宇田智子(市場の古本屋ウララ) |
今年の5月に沖縄の出版社「ボーダーインク」から、『すこし広くなった 「那覇の市場で
古本屋」それから』という本を出版しました。副題のとおり、2013年にボーダーインクから 出した『那覇の市場で古本屋 ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』の続編のような本です。自分の店「市場の古本屋ウララ」で店番しながら書きました。 その間、東京の出版社からも本を出しましたが、沖縄の出版社から出すのはやはり特別な 沖縄の本は、県外の新刊書店にはなかなか並びません。ただし、11年前に比べると出版社と直取引をして本を仕入れる個人の書店が増えました。ボーダーインクが「一冊!取引所」という発注サイトに登録したことでより直取引がしやすくなり、さまざまな書店が扱ってくれています。小さな出版社の本が小さな本屋に並んでいる様子を想像します。 私の本屋は4.5坪しかありませんが、これでも2020年に「すこし広く」なりました。隣にあった洋服屋さんが閉店するとき、「次はあなたが借りなさい」と言ってくれて、1.5坪の 店を広げた2020年、向かいにある那覇市第一牧志公設市場は建替工事中で、それにともない頭上のアーケードが撤去されました。戦後すぐから続いてきた店がいくつも閉店し、建物が壊されてホテルや駐車場になりました。私が店を始めるずっと前から続いてきた那覇の市場の風景が、どんどん変わっていきました。 この本には、2016年から2024年にかけて書いた文章を収めました。特に、月刊誌『小説すばる』に連載していた「小さな本屋の本棚から」が軸になっています。最初は本と本屋について書いていたのが、しだいに那覇の町や市場の話が多くなり、コロナの流行も始まって、毎月の市場の様子を報告するような連載になりました。 前著『那覇の市場で古本屋』を出したときは店を始めてから1年半しかたっていませんでした。県外から来て、古本屋も未経験だった私には毎日が驚きの連続でした。店や市場で起きるできごとがあまりにおもしろく、だれにも頼まれないのに文章を書きはじめました。 その後、商店街のイベントに関わったり、牧志公設市場の建替の話が持ち上がったり、 ゆるく曲がった通りが何本も並走しては交差点でつながり、通りの両側に店が立ち、あいだに抜け道やわき道があり、頭上にはアーケード、建物の下には暗渠となった川が流れている。そんな商店街のなかの4.5坪の空間で、私はお客さんと話したり、古本の書きこみを消したり、風にチラシを飛ばされたり、急な雨にあわててビニールカバーを広げたりしています。 店にいると、しょっちゅう「国際通りはどっちですか」と聞かれます。入り組んだ商店街で 11年前に最初の本を出したときは、そんなことは考えていませんでした。毎日、店を開けるだけで精一杯でした。「すこし広くなった」のは店だけでなく、私の視野や心も、と言ってみたい気がします。 最初の本と変わらないのは、店番しながら見たもの、聞いた声をたくさん書きとめたところです。店を始めて13年たっても、目のまえで起きるできごとはいつもおもしろくて、これが見たくて店をやっているのだと思います。この瞬間、この場所にこの人がいたからこそ生まれた言葉を、私だけが聞いているのはもったいないので、みなさんにもおすそわけしたいのです。 先日、神奈川近代文学館で「没後15年 庄野潤三展――生きていることは、やっぱり懐しいことだな!」を見てきました。展示されていた原稿『自分の羽根』の「私は自分の体験したことだけを書きたいと思う」「私は自分の前に飛んで来る羽根だけを打ち返したい」という言葉に、私も気持ちだけはこうでありたいと思いました。こんな狭い場所のことばかり書きつづけてなにになるのか、と迷うこともあるけれど、那覇の市場で、これからも自分の羽根を打ち返していきます。どうか、お読みいただけたら幸いです。 |
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