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「文政12年」の検索結果
102件

「玉函叢説 服飾管見 他」「軍器摘葉抄」「柳営軍府」

東雲書店
 愛媛県松山市西一万町
100,000
記載なし、記載なし、3冊
秩(破れ、虫食い、その他の傷み・汚れ・秩に題簽(汚れ傷み)貼付・題簽は、「太康御記」のようにも見えますが判読できません。秩の表紙の裏の部分に次のような墨書があります。(以下は秩の墨書の抜粋です)。
〇無題名 1冊
玉函叢説  服飾管見  同別録  高倉家装束要覧  三條家装束抄
同注  永慶卿装束抄
〇軍器摘葉抄 1冊  〇物具装束抄 1冊
墨書の年と思われる「干時天保八」等も墨書されています。
秩には3冊が収められています。3冊のうち1冊には「柳営軍府」のように見える題簽(汚れ傷み)が貼付されていますが、他の2冊には題簽は付いていません。「無題名」に収められている内容は次のとおりですが、それぞれ一部だけの抜粋ようです。無題名は65丁程度で、異なる字体や文字の大きさ、一部には赤色のような文字や記号等も含まれています。文字印刷のない余白部分に破れ、虫食いがありますが、判読できないような破れはありません。本文中や表紙裏には多少皺のような跡があります。表紙には反りがあります。
〇「柳営軍府」のように見える題簽の貼付されている冊子は14丁で「浄土文御幡」等の幡や馬印、幕その他の図(一部は彩色)等が掲載されています。本文中には虫食いその他の破れが見受けられますが、判読できない状態ではありません。
〇上記以外の1冊は16丁、「御拝領小刀図」「鞍など乗馬関係の図」(一部彩色)等が掲載されています。最初のページには文政12年などの墨書があります。
(3冊共通の状態)
3冊とも和綴じで表紙には程度の差はありますが、虫食いや破れ、表面の剥がれのような傷み、汚れがあります。また、綴じ紐の一部が欠けています。(綴じ紐が当初のものかどうかは分かりません)。3冊とも最初のページには縦4センチ程度、横1センチ程度の朱のような押印があります。3冊とも程度の差はありますが、本文中には茶色の汚れ等や皺のような跡等の多少の傷みがあります。3冊とも丁数の印刷はありません。小口天地には汚れがあります。3冊とも縦27センチ程度、横19.5センチ程度です。
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「玉函叢説 服飾管見 他」「軍器摘葉抄」「柳営軍府」

100,000
、記載なし 、記載なし 、3冊
秩(破れ、虫食い、その他の傷み・汚れ・秩に題簽(汚れ傷み)貼付・題簽は、「太康御記」のようにも見えますが判読できません。秩の表紙の裏の部分に次のような墨書があります。(以下は秩の墨書の抜粋です)。 〇無題名 1冊 玉函叢説  服飾管見  同別録  高倉家装束要覧  三條家装束抄 同注  永慶卿装束抄 〇軍器摘葉抄 1冊  〇物具装束抄 1冊 墨書の年と思われる「干時天保八」等も墨書されています。 秩には3冊が収められています。3冊のうち1冊には「柳営軍府」のように見える題簽(汚れ傷み)が貼付されていますが、他の2冊には題簽は付いていません。「無題名」に収められている内容は次のとおりですが、それぞれ一部だけの抜粋ようです。無題名は65丁程度で、異なる字体や文字の大きさ、一部には赤色のような文字や記号等も含まれています。文字印刷のない余白部分に破れ、虫食いがありますが、判読できないような破れはありません。本文中や表紙裏には多少皺のような跡があります。表紙には反りがあります。 〇「柳営軍府」のように見える題簽の貼付されている冊子は14丁で「浄土文御幡」等の幡や馬印、幕その他の図(一部は彩色)等が掲載されています。本文中には虫食いその他の破れが見受けられますが、判読できない状態ではありません。 〇上記以外の1冊は16丁、「御拝領小刀図」「鞍など乗馬関係の図」(一部彩色)等が掲載されています。最初のページには文政12年などの墨書があります。 (3冊共通の状態) 3冊とも和綴じで表紙には程度の差はありますが、虫食いや破れ、表面の剥がれのような傷み、汚れがあります。また、綴じ紐の一部が欠けています。(綴じ紐が当初のものかどうかは分かりません)。3冊とも最初のページには縦4センチ程度、横1センチ程度の朱のような押印があります。3冊とも程度の差はありますが、本文中には茶色の汚れ等や皺のような跡等の多少の傷みがあります。3冊とも丁数の印刷はありません。小口天地には汚れがあります。3冊とも縦27センチ程度、横19.5センチ程度です。

渡邊崋山興醉戯画及古画寫稿  天保九年夏 運派塚三尻村寫

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
1,980,000
渡邊登
★ 天保九年夏 運派塚三尻村寫 未表装 傳來のまま。10枚。
★ 崋山は蘭學者の指導的立塲に存在する「蘭學にして大施主」と稱された偉大な蘭學者であったが、田原藩の家老として武士の高プライドを持ちながら、北齋や廣重などが活躍する時代に、當世一流の繪師でもあった。遺した作品には國寳「鷹見泉石像」をはじめ、多くの重要文化財、重要美術品などがある。一方で、書画會での即席の席画や、酒席での座興の戯れ繪や、醉筆画等々を氣輕に揮毫したと云う。本作の内、紙髙24.2㎝、長さ137㎝の紙本7枚は、崋山が文政元年、26歳の頃に描いたとされる名品『一掃百態』の樣な、崋山が得意とした早描きで活寫されたスケッチ集である。下書きなしの卓抜なクロッキー・デッサンで、巧みな線画の上に淡彩が施されている。しかもその内の數画は崋山が丁度20年前に描いた『一掃百態』とほぼ同画が含まれている。また崋山が文政12年に田原藩の同僚達と物見遊山に出掛けた折りの戯文画巻『目黒詣』と同画もあり、崋山は過去に描いた得意な戯画をここに纏めたのであろうか。『一掃百態』の自筆原本は田原市博物館が所藏するが、『目黒詣』は重要美術品に指定されるも現在は所在不明と云う。
★ 紙髙32.5㎝、長さ177㎝の紙本三枚は白樂天と雪嶺界天白の古画をこれも恐らくは下書き無しで活寫したものと考えられるがデッサンよりも密画である。一枚のクロッキー・デッサン画の末尾に「運派塚三尻村寫」「戊戌夏興醉戯畫/崋山登」と落款されている。「運派塚三尻村」は現在の埼玉県熊谷市三ヶ尻である。崋山ハ天保2年11月、田原藩主三宅康直の命により、三宅家譜編纂のため、田原藩主の舊領地であった運派塚三尻村を調査に訪れた。滯在中三尻村を調査しながらいくつかの作品を描き、現在も埼玉県の指定文化財として保存されている。
★ 「戊戌」は天保9年。崋山は天保9年の年初に「退役願書稿」を書き、藏書画幅を藩主に獻上し、自身の運命を左右した『慎機論』を著したと云う。江川坦庵と鳥居耀藏の確執から發生した「蠻社の獄」は翌年の天保10年5月である。天保2年最初に三尻村を訪れた際に、崋山を逗留させ調査にも協力した地元の名家で俳人でもある黒田幽鳥と親しくなり、黒田家を去る際に「芭蕉大和上りの圖」(熊谷市指定有形文化財)を描いたと云う。崋山は黒田家を再訪した可能性が高い。
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1,980,000
渡邊登
★ 天保九年夏 運派塚三尻村寫 未表装 傳來のまま。10枚。 ★ 崋山は蘭學者の指導的立塲に存在する「蘭學にして大施主」と稱された偉大な蘭學者であったが、田原藩の家老として武士の高プライドを持ちながら、北齋や廣重などが活躍する時代に、當世一流の繪師でもあった。遺した作品には國寳「鷹見泉石像」をはじめ、多くの重要文化財、重要美術品などがある。一方で、書画會での即席の席画や、酒席での座興の戯れ繪や、醉筆画等々を氣輕に揮毫したと云う。本作の内、紙髙24.2㎝、長さ137㎝の紙本7枚は、崋山が文政元年、26歳の頃に描いたとされる名品『一掃百態』の樣な、崋山が得意とした早描きで活寫されたスケッチ集である。下書きなしの卓抜なクロッキー・デッサンで、巧みな線画の上に淡彩が施されている。しかもその内の數画は崋山が丁度20年前に描いた『一掃百態』とほぼ同画が含まれている。また崋山が文政12年に田原藩の同僚達と物見遊山に出掛けた折りの戯文画巻『目黒詣』と同画もあり、崋山は過去に描いた得意な戯画をここに纏めたのであろうか。『一掃百態』の自筆原本は田原市博物館が所藏するが、『目黒詣』は重要美術品に指定されるも現在は所在不明と云う。 ★ 紙髙32.5㎝、長さ177㎝の紙本三枚は白樂天と雪嶺界天白の古画をこれも恐らくは下書き無しで活寫したものと考えられるがデッサンよりも密画である。一枚のクロッキー・デッサン画の末尾に「運派塚三尻村寫」「戊戌夏興醉戯畫/崋山登」と落款されている。「運派塚三尻村」は現在の埼玉県熊谷市三ヶ尻である。崋山ハ天保2年11月、田原藩主三宅康直の命により、三宅家譜編纂のため、田原藩主の舊領地であった運派塚三尻村を調査に訪れた。滯在中三尻村を調査しながらいくつかの作品を描き、現在も埼玉県の指定文化財として保存されている。 ★ 「戊戌」は天保9年。崋山は天保9年の年初に「退役願書稿」を書き、藏書画幅を藩主に獻上し、自身の運命を左右した『慎機論』を著したと云う。江川坦庵と鳥居耀藏の確執から發生した「蠻社の獄」は翌年の天保10年5月である。天保2年最初に三尻村を訪れた際に、崋山を逗留させ調査にも協力した地元の名家で俳人でもある黒田幽鳥と親しくなり、黒田家を去る際に「芭蕉大和上りの圖」(熊谷市指定有形文化財)を描いたと云う。崋山は黒田家を再訪した可能性が高い。

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