会場計画の原案は西山と丹下健三が担当するはずだったが、結果として西山は外されたという。
 これを書いている2025年8月には、二度目の大阪万博が開催中だ。
 歴彩館では4月~6月に「EXPO 1851→2025」という企画展を開催。吉田文庫や西山文庫の博覧会関係資料が展示された。吉田光邦と西山卯三という専門もおそらく思想も異なる二人が、万博というテーマで結びついたのだ。
 展示というかたちで資料を生かす館の意義を、改めて認識させられる。

コレクションが生きる場所

 総合資料館の時代から、企画展、常設展、シンポジウム、講座などにより、情報発信の取り組みがされてきた。歴彩館になってもその姿勢は変わらない。
 企画展、資料紹介コーナー、京都学ラウンジパネル展などの展示、京都を学ぶセミナー、
京都学ラウンジミニ講座、資料に親しむ会などの講座、本を交換する「本の環」と同時開催の飲食イベントなど、じつに多彩だ。

 10月には、京都の本屋や出版社が出店する「下鴨中通ブックフェア」も開催する。こんなブックイベントまでやっていたのか! 「今年も開催する予定です」と楠さんは云う。歴彩館と京都府立大学前の広場 にずらりとブースが並ぶ光景は見ものだろう。私も参加したい。
 歴彩館のオープンから9年。収蔵庫の状況はどうなのだろう?
「スペース的にはまだ少し余裕がありますが、年に4000~5000点増加しているので、固定書架はもう満杯です」と、若林さんは苦笑する。

 同館には、ほかに所蔵されていない1点ものの資料が多く、現物資料も収蔵する。
「京都を舞台にしたアニメ『けいおん』のポスターや、京都府のキャラクター『まゆまろ』の手ぬぐいも収集しています」
 京都に関するものなら、とにかくなんでも収集対象になるのだ。
「地域の郷土誌は継続的に集めています。ぜひ当館に寄贈していただきたいです」と、二人は口を揃える。
 こんなに熱心な司書・学芸員がいる館だったら、自分のコレクションを預けたいと思う人は多いのではないか。

 取材のあと、閲覧室で同館の広報誌や紀要をざっと見る。久しぶりに調べものの快感を味わってから、シェアサイクルに乗って古本屋めぐりへと向かう。今夜は新刊書店〈誠光社〉でのトークイベントに出演することになっている。京都の本の文化に親しむ一日となった。

 
 
京都府立京都学・歴彩館
京都府京都市左京区下鴨半木町1−29
https://rekisaikan.jp/
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

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ISBNコード:978-4-7744-0840-8

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廃棄する前に7
山之口貘・高田渡・高田豊・小沢信男(下)

廃棄する前に7
山之口貘・高田渡・高田豊・小沢信男(下)

三昧堂(古本愛好家)

何時求めたのか、整理しようとした雑誌の中から『現代詩手帖』1978年4月号「増頁特集=
短詩系文学」が出てきた。高柳重信、赤尾兜子、永田耕衣、三橋敏雄などがまだ存命中で
執筆している。そんなことから買ってあったのだろう。頁を開いたら、辻征夫が「桃の花」という詩を寄稿していた。辻は前回ふれた小沢信男さんが、その死を惜しんだ浅草生まれで向島育ちの詩人である。貘や高田親子同様、世渡り不器用な詩人だった。2006年6月、東京古書会館で開かれた地下室の古書展の折、小沢さんと坂崎重盛さん、石田千さん三人の記念トーク
ショーが開かれたことがある。小沢さんは辻との交友について思いを込めて話されたのだが、私は知らない詩人であったので興味を持ち、その後、詩集やエッセイ集など目につけば求めてきた。

〇「現代詩手帖」1978年4月号
〇「現代詩手帖」1978年4月号

  桃の花
一ぷくつけて
ぶらりと表へ出たら
桃の花が咲いていた

山之口貘は書いている
いなかはどこだと
おともだちにきかれて
ミミコさんがこまったときのことだ

こまることなど
ないじゃないかと
貘先生
玄関の戸を
あけるまえ
靴をはきながらかんがえる
たとえいなかはどこでも
ミミコはミミコ
ぼくはぼく
それでじゅうぶん
この世界はなりたっている
その証拠に
咲いていなさい桃の花!

いささか
首をかしげざるをえない
         論理だが
桃の花はみごとに咲いていたと
山之口貘の詩が証明している

辻と貘にどういう交友があったのか不明だが、この詩で山之口貘と小沢信男と辻征夫が繫がった。辻のこの詩は詩集『落日』(1979・思潮社)に収録されている。
「桃の花」は、勿論貘の詩でもある。詩集『鮪に鰯』(1964・原書房)に収録されている。

〇詩集「鮪に鰯」(1964・原書房)
〇詩集「鮪に鰯」(1964・原書房)

  桃の花
いなかはどこだと
おともだちからきかれて
ミミコは返事にこまったと言うのだ
こまることなどないじゃないか
沖縄じゃないかと言うと
沖縄はパパのいなかで
茨城がママのいなかで
ミミコは東京でみんなまちまちと言うのだ
それで何と答えたのだときくと
パパは沖縄で
ママが茨城で
ミミコは東京と答えたのだと言うと
一ぷくつけて
ぶらりと表へ出たら
桃の花が咲いていた

「ミミコはミミコで ぼくはぼく」、桜でも梅でもない「桃の花」。辻の詩が貘の詩の心を解説してくれている。辻の詩を読んだ者は、かならず貘の詩を探すに違いない。「ミミコ」は
貘の娘泉さんである。貘の詩に次の詩がある。

  ミミコ
おちんちんを忘れて
うまれて来た子だ
その点だけは母親に似て
二重のまぶたやそのかげの
おおきな目玉が父親なのだ
出来は即ち茨城県と
沖縄県との混血の子なのだ
うるおいあるひとになりますようにと
その名を泉とはしたのだが
隣り近所はこの子のことを呼んで
いずみこちゃんだの
いみこちゃんだの
いみちゃんだのと来てしまって
泉にその名を問えばその泉が
すまし顔して
ミミコと答えるのだ

山之口貘には、この娘さんを題材にした詩や小説が沢山ある。その前に長男も生まれたのだが僅か1歳で亡くなっている。それだけに昭和19年、41歳で授かった娘への愛は深いものがあったのだろう。

貘は昭和12年に金子光晴・森三千代の立ち合いで安田静江と見合結婚し、金子居に近い牛込弁天町の四畳半のアパートで暮らし始める。14年には「都新聞」の蒲池の紹介で東京府職業紹介所に就職する。仕事を転々とした詩人が職安に勤めることになるとは面白い。昭和23年まで務め、以後文筆一本の生活に入った。

結婚までの経緯と新婚当初の生活を描いたのが『中央公論』昭和26年12月号に掲載された「第4「貧乏物語」」である。戦中戦後の女傑3名を水泳法になぞらえて描いた伊藤逸平「第2「女ばかりの都」」、東京都清掃事業部の笠井恵策の「第2「糞尿譚」」と同時掲載であった。

笠井の文章は下水道完備以前の東京の衛生事情を軽妙洒脱な文章で解説したもので、極めて面白い。貘の一編はエッセイ風だが『山之口貘全集』では第2巻の小説篇に収録されている。
第4とあるのは、誰か他の三人が前に「貧乏物語」を書いているのだろう。貘が付けた題名ではないと思う。前回紹介した「詩人便所を洗う」の原稿料にも触れていて興味深い。

〇「中央公論」昭和26年12月号
〇「中央公論」昭和26年12月号

 
貘は当時(昭和12年)温灸屋をやめて、シミ雀斑の薬を販売する仕事をしていた。月給は30円、1人で生活するのがやっとだが、結婚したいと思っていた。世話をしてくれる人があって、月給は安いが詩人であり、その方で収入があると女性に伝え、金子光晴・森三千代媒酌で立派な結婚式もあげる。しかし時々書く詩の原稿料などあてにならない。新婦は話が違うと苦情を言うが、貘が心配した離婚はせず、丸の内にあった歯科医院で働き始めた。給料は30円。

そんな折、『中央公論』に「詩人便所を洗う」を寄稿、その原稿料は80円だった。この反響か文藝春秋の雑誌『話』(昭和14年2月号)に「風変わりな人達の『話』の会」という座談会に出る。昭和23年、山之口家は戦時疎開していた茨城県から練馬区貫井の豪壮な月田邸に移る。玄関わきの一室を借りたのである。昭和19年に生まれた長女泉は女子大の付属小学校に入ったが、家賃も学費も滞納続き、結婚して15年相変わらずの貧乏暮らしであるという内容である。高田渡が曲を付けた詩「結婚」(アルバム「ごあいさつ」収録)も引用されている。
因みに『話』掲載の座談会は、異常な潔癖家の松竹社員黒川一の話が強烈過ぎて、貘は「詩人便所を洗う」の話をするが影が薄い。

ペン一本の生活を始めた山之口家の収入は月二千円ほどだったという。他の著名な詩人たちの収入の程は分からない。最近利用度の増した国会図書館デジタルコレクションの全文検索で、貘がどんな雑誌に詩やエッセイを寄稿していたか調べてみたが、想像以上に多くの雑誌がヒットして驚いた。以下早い順にその誌名を上げる。『セルパン』『行動』『文藝』『東大陸』『公論』『書物展望』『新創作』『こどものまど』『風刺文学』『人間』『世界文化』『日本未来派』『文芸往来』『魔法』『改造文芸』『群像』『新潮』『新日本文学』『詩学』『文藝春秋』、これで1950年までである。『人間』への寄稿が一番多い。勿論先に紹介してきた『改造』『中央公論』への寄稿は多い。

比較は難しいが、前にも書いたように貘は埋もれた詩人ではない。しかし貧しいのは事実であった。昔から言われるように詩人や画家は食えない職業(?)なのであろう。
先に上げた寄稿雑誌の中で『詩学』昭和25年6月号掲載の「淵上毛銭とぼく」は悲しい詩人の運命を描いて心を打つ一文である。昭和23年に八雲書店から刊行されるはずが未刊に終わった詩集の序文を中心にした追悼文である。貘はあるとき本所の「はんろう」という珈琲店で店主の小野八重三郎氏からチェロ弾きですと若き淵上毛銭を紹介された。まだ少年のような感じで以後「坊や」と呼んで交流が続いたが、数年後、毛銭から長い間闘病生活を続けているが詩を書くようになった、詩集を出したいので序文を書いてくれと言う手紙が届いた。詩集は淵上喬の本名で昭和18年に出た『誕生』(詩文学研究会)である。貘は詩には触れず「チェロは鳴らずに詩が鳴った」と書いた。この『誕生』は稀覯本で未見だが、『淵上毛銭詩集』(1999年・石風社)で編者の前山光則氏が解説「淵上毛銭小伝」の中で、この時の貘の序詩を引用している。

十年前の
未来のチェロ弾きよ
チェロは弾かずに
うたつたか
きけばずゐぶん
ずゐぶんながいこと
チェロを忘れて仰臥てゐるとか
チェロの背中もまたつらからう
十年前のあのチェロ弾きよ
チェロは鳴らずに
詩が鳴つた

貘は毛銭の詩を「悲痛を極めた長い間の闘病生活」から生まれたものだが「あかるくて澄んでいて、澄んでいるくせにおもしろい」と評価していたが詩には直接触れないで来た。戦後八雲書店から詩集が刊行されることになり編集を担当、詩集の名を『ぶらんこ』と決めた。しかし八雲書店の都合で未刊に終わり、毛銭は昭和25年に亡くなってしまう。昭和22年に高橋輝雄の版画で飾られた限定300部の『淵上毛銭詩集』が青黴誌社から刊行されているので、それとは別に編まれる予定の詩集だったのであろう。その後、『淵上毛銭詩集』は昭和47年に国文社から刊行されている。

この水俣の詩人淵上毛銭もまた貘同様に、ダンスホールのバンド、新聞配達、トラック運転手の助手、寄席の下足番など職を転々としている。前記の前山氏は無技巧に見えて実は洗練された詩文など二人に共通性を見ているが、貘が故郷喪失者であるのに対し、毛銭は放浪者的傾向を持ちながらも「土着の人間や習俗への理解が深く」故郷喪失者ではなかったと書いている。成る程と思う。

貘は、岡本潤と共に『新日本文学』昭和25年5月号に許南麒の詩集『朝鮮冬物語』(昭和24年・朝日書房)の書評を「人間朝鮮のすがた」と題して書いている。「全巻が抵抗と反撥と涙と愛惜とに溢れた詩集である。これらの詩は永い間の歴史の底から抵抗し涙し愛惜しながら現代の明るみのなかへと這い出して来た「朝鮮」のひとつの姿なのであって、この詩人のいわゆる日本帝国主義の門弟である朝鮮帝国主義を押し除けて来た、人間朝鮮の姿なのである」と高く評価している。

許南麒は大正7年、日本統治下の朝鮮半島で生まれ、昭和13年に来日、日大と中央大学に学び日本語で詩を書いた。若き貘もまた琉球語を使う者に科された方言冊に象徴される日本政府の強烈な言語政策に反抗を続け結局は沖縄から出て行かざるを得なかった。日本統治下の朝鮮の人々は言葉だけでなく皇民化政策として創氏改名まで強制された。貘は、この民族への弾圧に抵抗するものとして許南麒に大いなる共感を得たのだと思う。

貘は生涯にわたって沖縄を詠い、沖縄への思いを随筆や評論で表してきたが、『山之口貘沖縄随筆集』(2004年・平凡社ライブラリー)の巻末に「沖縄・父・沖縄」を書いた、長女山之口泉さんが、『父・山之口貘』(1985年・思潮社)で「父と私の沖縄をめぐる意見の相違について触れた部分があり、なぜ沖縄は日本に帰る必要があるのかという私の疑問とそれに対する父の言葉が書いてある」とあるが、不思議なことに貘は沖縄が日本に帰属することに疑問を持っていなかったように見える。しかし、この連載の最初にも書いたが、琉球語を表記する場合にカタカナを用いることを、琉球語でなくやまとの言葉で詩や随筆を書くことに本当は抵抗があったのではないかと思うのである。日本語で書くことが当然の日本人との違いが、失われた古きよき沖縄への郷愁と相俟って、貘の詩に深い哀愁と深みを与えているのではないだろうか。

 
 
※シリーズ古書の世界「破棄する前に」は随時掲載いたします。
 
 

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