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藝術新潮 1964年10月号 第15巻 第10号
藝術新潮 1964年1月号 第15巻 第1号
藝術新潮 1963年8月号 第14巻 第8号
藝術新潮 1965年9月号 第16巻 第9号
版画芸術 77 松島順子オリジナル版画添付
古美術 中国・元代の染付 (18)
太陽 3巻2号=No.20(1965年2月) <特集 : 春のまつり ; カストロのキューバ>
藝術新潮 1969年11月号 第20巻 第11号
医道の日本 通巻300号記念特集号 現代日本の針灸
博物館研究 39巻5号 通巻432号MUSEUM STUDIES
建築史学 5・6・7・8号 合本
よろこばしい邂逅 : 吉本隆明対談集
藝術新潮 1977年10月号 第28巻 第10号 <特集 : 瞽女画家の「性の哀歓」>
古美術 天寿国繍帳 (11)
古美術 ;(11)
藝術新潮 1973年2月号 第24巻 第2号
藝術新潮 1973年10月号 第24巻 第10号
藝術新潮 1968年12月号 第19巻 第12号
歴史研究 第415号 藤原京の謎
新建築 1968年9月 第43巻 第9号 <高密社会におけるマスレジャー その生活空間的課題と超群集空間>
藝術新潮 1970年12月号 第21巻 第12号
藝術新潮 1969年1月号 第20巻 第1号 <万国博関連資料>
藝術新潮 昭和35年9月号 第11巻 第9号
藝術新潮 1972年2月号 第23巻 第2号
千葉大学医学部八十五年史
藝術新潮 1972年3月号 第23巻 第3号
戦争と子供と綴方
林子平傳 日本国防の先覚者 著者 松原晃 出版社 奥川書房 刊行年 昭17年初版 林子平(はやし しへい)元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。諱は友直。のちに六無斎主人と号した。高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。元文3年(1738年)、幕臣岡村良通の次男として江戸に生まれる。父の岡村良通は御書物奉行(620石)として仕えていたが、子平が3歳の頃、故あって浪人の身となり、家族を弟の林従吾(林道明)に預け諸国放浪の旅に出た。子平らは、大名家に往診にも行く開業医であった叔父の従吾のもとで養われる。まもなく、長姉と次姉は仙台藩の江戸屋敷に奉公するようになり、仙台藩5代藩主伊達吉村の侍女として仕えた。次姉のなお(きよ)はその容姿と心ばえが吉村に愛され、やがて6代藩主となる宗村の側室に抜擢され、お清の方と呼ばれるようになった。お清の方は1男1女をもうけた。男子はのちに三河国刈谷藩主土井利信の養嗣子となる土井利置、女子は出雲松江藩主松平治郷の正妻となる方子(青楽院)である。お清の方の縁で、養父の従吾は仙台藩の禄を受けるようになった。従吾の没後、子平の兄の林友諒が封を継ぎ、宝暦6年(1756年)に正式に仙台藩士として150石が下された。同年5月に宗村が死去すると、友諒は家族を引き連れ、仙台川内に移住した。子平は部屋住みの身で妻子は持たなかったが、仙台藩士として生活するようになった。子平はみずからの教育政策や経済政策を藩上層部に進言するが聞き入れられず、禄を返上して藩医であった兄友諒の部屋住みとなり、北は松前から南は長崎まで全国を行脚する。長崎や江戸で学び、大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周、工藤平助らと交友する。ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著し、「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」と喝破して、当時の人びとを驚かせた。『海国兵談』の序を書いたのは、仙台藩医工藤平助であった。また『富国策』では藩の家老佐藤伊賀にあて藩政について説いたが、採用はされなかった。
中国古代史研究 第3
藝術新潮 1972年9月号 第23巻 第9号
藝術新潮 1972年4月号 第23巻 第4号
作文講座〈別巻 第1〉文章範例集
淡交 No.44 <「織部」 時代の風をリードした人とやきもの>
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