松浦武四郎記念館 旅と蒐集に生きた奇人【書庫拝見25】

松浦武四郎記念館 旅と蒐集に生きた奇人【書庫拝見25】

南陀楼綾繁

 2月29日。朝、東京から新幹線に乗り、名古屋で在来線に乗り換えて、松阪駅に着いた。

 大学3年生のとき、民俗学研究会の調査で三重県と和歌山県の県境にある集落に何度か滞在した。その際、名松線の乗り換えで松阪は通っているが、町なかを歩いた記憶はあまりない。一度だけ、ひとりで松阪の商人宿みたいなところに泊まったことがあるが、10時過ぎると玄関を閉められて外に出ることはできなかった。それから、もう35年が経つ。

 松阪駅では山﨑範子さんが出迎えてくれる。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を発行した谷根千工房のメンバーだが、昨年この地に移住した。いまは松坂城の近くに並ぶ〈御城番屋敷〉という重要文化財の武家屋敷の一区画にお住まいで、私も泊めてもらう。ここを拠点に、松阪の3つの資料館の書庫を取材するのだ。

 荷物を置かせてもらって、松阪駅から近鉄で伊勢中川駅へ。ロータリーで待っていると、
車が迎えに来てくれる。これから行く松浦武四郎記念館の山本命館長だ。1976年生まれで
私より歳下だが、風格がある。

 電車の中で、山本さんの『幕末の探検家 松浦武四郎入門』(月兎舎)を読みながら来たと話すと、「この記念館で働くまで、武四郎のことはほとんど知らなかったんです」という、
意外な答えが返ってきた。
 大阪府に生まれた山本さんは、奈良大学を経て三重大学の大学院で、歴史学を研究。
2001年に院を中退して記念館の学芸員となった。
「来館者に武四郎のことを説明できるように、自分なりに調べるうちに、日本の歴史の中でも稀有な人物だということが判ってきました。そのすごさを伝えたいと思うようになりました」と語る。
 
 後で詳しく触れるが、それ以降、山本さんは松浦武四郎のスポークスマン的な存在になる。そして、2022年には館長となった。
 そんな話を聞くうちに、「松浦武四郎記念館」の看板が見えてきた。

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〇松浦武四郎記念館外観
 

【蝦夷地探検とコレクター】

 館の入り口には、武四郎の歌碑が建つ。「陸奥(みちのく)の蝦夷の千島を開けとて 神もや我を作り出しけむ」という和歌で、蝦夷地探検は自分の使命だという気持ちが込められている。その後ろには、白い玉石で北海道の形が描かれている。

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〇武四郎の歌碑


 館内に入ったところにはロビーがある。奥の壁にも北海道の形が浮き彫りになっている。
 この日は愛知県から15名ほどの団体見学者があり、山本さんが展示の解説をするという
ので、一緒に回ることにした(以下、『幕末の探検家 松浦武四郎入門』を参照)。
 
 松浦武四郎は1818年(文化15)、松阪の須川村に生まれた。松浦家は紀州和歌山藩の地士(土着のまま武士の身分として取り立てられること)を務めた。
 松浦家は伊勢街道に面していた。武四郎が13歳のとき、「文政のおかげ参り」が起こった。1年間に約400万人が伊勢神宮を訪れるという現象だ。このとき、多くの旅人と接したことで、武四郎は旅への思いを募らせたという。


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〇松浦武四郎誕生地

 16歳で家出して、江戸へ旅立つ。親戚に諭されて、一度は実家に帰るものの、翌年再び
旅に出る。大阪、播磨、備前、讃岐、阿波、紀伊と回る。江戸で覚えた篆刻の技術で、地方の素封家のために印を彫ることで、旅の資金を捻出した。その後も各地を巡り、26歳で故郷に帰るが、両親はすでに世を去っていた。
 
 長崎に滞在した際、ロシアが蝦夷地を狙っていることを知った武四郎は、蝦夷地探検を
志す。1845年(弘化2)に初めて蝦夷地に上陸。知床まで達している。このときの調査を
まとめて、『初航蝦夷日誌』を執筆している。その後、1858年(安政5)までの13年間で、
6回の蝦夷地探検を行なった。

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〇記念館の展示室

 「武四郎は148センチと小柄でしたが、非常に健脚でした。一日に64~68キロも歩いたと云われています。晩年には三重県と奈良県の県境にある大台ヶ原を探査しています」と、山本さんが解説する。

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〇松浦武四郎像

 3回目の大台ヶ原探査は70歳のときで、この年には富士山へも麓から頂上まで一日で登ったというからすごい。歩きに歩き回った生涯だったのだ。
 武四郎が蝦夷地で見たのは、役人や商人らによるアイヌ民族に対する圧政だった。松前藩はアイヌの自由な移動を禁じ、交易を制限し、運上金の名目で税を収めさせた。その実態に心を痛めた武四郎は、アイヌがどんな人々なのかで、どのような文化を持っているかを伝えるべく、さまざまな書物や地図を刊行した。
 
 展示室には、『東西蝦夷山川地理取調図』という、武四郎が出版した蝦夷地の地図が写真で展示されている。そこには各地の地名がアイヌ語で記されている。
「聞いた音そのままをカタカナで記しています。その数は9800もあります。これらの地名からはアイヌの人々が暮らしてきた歴史や文化が反映されていて、決して未開の地ではないことが判ります」
 
 1859年(安政6)に出版した『蝦夷漫画』のパネルもある。同郷の伊勢出身で武四郎より先に蝦夷地を探検した村上島之丞の絵をもとに、武四郎自身が絵を描いたもので、アイヌの生活や祭祀、交易、建物、踊りなどを絵と文章で伝える。

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〇『蝦夷漫画』のパネル


 武四郎の蝦夷地探検は、第4回以降、幕府の「蝦夷地御用御雇」の立場で行なわれた。明治維新を迎えると、新政府は開拓使を設置し、蝦夷地開拓に乗り出す。武四郎は開拓判官に任ぜられた。このとき、武四郎は蝦夷地に替わる新名称を提案し、そのひとつである「北加伊道」が「北海道」という表記で採用された。なお、武四郎は以前から、北の海の世捨て人という意味で「北海道人」という雅号を使っていたという。
 
 しかし、アイヌに思いを寄せる武四郎は、これまでの権益を守りたい旧松前藩や商人にとってはうるさい存在であり、翌年には開拓判官を辞職した。この後、武四郎が「馬角斎(ばかくさい)」という雅号を使ったのは、政府への批判と皮肉を込めてのことだった。
「大きな政治の流れの中で、自分ひとりの力ではどうすることもできなかったことが無念であり、開拓判官を辞職した後、一度も北海道を訪れることがなかったのは、アイヌの人びとに対する申し訳ない気持ちでいっぱいだったからだろう」と、山本さんは書いている。
 
 松浦武四郎について一般的に知られているのは、ここまで見てきたような北海道との関わりだろう。だが、この後の人生もめっぽう面白いのだ。
 武四郎は蝦夷探検の頃から、江戸で出版を行なってきた。官職から離れた後も、蝦夷地の紀行本などを出版している。生涯で200点以上の書物をまとめ、100冊以上を刊行したという。
 その一方で、若い頃から古物に関心を持ち、石器や土器、装飾品などを蒐集した。それらのコレクションをまとめて、『撥雲余興』という図録を刊行している。
 また、神田五軒町(現在の千代田区外神田六丁目)にあった自宅では毎月、「尚古会」という古物研究会を開いて、多くのコレクターと交流した。
 
 1887年(明治20)、武四郎は自宅に「一畳敷」と名付けた書斎をつくった。畳一畳のその書斎には、これまで訪れた土地の社寺から贈られた古材が使われている。この一畳敷は南葵文庫などを経て、現在、ICU(国際基督教大学)に移築されている。松浦武四郎記念館にも再現した原寸模型が展示されている。

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〇再現された「一畳敷」
         
 翌年、脳溢血で倒れた武四郎は71歳で死去する。

【武四郎の魅力を伝える】

 ここで、記念館と収蔵資料について見ておこう(『松浦武四郎記念館(小野江コミュニティセンター)20年のあゆみ』を参照)。
 1994年、武四郎の生誕地の近くに、三雲町が松浦武四郎記念館と小野江コミュニティセンター(公民館)との複合施設として開館。開館の翌月には、アイヌ文化の継承に尽力した萱野茂さんが北海道から来館している。
 
 開館以来、年4回(現在は年6回)の展示替えを行う。出版者、考古学、和歌、風俗画、
蝦夷地調査、好古趣味、尊王攘夷思想など多彩で、武四郎という人物の大きさが感じられる。
 1996年からは記念館を会場に「武四郎まつり」を開催。地元の大きなイベントとして現在も続いている。
 
 2005年、三雲町が合併して松阪市となる。
「合併後、記念館がどうなるのかという不安がありましたが、予算規模が増えましたし、
『武四郎講座』を開いて、松阪市民に知ってもらうよう努めたところ、今では『松阪の偉人』として誇れるようになりました」と、山本さんは振り返る。
 
 2008年には松浦武四郎記念館友の会が発足。館の広報や、生誕190年、生誕200年の記念事業に協力してきた。
 その後も展示、講座、講演会などによって、次第に来館者が増えてきた。
 そして、2022年4月、これまで同居していた公民館が、別の場所に新設され、記念館の
リニューアルが行われた。それにともない、収蔵庫を改修し、書庫を設けた。
 展示についても、武四郎がもつ「旅の達人」「交流の達人」「描写の達人」「伝える達人」「蒐集の達人」という観点から、展示を構成し直した。それにより、武四郎の魅力が伝わりやすくなっている。

 同館に収蔵される資料は、重要文化財1505点、三重県指定有形文化財223点にのぼる。
 1888年(明治21)に松浦武四郎が亡くなったあと、資料が直系である東京松浦家と、実家である三重松浦家で保管される。
 三重松浦家が保管する資料は、1993年に三雲町に寄贈。これらの資料をもとに、翌年、
記念館が開館した。

 一方、東京松浦家にも、資料保存をめぐるドラマがある。
 1923年(大正12)の関東大震災では、東京松浦家が全焼。幸い、武四郎の自筆資料は紀州徳川家の南葵文庫に貸し出されていて無事だった。
 東京松浦家は1945年(昭和20)の大空襲でも全焼するが、関東大震災の教訓から、直前に栃木県佐野市に資料を疎開させており、無事だった。

 終戦後、東京松浦家の一部の資料は文部省史料館(現・国文学研究資料館)に寄託され、
一部は自宅で保管される。それらは、松浦武四郎記念館の開館後、三雲町に寄託されたが、
のちに松阪市に寄贈された。
 武四郎から数えて5代目にあたる故松浦一雄さんから山本さんが聞いたところでは、「武四郎は遺族に資料をみだりに見せてはいけないと、門外不出を言い残した」という。その言葉を
守った遺族によって、貴重な資料が後世に残ったのだ。

【収蔵庫の中で】

 山本さんの案内で、いよいよ収蔵庫へと向かう。
 2022年のリニューアルで、収蔵庫には止水扉が設置された。近くを流れる雲出川が氾濫
した場合でも、水害から資料を守れるようにという配慮だという。内部は2層構造になって
おり、やはり水害対策として、貴重資料は上層に集めている。
『松浦武四郎関係資料目録』は、書籍類、書簡類、地図類、その他(屏風、掛軸、矢立、
箱など)と分類されているが、実際の配列は資料の来歴ごとに保管されている。

 棚には地震対策用のネットが掛かっているので、外からはどんな資料があるか判らない。
そこで、山本さんに選んでもらい、見せていただく。

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〇資料を取り出す山本命館長

 まず、武四郎が持ち歩いた野帳(フィールドノート)。20歳の頃に、厳島神社などを
回った際の覚書で、横長の帳面に絵や文字がぎっしり書かれている。

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〇松浦武四郎の野帳


 次に、蝦夷地探検の報告書を見せてもらう。『十勝日誌』『天塩日誌』『夕張日誌』
『久摺日誌』などは、表紙も同じ紙で揃えている。

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〇『十勝日誌』


『知床日誌』は1858年(安政5)、根室を出て知床半島を回った際の紀行をまとめたもの。
この地に生息するアザラシなどの生き物が色鮮やかに描かれている。

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〇『知床日誌』


 1860年(万延元)の『北蝦夷余誌』は、樺太(現在のサハリン)を調査した紀行本。
アイヌの案内で歩く武四郎の姿や、オロッコ(ウィルタ)などの北方民族も描かれている。

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〇『北蝦夷余誌』


 北海道から離れた武四郎は、蒐集家として活動する。
 1877年(明治10)に刊行した『撥雲余興』は、自身が集めた古物の図録。古鏡や古銭などは拓本に採り、立体物は河鍋暁斎らのプロの画家に精密な模写を依頼した。1882年(明治15)には『撥雲余興二集』も刊行した。同書の奥付には「著述出版人 東京士族 松浦弘」とある。

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〇『撥雲余興』

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〇『撥雲余興』より古銅老猿仮面

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〇『撥雲余興二集』の奥付


 武四郎のコレクター魂を強く感じさせるのが、「渋団扇帖」だ。柿渋を塗った茶色い団扇に、小シーボルトや漆工家の柴田是真ら、交流のあった人物にサインしてもらったもの。
武四郎はこのために渋団扇を自作し、いつも持ち歩いていたという。

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〇「渋団扇帖」

「この中に、砂定という人物が描いた砂絵もあります。砂絵が残っているのは非常に珍しいです」と、山本さんは話す。

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〇「渋団扇帖」砂定の砂絵


 他にもいろいろ見たかったが、もう時間がない。後ろ髪をひかれるように、収蔵庫から
出る。
「武四郎が集め、遺族が守り抜いてきた資料を受け継ぐのが、記念館の役割だと思います。
今後は多くの人に見てもらえるように展示に力を入れていくとともに、武四郎の資料や情報が集まるセンターになることをめざします」と、山本さんは力強く云った。

【「武四郎涅槃図」の奥深さ】

 2か月後の4月21日。今度は東京で松浦武四郎に出会った。
 静嘉堂文庫の展示施設である〈静嘉堂@丸の内〉(静嘉堂文庫美術館)で、「画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎」という展覧会を観たのだ(6月9日まで開催)。
 
 静嘉堂文庫は、三菱の第2代社長・岩﨑彌之助が設立した、和漢の古典籍および東洋の古美術の資料館だ。その中に「松浦武四郎コレクション」がある。なぜ、松浦家とは別に、静嘉堂に資料があるのか、その経緯は明らかにされていないという(『静嘉堂蔵 松浦武四郎コレクション』静嘉堂)。
 
 武四郎と暁斎は、明治の初期から交流があり、『撥雲余興』でも暁斎に絵を依頼している。武四郎が13歳年上だが、住まいが近く、ともに天神を信仰するという共通点もあったようだ。
 今回の展示のメインになっているのが、二人の共作である「武四郎涅槃図」だ。
 この絵は武四郎記念館が所蔵するもので、こちらに展示するため、私が取材したときには
複製が飾られていた。

 涅槃図は釈迦入寂時の情景を描いた絵だが、武四郎はそれになぞらえて、自分が死ぬときの絵を暁斎に描かせたのだ。
「武四郎は薄茶色系の格子柄の生地をつぎはぎした丹前を着て、右腕を枕にして横になる。
自慢の大首飾りを着け、左手で愛用の『火用心』煙草入を提げ、目をつむって静かに微笑む。
周囲には神仏や動物が集まり、玩具や石像まで、みな悲しみにくれた面持ちである」(『徹底分析「武四郎涅槃図」』静嘉堂文庫美術館)

 これだけでも十分ユニークだが、もっとすごいのは、ここに描かれているモノはすべて、
武四郎の蒐集品であり、しかも、静嘉堂のコレクションにはその現物が所蔵されていることだ。
 会場には、涅槃図の横に、首飾り、煙草入、聖徳太子像、田村将軍像、大国像、石仏、武者像、真鍮仏、老子像、図像瓦、観音図などが展示されている。これらが画面のどこに描かれているかを探していると、いつの間にか時間が経ってしまう。

 この日は、松阪から来た山本命さんと、武四郎を主人公にした小説『がいなもん!』
(小学館文庫)の著者・河治和香さん、静嘉堂館長の安村敏信さんの鼎談が行なわれた。
 そこでは、「武四郎涅槃図」は武四郎の依頼から5年後に完成しており、その過程で
武四郎が「これも描け」「あれも描け」と暁斎に注文したことから、暁斎は日記に「松浦老人いやみ」と書いていることなど、興味深いエピソードが続出。ますます、この奇人が好きに
なった。

 武四郎は常人離れしたバイタリティにより、北海道の名付け親としてだけでなく、さまざまな活動を行ない、膨大な資料を残した。それを守った遺族と、さらに受け継いだ記念館、静嘉堂文庫によって、私たちはその一端に触れることができる。

 いつか、武四郎の資料から、歴史の常識を覆す発見があるかもしれない。そうなれば、奇人の面目躍如だろう。
 
 
松浦武四郎記念館
三重県松阪市小野江町383
https://takeshiro.net/information


「画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎」
6月9日まで開催(休館日はサイトで確認してください)
静嘉堂@丸の内
東京都千代田区丸の内2-1-1 明治生命館1F
https://www.seikado.or.jp/



南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

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懐かしき古書店主たちの談話 第6回

懐かしき古書店主たちの談話 第6回

日本古書通信社 樽見博

 昭和60年10月に、東京都古書籍商業協同組合東部支部二十周年を記念した『下町古本屋の生活と歴史』(発行者・鈴木明弘・荒川区鈴木書店)が刊行された。編集は青木正美、小林
静生、中山信行の三氏が担当した。稲垣書店の中山さんが「編集後記」で「読めるものにするためには具体的な生活ぶりとホンネの意見を、残るものとするためには歴史的資料の記録化を目指した。」と書いている。
 

 
その中山さんが「東部支部に三十周年は来るか」を書いているが、東部古書会館が平成22年に閉鎖された今となっては貴重な記念誌である。この記念誌と時を合わせるように、昭和61年
1月『古本屋―その生活・趣味・研究』という表紙、本文用紙とも記念誌と同じ体裁の雑誌が創刊された。編集・発行人は青木正美、小林静生、石尾光之祐で、青木文庫発行となっている。当初から10号までと決め、平成2年9月で終刊した。

執筆者は基本古書店主で三橋猛雄、出久根達郎、中川賢典、花井敏夫、飯田淳次、反町茂雄、山田朝一、中山信行、藤井正、尾上政太郎、奥平晃一、相川章太郎、斎藤孝夫、夏目順、永島富士雄、山岡吉松、八鍬光晴、森井健一、品川力、杉野宏、井上昭直、小梛精以知、後藤憲二、岩森亀一、蝦名則、田中正人、吉田文夫、小野敏之、森川忠信、八木福次郎、川野寿一。
 
第九号(平成元年)は「弘文荘・反町茂雄米寿記念特集」で、八木敏夫、佐藤毅、井上
周一郎、梶原正弘、八木正自の各氏などが執筆している。既に数名を除いて鬼籍に入っておられる。古本屋の書いた本がやたら刊行された時期があったが、それに先行した雑誌で当業界にとって貴重な記録である。

『古本屋』創刊号が完成したとき、小林さんが八木福次郎、私、折付桂子を誘って八木の行きつけの居酒屋赤柿で小さなお祝いを開いた。小林さんは茨城県筑波山麓の出身で、同じく筑波山西麓の下館在住の私を何かと目にかけてくれた。雑誌が完成し高揚した小林さんは「樽見、これを読んでどう思った」と聞いてきた。私はその日もらったばかりで殆ど読んでいなかったが「古本屋自身が古本屋の生活を記録する雑誌で貴重だと思います」と当たり障りのない返事をしたら「違うんだ」と言って後は何も言わなかった。
 
創刊号の「編集後記」で小林さんは「古書を扱うことを生業とする我々古本屋には、又特殊な人生体験を味わう機会も多くある。それらの生活記録を生のまゝで綴り、世間の方々に古本屋の実態を理解して頂こうというのが私達の主眼である。」と書いている。あの時どう答えれば満足してくれたのか、今改めてその後小林さんが刊行した『山の本屋の日記』(昭和63年)『山の本屋の手帖』(一九九六)を読んで見ると、単なる古本屋生活の記録ではなく文学的に昇華された作品を掲載する雑誌を目指していたのかもしれないと思う。

その後も小林さんは酒席の時など「樽見、お前に話したいことがあるんだ」と何度も言うのだが結局何も語らなかった。恐らく「古通も継続が難しくなって年齢的にも八木さんも辛い。続けているのはお前たちの生活を考えてだろう。お前から終刊にしようと言うべきではないか」ということではなかったかと思う。小林さんと八木は『東京古書組合五十年史』編纂を通して親しくなり、ことに八木の晩年十年間ほどは明治古典会のある金曜日には必ず、会館即売会に来る内藤健二さんと三人で喫茶店に行きおしゃべりすることが習いになっていた。ただ、私も八木の苦悩は痛いほど分かっていたが、私がそう言って終刊が決まるほど簡単なものではない。小林さんが言い淀む訳もその辺に理由があったのだろう。小林さんは本当に晩年の八木に尽くしてくれた方で有り難かった。

『古本屋』発行人の一人石尾光之祐さんの屋号は江東文庫で、私が入社した昭和50年代の古書目録掲載店の常連の一軒だった。古書会館で出会うと、座っていた席から立ってニコニコしながら若造の私にも丁寧な挨拶をされた。表面極めて慇懃丁寧だけれど心に何か顰めた方であることはすぐに分かる。石尾さんの文才を青木、小林両氏は高く買っていた。青木さんの初期の本は石尾さんの徹底的な指導を受けたらしい。石尾さんは創刊号以来、「日の丸堂・その他」「麒麟の会のこと」「捕物帳の周囲」「古本屋の客」「なみだの通販」「はりかい・しうりいたし〼」「夜明けのラーメン」「ひとそれぞれ」「デパート古本市(顚)「訛伝・小沢行二」を書いている。大学時代に文学同人誌に参加していたが、晩年執筆熱が再燃したようだった。

昭和63年に『無邪気な季節』という青春記を青木、小林両氏の勧めで刊行したが、限定30部だった。私は青木さんから一冊頂いたが、残念ながらどこかに埋もれて出てこない。学生時代の作品だろうか。「なみだの通販」は「日本古書通信」にも関する内容で「掲載料が三万となりやめた」とある。当時は古書目録掲載希望店が多く、足元を見たわけではないが、壁を少し高くして固定化した掲載店を制限し新しい古書店の掲載を呼び込めるかなと考えていた。掲載希望者が殆どいなくなった今、忸怩たる思いである。(平成9年没・75歳)

『古本屋』の執筆者の内、「日本古書通信」でも取り上げるとよいだろうと青木さんが世田谷の由縁堂書店相川章太郎さんを紹介してくれた。相川さんは第三号に「想えば「こんぺうる」」という12頁に及ぶいわば青春記を寄稿している。古本屋を始めた経緯も書かれているが、主に好きだった歌舞伎や寄席との関わりが詳しく回想され、中でも芸術祭男と称された湯浅喜久治というプロデュサーとのかかわりを描いて秀逸な内容の回想記である。趣味などという域ではなく、相川さんはそのまま芸能の世界でも生きてゆけたのではないだろうか。それとも、悲劇的な結末に至ってしまった湯浅喜久治のようにならずに済み、生涯歌舞伎や寄席を趣味に出来たことは、古本屋として堅実な人生を送られたからだろうか。

『古本屋』第三号に、相川さんが『古書月報』に書かれた「演劇映画ちょっと本の話」と
「来た道・よこ道」(特集・私の来た道、行道5)のコピーが挟んである。平成15年10月号に相川さんにインタビューして纏めた「歌舞伎が好きで」を掲載した折に参考にしたものだろう。その年1月号から「古本屋の話」を連載していて相川さんはその10回目だった。世田谷池ノ上のお店に伺いお話を伺ったのだが、今当時の記事を読み直すと人名、事項、日時などが具体的で事前によく準備されていたことがよくわかる。『古本屋』の回想記に出てくる黒美寿会会報「黒すみ」や「ほんもく」「寄席風流」などの趣味誌を安藤鶴夫などと共に刊行継続させた几帳面さが、こういう場合にも示されている。

それと生まれは船橋だが小学校は四谷第五小学校で東京人らしい歯切れの良い話し方、それと、よく東京の水で洗ったようなというが、色白で肌や白髪に艶があり、いかにも江戸っ子の風情である。本郷の木内書店の木内民夫さんや、戦後、銀座近藤書店内に秦川堂を開いた永森慶二さん(後に大塚,下谷、神保町に移転。故秦川堂永森譲さんの父上)など、以前はきれいな容姿でべらんめー口調の古本屋さんを見かけたが、相川さんは「べらんめー」ではなかったが、そんな東京の粋な古本屋のお一人だったと思う。

「歌舞伎が好きで」の前半は『古本屋』の回想記をなぞるものだが、後半は古本屋、特に戦後の古書市場再興や即売会の運営、南部支部創設、南部古書会館の建設について話されている。


「東京古書組合は十支部に分かれていましたが(略)私の所属していた第五支部は渋谷・世田谷・目黒を範囲とし、港・中央の第四、品川・大田の第六支部と合併したわけです。その合併の際、私は第五支部の支部長を務めており、第四支部が笹間さん、第六支部は柳川さんでした。三人協力して努力いたしましたが、その最終的なまとめには小川書店田中さんが尽力され、又、南部古書会館の取得については、押鐘書店が取引先の銀行から物件の情報を入手し、それを文雅堂高橋さん、八起書房小島さんが精力的に運動し実現されたのです。」と話されている。

この間の詳しい経緯は、現在、『南部支部報』の第56号(二〇二二年三月)から連載されている「相川章太郎日記抄」(一九六七~)で詳しく知ることが出来る。相川さんは組合の月報に、白樺書院大輪さん、小川書店田中さん、石黒書店の石黒さん、江口書店の江口さん、富岡書店の富岡さんの追悼文を書いたと話されている。古本屋にとって古書市場と、それを安定的に開催できる会館がいかに大切であり、心の支えであるかを改めて知らされると共に、自分の商売を犠牲にしながら組合に貢献された方々のあったことを忘れてはいけないと思う。

(「全古書連ニュース」2024年3月10日 第499号より転載)

※当連載は隔月連載です

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2024年4月25日号 第393号

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☆INDEX☆
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1.『百花繚乱の美人画ポスター』
              田島奈都子(青梅市立美術館 学芸員)

2.『証言・満州キリスト教開拓村 国策移民迎合の果てに』
               石浜みかる(ノンフィクション作家)

3.『知られざる佐渡の郷土史家・蒐集家-青柳秀雄の生涯とその業績』
                           北見継仁

4.『親子福祉法の比較法的研究Ⅱ―里親の法的地位に関する日独比較研究―』
                 鈴木博人(中央大学法学部教授)

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━━━━━━━━━【自著を語る(324)】━━━━━━━━━━━

『百花繚乱の美人画ポスター』
               田島奈都子(青梅市立美術館 学芸員)

 2024年3月に芸術新聞社より出版された拙著『百花繚乱の美人画
ポスター』は、1900~30年代に製作された日本製ポスターの中
から、眉目秀麗な着飾った女性を主題とした「美人画ポスター」を
約100点、「画家の競演」、「図案家の活躍」、「妍を競う懸賞募集」、
「銀幕の美女」、「誘惑のエロティシズム」、「写真の活用」の6つの
章に分けて紹介するものである。

 筆者はこれまでも、この種の作品を既刊本の中で取り上げてきた。
ただし、これは戦前期の日本製ポスターには、女性が主題としたものが
多いという現実に即した結果であり、「美人画」という視点に立って
作品と対峙することは、筆者にとっても久々のことであった。そして
この背景には、「鑑賞性」が強い美人画ポスターは、広告としての
役割を十分に果たしておらず、したがって学問的に研究するに値しない
とする認識が、従来のポスター研究の間で支配的であったことが関係
している。

 
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=13880
 

『百花繚乱の美人画ポスター』
田島奈都子 著
芸術新聞社 刊
税込価格:3,630円
ISBNコード:978-4-87586-696-1

好評発売中!
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784875866961
 

━━━━━━━━━【自著を語る(325)】━━━━━━━━━━━

『証言・満州キリスト教開拓村 国策移民迎合の果てに』
                石浜みかる(ノンフィクション作家)

 1868年の明治維新以降、日本は西欧にならって帝国主義国家路線を
採りました。韓国を併合すると、さらなる領土拡張の欲望やみ難く、
日本海を渡り、1931年の、奉天(今の瀋陽)近くの鉄道爆破を契機と
して、満州全土(現在の中国東北部)を日本の「生命線」化していき、
翌年、傀儡国家「満州国」を建国しました。そして占領地全体に、国策
として、日本本土から開拓団を次々に送り込みました。移民です。
その中に、2つのキリスト教開拓団がありました。キリスト教界も
国策に迎合したのです。

 
続きはこちら
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『証言・満州キリスト教開拓村 国策移民迎合の果てに』
日本キリスト教団出版局 刊
石浜みかる 著
税込価格:3,300 円
ISBN:9784818411548

好評発売中!
https://bp-uccj.jp/book/b639573.html
 
 
━━━━━━━━━【自著を語る(326)】━━━━━━━━━━━

『知られざる佐渡の郷土史家・蒐集家-青柳秀雄の生涯とその業績』
                            北見継仁

 私が青柳秀雄の名前を初めて知るのは、2019年に自費出版した『佐渡
郷土資料目録』作成のための調査時であった。青柳秀雄(以下、青柳)の
著作物を見ると、民俗学、なかでも方言研究家、そして資史料の蒐集家では
ないかと考えていた。しかし、佐渡島内で刊行された郷土史誌・名鑑の類いに
青柳の名前をなかなか見出せないでいた。

 2008年に、「港や書店」(中村一也さん)発行の古書目録№38が恵贈
されてきた。この目録には佐渡関係232点の青柳コレクションが掲載され
ており、調査を進める際には大変有益であった。佐渡島内の図書館や個人
コレクションでも青柳の著作物があまり所蔵されておらず、「港や書店」
古書目録№38をテキストにして、Webサイト「日本の古本屋」を大いに利用
した。

今迄に私は「日本の古本屋」を通じて、およそ380冊の古本を購入している。
今回の資料購入では『特選蒐集家名簿』・『古本年鑑』・『図書週報』等の
古典社刊行のものや民俗学に関する古書等を、予算のゆるす限り購入した。
なかでも金沢文圃閣さんのラインナップは現在でも欲しいものばかりであるが、
購入できなかったものもある。

 
続きはこちら
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『知られざる佐渡の郷土史家・蒐集家――青柳秀雄の生涯とその業績』
北見 継仁 著
皓星社 刊
税込価格:4,950円
ISBN:978-4-7744-0818-7
 
好評発売中!
https://www.libro-koseisha.co.jp/history_culture/9784774408187/
 

━━━━━━━━━━━【大学出版へのいざない17】━━━━━━━━━━━

『親子福祉法の比較法的研究Ⅱ―里親の法的地位に関する日独比較研究―』
                      鈴木博人(中央大学法学部教授)

 本書(副題は「里親の法的地位に関する日独比較研究」)は、里親里子関係を
私法(民法)上位置づける必要があることを、日本法とドイツ法を比較法の対象
として検討するものである。

要保護児童、いわゆる社会的養護を受けている子の養育は、養育者とのアタッチ
メントを築くために里親養育が推奨され、里親委託の数値目標が掲げられ、政府
広報も盛んに行われている。ところが、近年、里子の委託措置解除をめぐり里親が
都道府県(児相)を提訴するケースが全国で相次いでいる。里親の主張が裁判で
認められることはほばないにもかかわらずである。

 
続きはこちら
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『親子福祉法の比較法的研究Ⅱ
―里親の法的地位に関する日独比較研究―』
鈴木博人 著 
中央大学出版部 刊
判型/製本形式/ページ数:A5判/上製/148ページ
税込価格:1,870円
ISBNコード:978-4-8057-0739-5
Cコード:3332

 
好評発売中!
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784805708330
 
━━━━━━━━━━━━━【次回予告】━━━━━━━━━━━━━

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
書名:「印象派の道」
出版社:三省堂書店/創英社
著者名:リオネッロ・ヴェントゥーリ
訳者名:長峯朗(渡内書店)訳
価格:5,500円(税込)
ISBN:978-4-87923-222-9

好評発売中!
https://www.books-sanseido.co.jp/soeisha_books/2414111

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
書名:『近代出版研究 第3号』
著者:近代出版研究所
出版社:皓星社
ページ数:320 ページ
税込価格:2,530円
判型:A5判並製
装幀・造本:藤巻亮一
ISBN:978-4-7744-0820-0

好評発売中!
https://www.libro-koseisha.co.jp/publishing/9784774408200/

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「大学出版へのいざない」シリーズ 第18回

書名:『三浦按針の謎に迫る 家康を支えたイギリス人臣下の実像』
著者名:森 良和・フレデリック・クレインス・小川 秀樹 編著
出版社名:玉川大学出版部
判型/製本形式/ページ数:四六判・並装・340ページ
税込価格:2,860円
ISBNコード:978-4-472-30314-2
Cコード:C0021
https://www.tamagawa-up.jp/book/b607092.html
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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『証言・満州キリスト教開拓村  国策移民迎合の果てに』

『証言・満州キリスト教開拓村  国策移民迎合の果てに』

石浜みかる(ノンフィクション作家)

 1868年の明治維新以降、日本は西欧にならって帝国主義国家路線を採りました。韓国を併合すると、さらなる領土拡張の欲望やみ難く、日本海を渡り、1931年の、奉天(今の瀋陽)近くの鉄道爆破を契機として、満州全土(現在の中国東北部)を日本の「生命線」化していき、
翌年、傀儡国家「満州国」を建国しました。そして占領地全体に、国策として、日本本土から開拓団を次々に送り込みました。移民です。その中に、2つのキリスト教開拓団がありました。キリスト教界も国策に迎合したのです。
 
 本書の「証言」は、その2つの開拓団の団員であった方たちから、筆者が直にお聞きして
書き留めた言葉です。戦後沈黙してきた時間があまりにも長かったので、沈黙を破ると、
敗戦時の悲惨な記憶がほとばしり出るのでした。満州での暮らしは現代に少しも伝わって
いないと確信し、筆者は夢中で書きとどめていきました。全体像をできる限り描き出すのは、
わたしの役割であると自然に感じられました。スタートしたのは30年ほど前のことでした。
 
 当時筆者は50歳代でした。以後満州(満州国)について学び続けてきました。原稿から
書籍への道は長かったのですが、電子書籍が広がるなかで、手で触れられる造本で、
やっと読者のみなさんのお手元に届けられる時がきました。無上の喜びです。

 開拓団員たちは、日本敗戦によって、本土へ引揚げました。満州で築きあげたものはすべて失いました。満州入植そのものが国家による侵略行為だったからです。現地民をその農地から追い出し、肥沃で広大な農地から大豆その他の農産物を得て本土に送りました。満州の大地
以外に生きる道がない苦力(クーリー)たちを超低賃金でこき使い、豊かな鉱物資源からは
エネルギーを得、日本国家も国民も豊かになったのです。東南アジア・太平洋一帯での十五年戦争も、満州という兵站基地を持ってこその戦争でした。
 
 反省もなく、戦後がはじまりました。

 戦後の経済が、爆発的かつ安定的に成長していった日本では、戦争の責任や他国民への加害など、〈疚しさ〉を感じる過去など振り返らないでもうまくいくのだという楽勝気分が、指導者にも一般市民にも広がりました。日本の学校における歴史教育において、近代史はほぼ省略されました。近代史隠蔽です。そこに落とし穴がありました。緊張感を失ったまま、いまに
至っています。

 しかし少なからぬ人たちが、現在の社会情勢の変化に危機の到来を感じとっています。
〈新しい戦前〉と呼び、同じ轍を踏んではならないと、過去から現代へのメッセージを読み
解くように訴えています。本書もその列に連なっています。

 本書の構成は、第一章から第四章までは時代背景と前史、および満州への邦人移民の全体像の素描です。第五章がキリスト教開拓団の本論になります。第一章から第四章までの説明が
かなりの分量を占めているのは、前史および全体像が理解されないとキリスト教開拓団の物語が理解されないからです。また第五章が団員たちの貴重な証言になっています。日本での暮らしから開拓団の中での暮らしまでを自ら語っています。

 開拓団・青少年義勇隊の農場・報国農場など、日本人の村は全満州に1000近くありましたが、このキリスト教開拓団員たちの証言ほど、小さな個人がどう生きたかを自ら語った「団員たち自身の証言」は見当たりません。敗戦時の満州在住日本人は約155万人、開拓団員は約27万人、死者は約8万人。語られなかった無数の個人の物語があったのです。

 本書は、ひとりの青年牧師がはじめた「探求の旅」を原型にしています。1970年代に日本キリスト教団史の作成が始まりましたが、あちこちから集められた戦時中の資料を時系列に
並べていく仕事を任されていたとき、彼は「基督教開拓団」という言葉に出くわしたのです。「キリスト教開拓団? これはいったい何なんだ!」 戦時中の指導者たちはまだ生きているのに、聞いたことがない。だれも語らない。調査を始めます。その意気に感じた者たちが
「探求の旅」につながっていきました。筆者もそのひとりです。

 現代の日本は世界に先駆けて「労働人口減少社会」に突入しました。建築現場でも、工場でも、農地でも、多民族の労働者を雇っています。人間として対等に相和して働いているでしょうか。満州で現地民を使っていたのは、曾祖父母、祖父母の世代ですが、反省がなされていないなら、世代が交代しても、「多民族協和」の重要性や人権意識は、いまの労働現場で十分に意識化されていないかもしれないと危惧されます。

 危惧はもうひとつあります。SNSが急速に発達し、デジタル文明の時代になりました。
情報は一瞬にして地球上全体に発信され、手にしているスマホに瞬時に届きます。この情報は本物であるか偽物であるか。〈疑う力〉と〈見抜く力〉が必須になりました。さらには意図的に隠されている情報もあります。土台となる知識と思考の柔軟性に磨きを掛けないと、選択をあやまります。
 
 筆者のインタビューに応じてくださった団員たちは、「あの戦争」の前は、いまの私たちのように平穏に暮らしていた個人でした。戦争をする社会に組み込まれたのは、あっという間でした。

 彼らの「証言」を、読んでいただけることを願っています。

 


 
『証言・満州キリスト教開拓村 国策移民迎合の果てに』
日本キリスト教団出版局 
石浜みかる 
3,300円(税込)
ISBN:9784818411548
 
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『知られざる佐渡の郷土史家・蒐集家-青柳秀雄の生涯とその業績』

 

知られざる佐渡の郷土史家・蒐集家-青柳秀雄の生涯とその業績

北見継仁

 私が青柳秀雄の名前を初めて知るのは、2019年に自費出版した『佐渡郷土資料目録』作成のための調査時であった。青柳秀雄(以下、青柳)の著作物を見ると、民俗学、なかでも方言研究家、そして資史料の蒐集家ではないかと考えていた。しかし、佐渡島内で刊行された郷土史誌・名鑑の類いに青柳の名前をなかなか見出せないでいた。

 2008年に、「港や書店」(中村一也さん)発行の古書目録№38が恵贈されてきた。この
目録には佐渡関係232点の青柳コレクションが掲載されており、調査を進める際には大変有益であった。佐渡島内の図書館や個人コレクションでも青柳の著作物があまり所蔵されておらず、「港や書店」古書目録№38をテキストにして、Webサイト「日本の古本屋」を大いに利用した。今迄に私は「日本の古本屋」を通じて、およそ380冊の古本を購入している。今回の資料購入では『特選蒐集家名簿』・『古本年鑑』・『図書週報』等の古典社刊行のものや民俗学に関する古書等を、予算のゆるす限り購入した。なかでも金沢文圃閣さんのラインナップは現在でも欲しいものばかりであるが、購入できなかったものもある。

 さらに2010年には佐渡市相川出身で、のちに神奈川県に移住した修験道研究家牛窪弘善の佐渡関係を中心とした資史料が、弘善の五男剛氏によって、私が勤務していた佐渡学センターへ一括寄贈された。牛窪弘善は『修験道綱要』(名著出版)をはじめとする多くの著書・
論文があり、寄贈された資史料の数は2087点にものぼった。この中には青柳の発刊した
謄写版印刷の『佐渡郷土趣味研究』等が含まれていたのである。 これらも参考にしながら、青柳についての調査研究を進め、昭和初期から、佐渡の郷土史研究を牽引する人物の一人で
あったことがおぼろげながらわかってきた。なかでも郷土史家としては、民俗(特に方言)・
考古・歴史を中心としており、蒐集家としては、明治以降の詩歌に関するもの、佐渡に関するもの全般、雑誌(創刊号・特集号・追悼号・終刊号)、こけしなどがコレクションの対象で
あった。

 小林昌樹(近代出版研究所所長)さんが、本書の解説「ブックコレクターとしての青柳
秀雄」の中で、「趣味から立ち上がる研究―新興学問としての民俗学・書誌学」を書いて
下さっており、また青柳の「秀雄」と「秀夫」の使い分けの理由も分析されている。

 私には青柳が研究者と版元、古書・資料に取りつかれたコレクター等、大変魅力的な人物像として映り、次第に魅了されていった。ところが前述したように、青柳の業績が地元の佐渡では顧みられなくなっていたのである。菊地暁(京都大学人文科学研究所助教)先生は小林所長と同様に解説で、「民間伝承の会「支部」をめぐって」を書いてくださっているが、柳田國男に影響を受けたその当時の、島内の郷土史家たちによる「民間伝承の会佐渡支部」結成前後の時期から、資料採取の方針や中央集権的な姿勢、資料提供者にとめおかれること等、そのような姿勢に追従する佐渡の支部員の姿には、青柳は納得できなかったに違いない。そこからはじかれた青柳は、今まで自分自身が蓄積した業績を顧みられる機会がなくなってしまったのであろう。

 この青柳に関する調査研究の成果は、自費出版で少部数の刊行を予定していた。ところが
インターネット上で青柳のことに触れられていることに気づき、さらに重厚な書籍が並ぶ書架を背景に撮影された、青柳の絵葉書写真を見つけたのである。これを何とか転載させて頂けないものかと掲載者である書物蔵さんに連絡を取ったところ、快く許可を頂き、併せて皓星社を紹介してくださった。その縁から小林昌樹さん、河原努さん(皓星社・近代出版研究所)、
神保町のオタさん、神川隆さん(草の根研究会)等のご援助ご協力を得ることになり、次々と課題が氷解していったのである。

 また、青柳の学歴、幼少期、青年期、郷土史研究の動機、東京時代の様子、日本中の研究者(趣味研究者・土俗・民俗研究者・蒐集家)との交流や関係性等、多くの課題も残したが、
これは私の力不足や諸般の事情としか述べられない。本書は2部構成となっており、第2部では青柳の発刊した逐次刊行物の一部(『佐渡郷土趣味研究』第一輯、『土俗研究』創刊号、『佐渡研究』第一輯。『佐渡研究』創刊号、『佐渡蒐集家名簿』)を復刻・翻刻して収録した。

 今後、本書によって、青柳の生涯とその業績及び地方における謄写版による書籍・雑誌の
果たしたネットワーク等の役割について、さらに地方での日本民俗学研究史における、青柳の再評価の機会になればと願っている。

 

『知られざる佐渡の郷土史家・蒐集家-青柳秀雄の生涯とその業績』
皓星社 
北見 継仁 
4,950 円(税込)
ISBN:978-4-7744-0818-7
 
好評発売中!
https://www.libro-koseisha.co.jp/history_culture/9784774408187/

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『親子福祉法の比較法的研究Ⅱ―里親の法的地位に関する日独比較研究―』【大学出版へのいざない17】

『親子福祉法の比較法的研究Ⅱ―里親の法的地位に関する日独比較研究―』【大学出版へのいざない17】

鈴木博人(中央大学法学部教授)

 本書(副題は「里親の法的地位に関する日独比較研究」)は、里親里子関係を私法(民法)上位置づける必要があることを、日本法とドイツ法を比較法の対象として検討するものである。
  
要保護児童、いわゆる社会的養護を受けている子の養育は、養育者とのアタッチメントを
築くために里親養育が推奨され、里親委託の数値目標が掲げられ、政府広報も盛んに行われている。ところが、近年、里子の委託措置解除をめぐり里親が都道府県(児相)を提訴する
ケースが全国で相次いでいる。里親の主張が裁判で認められることはほばないにもかかわらずである。
  
一般的に行政訴訟で原告が勝訴することは難しいということはあるとしても、根本的な理由は、日本法では、里親は児童を養育する固有の権利をもっていない、いわば無権利状態に置かれている点に求めることができる。里親は児童を都道府県(児相)から、児童福祉法に基づき
委託措置されている。これは行政法上の措置で、措置権者である都道府県・児相には専門機関としての裁量権が認められている。
  
これに対して里親は、児童福祉法上、都道府県によって認定・登録された者であり(6条の4)、児童の養育委託先として、各種施設と並んで都道府県が養育委託措置先として列挙されているものの一つである。委託される児童の多くには親権者がいるので、施設(施設の場合
入所措置という)・里親との関係はどういうことになるかというと、親権者―児相+児相―
里親となり、親権者と里親・施設が親権者から親権の一部行使を委ねられるという関係にはない。
  
親権者がいても、施設長や里親は、「監護及び教育に関し、その児童の福祉のため必要な措置をとることができる」と児童福祉法は規定し(47条3項)、この措置を親権者・後見人は不当に妨げてはならない(同条4項)とするが、これは、里親に一身専属的な身分権を認めたものではない。あくまでも都道府県から委託されて行う行政法上の措置として委託児童の養育を行うことができるというだけである。日本法の現状分析では、こうした日本法の構造分析を行っている。
  
 ドイツ法では、里親養育(各国比較をするときに「里親」という用語を使うことは誤解を
招くと考えるが、本書では便宜上、「里親」という語を使っている)を日本のような公法で
ある行政法上の措置としていない。公法と私法という近代法の枠組みを前提にすると、
里親養育を公法上の制度として位置づけるということは、17世紀の官治国家への逆戻りに
なると評されている。この観点から見ると、日本法の構造は、近代市民社会以前の姿とさえ
いえる。では、ドイツ法での里親養育の法律関係とのどうなっているのだろうか。
  
 ドイツ法では日本の児童福祉法に当たる児童ならびに少年援助法で、里親養育は、行政法上の措置ではなく、実親が、自らの権利として利用できる教育援助の一つであると規定されている。福祉機関である少年局は、実親である配慮権(日本法の親権に該当)者に里親をあっせんし、里親の児童を養育する権限は、親の配慮権の一部を配慮権者から委託されるという仕組みになっている。里親の児童を養育する権限は、民法上の親の配慮権に由来するのである。
 
そうすると、関係者の関係は、実親(配慮権者)-子ども—里親の三者関係となる。
この関係では、里親養育が長期にわたって行われ、その結果子どもと里親との間に強い
結びつきが生じると、里親里子関係を単純に解消すると子の福祉を害することにもなりうる。
 
こうした問題については、ドイツ民法立法時から議論されてきた。当初は、里親による里子
養育はそれほど利用されていないという認識から、里親里子関係は民法に規定されなかった。
ところが、その後しばしば民法に里親里子関係を規定することの要否が議論された。
里親による養育の根拠が親権・親の配慮権に置かれていたのだから当然である。本書で
扱っている歴史的な経緯を経て1979年の親権法改正(親権という用語は親の配慮という用語に変更された)で、ドイツ民法で初めて里親の法的権限が規定されるに至った。本書は、この1979年立法に至るまでの歴史的経緯を一つの柱として扱っている。
 
 里親里子関係に関するドイツ民法の立法史を踏まえて日本法の現状分析をすると、里親家庭はドイツ法上は基本法(憲法)が規定する「家族」に含まれるが、日本法では日本国憲法24条がいう「家族」には該当しないということになる。
 
 
 
 

『親子福祉法の比較法的研究Ⅱ
―里親の法的地位に関する日独比較研究―』
中央大学出版部 
鈴木博人 
1,870円(税込)
ISBN:978-4-8057-0739-5
Cコード:3332

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『百花繚乱の美人画ポスター』

『百花繚乱の美人画ポスター』

田島奈都子(青梅市立美術館 学芸員)

 2024年3月に芸術新聞社より出版された拙著『百花繚乱の美人画ポスター』は、1900~
30年代に製作された日本製ポスターの中から、眉目秀麗な着飾った女性を主題とした「美人画ポスター」を約100点、「画家の競演」、「図案家の活躍」、「妍を競う懸賞募集」、
「銀幕の美女」、「誘惑のエロティシズム」、「写真の活用」の6つの章に分けて紹介するものである。

 筆者はこれまでも、この種の作品を既刊本の中で取り上げてきた。ただし、これは戦前期の日本製ポスターには、女性が主題としたものが多いという現実に即した結果であり、「美人画」という視点に立って作品と対峙することは、筆者にとっても久々のことであった。そしてこの背景には、「鑑賞性」が強い美人画ポスターは、広告としての役割を十分に果たしておらず、したがって学問的に研究するに値しないとする認識が、従来のポスター研究の間で支配的であったことが関係している。

 しかし、戦前期の日本製ポスターは、確かに広告を目的として製作されたものの、依頼主となる企業にとっては、自社の財力や趣味の良さを見せつける、「ステータス・シンボル」と
して機能した時代が長かった。また、それが掲出される店舗においては、店頭や店内を美しく飾る「装飾材料」となることが求められてもいた。したがって、最新流行の豪華な衣装を身に着けた女性像を、著名な画家や人気の図案家に描かせたり、美人の誉れが高い芸妓や映画女優を、主題として起用したりすることは、そのようなポスター用原画を、当代最高級の製版印刷技術を用いて複製することを含めて、実は非常に理にかなった行為だったのである。

ましてや、高温多湿で日差しの強い日本においては、商業ポスターが欧米のように完全な屋外に掲出されることはほぼなく、ショーウインドーの中や店内の壁面に、額装されて掲出されることを常としていた。そうなると必然的に、ポスターと鑑賞者の距離は近くなり、「複製絵画的」であることや、「近くから見ても精緻で美しい」ことは、一般市民が優れたポスターと
認める要件にもなっていった。

 このような状況から、戦前期の日本においては、ポスターといえば美人画的な作品が主流となった。ただし、この「圧倒的に数が多い」状況は、ときとしてこうした作品全体を「取るに足らない存在」と見なし、原画製作に携わった画家や図案家を、軽んじる風潮を助長してきた。

事実、展覧会や書籍においては、どうしても「数の少ない珍しい」作品が選ばれがちであり、1911年に三越呉服店が行った第1回広告画図案懸賞募集において1等に選ばれた、橋口五葉による《三越呉服店 此美人》や、日本初のセミヌード・ポスターとされている、1922年の片岡敏郎と井上木陀による、松島栄美子をモデルにした《赤玉ポートワイン》のような、
ポスター史において重要な一部の作品を除くと、美人画ポスターは製作年や作者不詳の作品が多いことも相まって、これまでは「十把一絡げ」的に語られることが多かった。

 さて、こうした中での本書は、美人画ポスターに対する正当な評価を促すべく、出版されたといっても過言ではない。ただしそのためには、誰もが「見るべき価値を有する」と思える
作品から、先に紹介することが定石であり、本書においては『百花繚乱の美人画ポスター』の書名に相応しい優品を約100点厳選し、それらを冒頭でも述べた6つの章に分類提示することにした。

また、それらを理解となる一助になるべく、各作品には200文字程度の個別解説を付け、
本書の中核をなす6章を挟むかたちで、約2000文字の「美人画ポスター前史」と「美人画
ポスターの終焉」も執筆し、美人画ポスターが全盛期を迎えた前後の時代状況についても
言及することにした。そのうえ、巻末には作家やモデルの略歴に加えて、1935年7月10日~8月21日に発行された『東京毎夕新聞』に連載された、著名画家による美人論「夏の女を語る」と、1931年6月10日発行の『婦人子供報知』第7号に掲載された、明治から昭和初期の髪型の変遷を図示した、鰭崎英朋による「明治から昭和初期の髪かたち」が、付録として再録されているのであるから、本書は「見ごたえ」のみならず、「読みごたえ」も十分な1冊に
仕上がったと自負している。

 本書を出版するにあたっては、一から該当する作品を洗い出し、分類整理し、章立てを考えつつ取捨選択を繰り返したが、こうした作業は想像した以上に楽しかった。また、解説文を
執筆するために改めて作品と向き合ってみると、新たな一面や意外な面白さを発見することも多々あり、作画に当たっては各作者が相当勉強し、計算していたことにも気づかされた。
本書を通して、美人画ポスターの豊かさを奥深さを再確認して頂ければ、著者としては幸甚である。
 
 


 
『百花繚乱の美人画ポスター』
芸術新聞社 
田島奈都子 
3,630円(税込)
ISBN:978-4-87586-696-1
 
好評発売中!
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784875866961

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2024年4月10日号 第392号

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        古書市&古本まつり 第135号
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メールマガジンは、毎月2回(10日号と25日号)配信しています。

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━━━━━━━━━【シリーズ書庫拝見24】━━━━━━━━━

秋田市立土崎図書館 3人の同級生が遺したもの
                         南陀楼綾繁

 今年1月に秋田市に来た際、知人から「本のある場所」に案内された。
中心部の中通にある〈本庫 HonCo〉だ。

 中に入ると、天井まで届く本棚に圧倒される。建築家の難波和彦さん
が進めてきた「箱の家」シリーズのひとつで、「本・箱の家」という
名前もあるそうだ。「本に遊ぶ」というモットーに賛同する人たちが
集まる会員制私設図書館で、メンバーには図書館や大学関係者もいる。

 棚の本を眺めていると、『種蒔く人』関係の資料が並ぶ一角が目に
留まった。市販されていない目録や論文集もある。
 それもそのはず、代表の天雲成津子さんは元図書館司書で、私が
翌月に取材する秋田市立土崎図書館に勤務していたこともあるという。

前回紹介した「種蒔く人」顕彰会編『『種蒔く人』の射程 一〇〇年の
時空を超えて』(秋田魁新報社)にも、論考と文献目録で関わっている。
なんという偶然、いや必然なのだろうか。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=13555

南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一
文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、
図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年
から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」
の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」
の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、
『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』
(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、
編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

X(旧Twitter)
https://twitter.com/kawasusu

秋田市立土崎図書館
https://www.city.akita.lg.jp/kurashi/shakai-shogai/1008469/1008847/index.html

━━━━━━━━━━━【調べる古本④】━━━━━━━━━━━

調べる古本④ 古本用語を調べる古本 ―『書物語辞典』(1939) 
久源太郎『古本用語事典』(1989)など 附・古本用語集のはじめ―

                           書物蔵

■古本用語を知ったほうがお得で楽しい?
 書物評論家・紀田順一郎先生が若い頃、「揃い」と「大揃い」の
違いがわからなくて、古本買いで損をした話を読んだことがある。
揃いはだいたい揃っている、あるいはある巻からある巻まで続いて
いる、といった意味で、完全揃いが「大揃い」。

 そこまではさすがにわからずとも、古本屋用語がわかったほうが、
我々古本愛好家にも便利なことは確かだろう。「これ、12冊で〈
大揃い〉なんだけれど、11巻目が新装版からの〈足し本〉なんだ
よね」などと、古本仲間うちで話せると効率もよいというわけだ。
第一、楽しい。

続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=13447

※当連載は隔月連載です

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「コショなひと」始めました

YouTubeチャンネル「東京古書組合」
https://www.youtube.com/@Nihon-no-Furuhon-ya

※今月の新コンテンツはありません。

━━━━━【4月11日~5月15日までの全国即売展情報】━━━━━

https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

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フジサワ古書フェア(神奈川県)

期間:2024/03/21~2024/04/17
場所:フジサワ名店ビル 有隣堂藤沢店4階ミニ催事場
URL:http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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西武本川越PePeのペペ古本まつり

期間:2024/04/04~2024/04/16
場所:西武鉄道新宿線 本川越駅前ペペ広場

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♭立川フロム古書市ご案内♭

期間:2024/04/05~2024/04/16
場所:立川駅北口徒歩5分フロム中武3階バッシュルーム(北階段際)
(ビッグカメラ隣) 
URL:https://mineruba.bookmarks.jp/saiji.htm

------------------------------
第9回南大沢古本まつり

期間:2024/04/12~2024/04/18
場所:京王相模原線南大沢駅前~ペデストリアンデッキ~
三井アウトレット前特設テント

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好書会

期間:2024/04/13~2024/04/14
場所:西部古書会館 杉並区高円寺北2-19-9
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=620

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本の散歩展

期間:2024/04/19~2024/04/20
場所:南部古書会館 品川区東五反田1-4-4
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=609

------------------------------
おやまるしぇBOOKS古本市

期間:2024/04/20~2024/04/21
場所:イオンモール小山2階 未来屋書店横 特設会場
栃木県小山市中久喜1467-1

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鬼子母神通りみちくさ市 2024春(古本フリマ)

期間:2024/04/21~2024/04/21
場所:雑司が谷鬼子母神通り
URL:https://kmstreet.exblog.jp/

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フィールズ南柏 古本市※会期修正しました2/21

期間:2024/04/21~2024/04/30
場所:フィールズ南柏 モール2 2階催事場  
柏市南柏中央6-7

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第12回 小倉駅ナカ本の市

期間:2024/04/23~2024/04/29
場所:小倉駅ビル内・JAM広場
URL:https://twitter.com/zCnICZeIhI67GSi

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春の古本掘り出し市

期間:2024/04/24~2024/04/29
場所:岡山シンフォニービル1F 自由空間ガレリア

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浦和宿古本いち

期間:2024/04/25~2024/04/28
場所:さくら草通り(JR浦和駅西口 徒歩5分 マツモトキヨシ前)
URL:https://twitter.com/urawajuku

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西部古書展書心会

期間:2024/04/26~2024/04/28
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=563

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ぐろりや会

期間:2024/04/26~2024/04/27
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22 
URL:http://www.gloriakai.jp/

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第21回 四天王寺 春の大古本祭り

期間:2024/04/26~2024/05/05
場所:大阪 四天王寺 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
URL:https://kankoken.main.jp/

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第66回 名鯱会 古書即売会

期間:2024/04/26~2024/04/28
場所:名古屋古書会館 2階 名古屋市中区千代田5-1-12
URL:https://hon-ya.net/

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第19回境内アート×苗市@小布施 玄照寺

期間:2024/04/28~2024/04/28
場所:玄照寺 長野県上高井郡小布施町大島90
URL:https://obuse.keidai-art.com/

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港北古書フェア

期間:2024/04/30~2024/05/14
場所:有隣堂センター南駅店店頭ワゴン販売
最寄駅:横浜市営地下鉄 センター南駅※駅構内
URL:http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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第30回八王子古本まつり

期間:2024/05/02~2024/05/06
会場:JR八王子駅北口ユーロード特設テント

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城北古書展

期間:2024/05/03~2024/05/04
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=573

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東武日光線新大平下駅前で古本市(プラッツおおひら古本市)

期間:2024/05/04~2024/05/05
場所:まちづくり交流センター プラッツおおひら
   栃木県栃木市大平町富田558-11)

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反町古書会館展

期間:2024/05/04~2024/05/05
場所:神奈川古書会館1階 横浜市神奈川区反町2-16-10
URL:http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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杉並書友会

期間:2024/05/04~2024/05/05
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=619

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第51回 古本浪漫洲 Part.1

期間:2024/05/09~2024/05/11
場所:新宿サブナードジャングルスカイ広場(催事場)
   新宿区歌舞伎町1-2-2 TEL03-3354-6111
URL:https://kosho.co.jp/furuhon_romansu/

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東京愛書会

期間:2024/05/10~2024/05/11
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
URL:http://aisyokai.blog.fc2.com/

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中央線古書展

期間:2024/05/11~2024/05/12
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9  
URL:https://www.kosho.ne.jp/?p=574

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第51回 古本浪漫洲 Part.2

期間:2024/05/12~2024/05/14
場所:新宿サブナードジャングルスカイ広場(催事場)
    新宿区歌舞伎町1-2-2
URL:https://kosho.co.jp/furuhon_romansu/

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新橋古本まつり

期間:2024/05/13~2024/05/18
場所:新橋駅前SL広場
URL:https://twitter.com/slbookfair

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第51回 古本浪漫洲 Part.3

期間:2024/05/15~2024/05/17
場所:新宿サブナードジャングルスカイ広場(催事場)
   新宿区歌舞伎町1-2-2
URL:https://kosho.co.jp/furuhon_romansu/

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日本の古本屋メールマガジンその392 2024.4.10

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 広報部・編集長:藤原栄志郎

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調べる古本④古本用語を調べる古本 『書物語辞典』(1939) 久源太郎『古本用語事典』(1989)など 附・古本用語集のはじめ

調べる古本④ 古本用語を調べる古本 ―『書物語辞典』(1939) 
久源太郎『古本用語事典』(1989)など 附・古本用語集のはじめ―

書物蔵

古本用語を知ったほうがお得で楽しい?

 書物評論家・紀田順一郎先生が若い頃、「揃い」と「大揃い」の違いがわからなくて、古本買いで損をした話を読んだことがある。揃いはだいたい揃っている、あるいはある巻からある巻まで続いている、といった意味で、完全揃いが「大揃い」。

 そこまではさすがにわからずとも、古本屋用語がわかったほうが、我々古本愛好家にも便利なことは確かだろう。「これ、12冊で〈大揃い〉なんだけれど、11巻目が新装版からの〈足し本〉なんだよね」などと、古本仲間うちで話せると効率もよいというわけだ。第一、楽しい。

【図1】手頃な古本用語集
【図1】手頃な古本用語集

 
 楽しいからかどうか、いままでいくつか古本用語集めいた本が出版されている【図1】。
インターネット普及以前「本の本」はかなり高いものだったが、現在はかなりこなれて来て、サイト「日本の古本屋」でもそこそこの値段で買えるのが喜ばしい。
 ということでいくつか古本用語がわかる古本をご紹介。

久源太郎『古本用語事典』有精堂出版、1989

 正面から古本の用語を標榜する本は意外とない。これと、あと一冊、2013年に高円寺で
頒布された文庫版の小冊子『古書手帳』(東京古書組合中央線支部)があるくらいだ。著者の久(ひさし)氏は「1946年東京都生まれ。出版社勤務」とのことだが、むしろ古本好きには1970年代「発禁本関係資料集成」の復刻出版社、湖北社をやっていた人というほうが通りがよいだろう。

 この『古本用語事典』は、語の採録の幅や語釈にやや難があり、また、語の読みから検索する索引がないなど、辞典としての作りもいま一つなのだが、比較的――古本マニアにとっては、ですよ――近年の出版であるのと、その評価のせいか、1990年代後半に「ゾッキ」に
流れたせいか、古本で入手しやすい。日本の古本屋でもアマゾンマケプレにも多数ある。
入手してつれづれに読むのに適していると思う。

 本体は、1. 古本業界・市・展覧会、2. 古本屋用語、3. 出版業(版元)・文庫(コレクション)、4. 書物―その形式、の4部構成になっており、便利なようでいて、1と2のどちらで古本用語が出るか分からない。約500語を収録。「東京移動図書館」といった、図書館学からも
出版史からもこぼれ落ちる項目があったりする。

古典社編『書物語辞典 3版』古典社、1939

 戦前に出たこの辞典が実は今回のイチオシ。最近、国会図書館のデジタルコレクションで
見られる
ようになったせいか値段がこなれてきたので、ここに紹介できるようになった。
書物語一般という内容ではあるが、実は古本用語についても充実しており、さらに言えば、
事実上の著者、古典社主、渡辺太郎の才覚によって他にない価値がある本。

 まず他の辞書では出ない言葉が拾われていること。「おまんじゆうしつ(ママ)ぱん(お饅頭出版)」

【図2】などというジャーゴンはなかなか立項されない(「まんじゅう本」の起源については最近『近代出版研究2024』に報告があるので参照されたい)。

【図2】『書物語辞典 3版』「お饅頭出版」の項
【図2】『書物語辞典 3版』「お饅頭出版」の項

 
 個人的には「ひろふ(拾ふ)」が立項されていて驚いた。いまでも古本マニアは古本を買うと言わず「拾う」というが、戦前期からの用法だったとは。

 本がらみでは他にも「ないけんえつ(内検閲)」などという項目もあって「内閲とも云ふ。大正八年頃から同15年頃まで内務省の図書課に検閲係を置き、出版物の下検閲をして発売禁止による損害予防の相談相手となつた」とある。牧義之「伏字の文化史:検閲・文学・出版」(森話社、2014)で内閲の実施時期が問題になっていたが、ここに同時代的な答えが書いてあったというわけである。渡辺は沼津に本拠を置いていたが、東京の古本業者と密に連絡を
とっていたらしい。

 渡辺の書物語辞典の良さはこういった採録語彙の豊富さだけではない。巻末にある「分類索引」がまた良いのだ【図3】。端的に言ってシソーラス(類語辞典)的に使えるのである。

【図3】『『書物語辞典 3版』巻末「分類索引」
【図3】『『書物語辞典 3版』巻末「分類索引」

 
 「足を出す」「えんりよ」「カマされる」など、いかにも業界語っぽい項目がオモシロい。さきほど久の「事典」が〈「ゾッキ」に流れた〉と書いたが、「ぞつき すつかりといふ意から、すつかり在庫品を売払ふ意となり、見切本のこととなる」という項目もある。書物関係語を広く採録し、約2300語を立項している。古本用語も豊富で戦前の書物語を知るのに現在でもベストの辞書と思う。久源太郎が参考文献に挙げていないのが不思議である。

 ちなみに家蔵本の見返し紙に、昭和17年に麻耶山房主人こと千田という人物が城戸なる畏友に贈ると書き込みがある。またさらに城戸は私の前の持ち主に贈ったともある。いま『昭和前期蒐書家リスト』(私家版、2019)を見ると、城戸は城戸幡太郎(心理学者)と思われる。

長沢規矩也、八木佐吉などの辞典も良い

 ほかにも手頃な書物語辞典がいくつか出ている。長沢規矩也編著『図書学辞典』(三省堂、1979)は漢籍中心だが、漢学らしく類語表現を選びやすくするため本文がシソーラス的な編成で、一方で五十音順索引も備えているので便利だ。約2000語を収録する。八木佐吉編著『書物語辞典:英(独・仏・羅)-和』(丸善、1976)は丸善「本の図書館」(1954〜2009)の2代目館長が作ったもの。日本語の索引もちゃんと付いている。洋古書に興味があれば、
この辞典だろう。2900語ほどを立項。

 変わったところでは、『学術用語集:図書館学編 第7版』(文部省、1976)がある。理系学問を中心に文部省がやっていた外国語と日本語の対応リストの一つ。語釈はないが日本語からも引ける。「図書館情報学編」でなく「図書館学編」のほうが古い書物語が拾える。
約5000語を立項し、語彙数が多いのが利点。ただし日本語はいかにも翻訳語といったものもある。

 以上、古書価格が手頃な古本用語辞典を紹介した。国会図書館のデジタルコレクションで見られるものも出てきたが、それゆえ入手しやすくなっている今がチャンスと思う。井上宗雄ほか編『日本古典籍書誌学辞典』(岩波書店、1999)といった、大きくて立派で高い専門辞書もあるし、渡邊正亥『図書・図書館用語集成』(近畿大学、1984)といった、図書館学系の辞書に書物語を立項するものもあるが、そういったものは学者先生たちに買ってもらうのがよいだろう。

附・古本用語集のはじめ

 本ではないが本の付録や雑誌記事として書物用語集が編まれることがある。我々古本者に
とって有名だったのは紀田順一郎編著『古書店地図帖:東京・関東・甲信越』(図書新聞、1967)にはじまる図書新聞の古本屋地図帳の付録「古書用語辞典」で、ここに紀田順一郎さんが困った「おおぞろい」という項目がある。聞いた話では、雑誌記事のはじめはどうやら
井上和雄「書肆慣用語(其一)〜(其二)」(『ほんや』2(2),2(4) 1916.3,1916.6)らしい(『増補 書物三見』青裳堂書店、1978に翻刻)。井上は古本屋の小僧を振り出しに、図書館員になったり宮武外骨のもとで働いたりした異色の古本屋だったがゆえにはじめてできた
ことであろうし、江戸式の「本屋」から古本屋が業界として分化するきざしだったのかもしれない。

 

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秋田市立土崎図書館 3人の同級生が遺したもの【書庫拝見24】

秋田市立土崎図書館 3人の同級生が遺したもの【書庫拝見24】

南陀楼綾繁

 今年1月に秋田市に来た際、知人から「本のある場所」に案内された。中心部の中通にある〈本庫 HonCo〉だ。

の内部
<本庫 HonCo>の内部

 
 中に入ると、天井まで届く本棚に圧倒される。建築家の難波和彦さんが進めてきた「箱の家」シリーズのひとつで、「本・箱の家」という名前もあるそうだ。「本に遊ぶ」という
モットーに賛同する人たちが集まる会員制私設図書館で、メンバーには図書館や大学関係者もいる。

 棚の本を眺めていると、『種蒔く人』関係の資料が並ぶ一角が目に留まった。市販されていない目録や論文集もある。

 それもそのはず、代表の天雲成津子さんは元図書館司書で、私が翌月に取材する秋田市立
土崎図書館に勤務していたこともあるという。前回紹介した「種蒔く人」顕彰会編『『種蒔く人』の射程 一〇〇年の時空を超えて』(秋田魁新報社)にも、論考と文献目録で関わって
いる。なんという偶然、いや必然なのだろうか。

 前回、あきた文学資料館名誉館長の北条常久さんの「秋田は人間関係が濃密で、『人の塊り』みたいなところなんです」という言葉を紹介したが、まさにそれが現前した感じだ。
 このときは短時間の訪問だったが、翌月は〈本庫〉でメンバーのみなさんとの懇親会を開いていただいた。その際、天雲さんから「明日、土崎図書館の取材ですか? でしたら、車で
ご案内いたしましょうか」と云っていただいたのだった。

『種蒔く人』が生まれた土地

 2月19日の朝、秋田駅で編集担当のHさんと待ち合わせる。
 本来なら一年で一番雪が積もっているはず時期なのに、今日はやたらと天気がいい。
むしろ、暑いぐらいだ。迎えに来てくれた天雲さんの車に乗り込み、土崎へと向かう。
 Hさんは岩手県生まれだが、小中学生の頃、父の転勤で土崎の近くに住んでいた時期があるという。そういえば、最初に土崎図書館に「種蒔く人資料室」があることを聞いたのは、4年ほど前、Hさんと秋田に来たときだった。

 土崎は秋田駅から北西に車で30分ほど行ったところにある港町だ。雄物川を背景に、古くから海運で栄え、江戸時代には「北前船」の寄港地だった。明治以降は油田開発にともない、製油所が多くあったという。1945年(昭和20)8月14日に起った土崎空襲の目的は、これらの製油所を狙ったものだという。

 土崎図書館に着くと、建物の前に『種蒔く人』の顕彰碑がある。1964年12月に「種蒔く人」顕彰会が建てたものだ。

『種蒔く人』顕彰碑
『種蒔く人』顕彰碑

 
 表面は、土崎で印刷されたことから「土崎版」と呼ばれる創刊号(1921年2月)の表紙が使われている。裏面には「私達はこの偉大な業績を秋田の誇り日本の誇りとして ここに『種蒔く人』顕彰碑を建立しました」とある。
 
 図書館の入り口で、3人の女性が迎えてくれた。副参事の藤原真理子さんと、司書の小玉奈々子さん、近藤明奈さんだ。休館日なのに、取材に対応してくださった。

秋田市立土崎図書館
秋田市立土崎図書館

 
 土崎図書館の前身は、土崎港町で1902年(明治35)に開館した南秋田郡立図書館である。
 秋田県では1880(明治13)に「秋田公立書籍(しょじゃく)館」が開館。その後、1899年(明治32)に、秋田県立秋田図書館が開館した。その3年後に南秋田郡立図書館が開館したのだが、蔵書数・閲覧者数とも県立と同等で、「郡民をはじめとする地域の利用度が相当高かったものと推察される」(『土崎図書館100年史』秋田市立土崎図書館)。大正期には「土崎読書会」が設立されている。

 1923年(大正12)、郡制廃止により県立秋田図書館土崎分館に、1932年(昭和7)、県から土崎港町への移管により町立土崎図書館となる。1941年(昭和16)、土崎港町が秋田市に合併され、秋田市立土崎図書館と改称される。1954年(昭和29)には旭町琴平に移転した。先の顕彰碑はこの場所で建立された。
 そして時代は下り、現在の地に1991年に新図書館が開館。このとき併設されたのが、「種蒔く人資料室」だった。顕彰碑も現在の地に移されたのだ。

顕彰会の歩み

「種蒔く人資料室」は2階にある。
『種蒔く人』の創刊の経緯や、それに関わった小牧近江、金子洋文、今野賢三の生涯などが展示されている。3人が通った土崎尋常小学校の写真もある。コンパクトだが、見ごたえがある。

「種蒔く人資料室」
「種蒔く人資料室」

 
 小牧、金子、今野の3人が、東京で撮った写真もある。1926年(大正15)、西荻窪の金子宅の庭で撮ったものだ。

「小牧、金子、今野の3人が、東京で撮った写真」
「小牧、金子、今野の3人が、東京で撮った写真」

 
 この頃、金子は西荻窪(住所は上荻窪)に住んでおり、一時期は今野賢三も同居していたという。

 この家は竹やぶに隣接していたので、「竹やぶの家」と云われた。「秋田出身の伊藤永之介や社会主義者の卵が集まり、梁山泊のようだったという」(「吉祥寺~西荻窪周辺 抵抗の
文学フィールドワーク」資料集 むさしの科学と戦争研究会)。

 当時、阿佐ヶ谷から吉祥寺にかけての中央線沿線には、プロレタリア文学の関係者が多く
住んでおり、その中には柳瀬正夢、佐々木孝丸ら『種蒔く人』関係者もいた。
「種蒔く人」顕彰会の歩みを伝える展示もある。

 同会は1962年に創立。会長は県議会議員の小幡谷政吉。小幡谷は、小牧近江の叔父で土崎版『種蒔く人』に参加した近江谷友治に土崎尋常高等小学校で学び、同誌の頒布の手伝いもしたという(『種蒔く人』の射程 一〇〇年の時空を超えて』)。
 顕彰会は、1961年に日本近代文学研究所から『種蒔く人』の復刻版が刊行されたことを受けて、この運動の功績を後世に伝えようと結成された。1962年10月には創刊41年記念祭を
開催。小牧、金子、今野と近代文学研究者の小田切秀雄が講演を行なった。

 1964年には、先に見た顕彰碑を建立。その後、50年、55年、60年、70年、80年、90年と、節目ごとに講演や展示を開催してきた。1971年に創刊された『種蒔く人顕彰会会報』からは、その一端が伝わる。創刊号には小牧、金子が寄稿している。ガリ版刷りであることに
時代を感じる。

『種蒔く人顕彰会会報』
『種蒔く人顕彰会会報』

 
 その一方で、資料収集も進めた。『種蒔く人』のバックナンバーや関連資料、約700点を収集し、1979年に秋田県立図書館に寄贈している。「種蒔く人文庫」と名付けられ、目録も刊行された。
 土崎図書館に「種蒔く人資料室」が開室後、1997年に顕彰会が収集してきた資料1221点を秋田市に寄贈。事務会計書類、原稿、書簡、雑誌、新聞、色紙、写真などを含む。それらの目録は今野賢三資料目録とともに、『「種蒔く人資料室」目録』として刊行された。

 創刊100周年にあたる2021年は、新型コロナウイルスの感染拡大のため、顕彰会が予定していた100周年の集いを開けなかった。
 1年遅らせて開催し、『種蒔く人』の射程 一〇〇年の時空を超えて』を刊行した。

今野賢三と金子洋文

 顕彰会編の『「種蒔く人」七十年記念誌』には、「秋田『種蒔く人』顕彰会の歩み」という座談会が載っている。出席者の話からは、設立時の盛り上がりが感じられる。
 その中の、今野賢三についてのエピソードが興味深い。

 今野は小学校を出た後、呉服屋の店員、見習い職工など、さまざまな職を転々とし、映画の活動弁士となる。『種蒔く人』の創刊時は、土崎映画劇場で弁士をしていた。その頃の日記は、秋田県立図書館に所蔵されており、『花塵録 「種蒔く人」今野賢三青春日記』(無明舎出版)として刊行された。

 今野は『種蒔く人』のあと、秋田県内の労農運動に関わる一方で、小説家、郷土史家としても活動。『汽笛』『黎明に戦ふ』などの小説のほか、『土崎発達史』『土崎港町史』などを
執筆した。

今野賢三『汽笛』鉄道生活社 1928
今野賢三『汽笛』鉄道生活社 1928

 
今野賢三編『土崎発達史』刊行会 1934
今野賢三編『土崎発達史』刊行会 1934

 
 戦後、東京で小牧は法政大学教授となり、金子は劇作家で社会党の参議院議員も務めた。
それに対して、今野は秋田で決して裕福ではない生活を送っていたようだ。

 座談会には「今野さんがたいへん生活的に困っているということを身近に知っておったもんですから、(略)今野さんにいろいろ体験を語っていただくことによって、そのお礼としてお金を差しあげるような形がいいのではないか」ということで、〈三島書店〉の二階を借りて
何度か聞き取りを重ねたとある。

 今野は1969年に静岡県の病院で死去した。76歳。その後、秋田社会運動研究会代表の田口勝一郎の慫慂により、1995年と翌年、遺族から今野の資料1195点が顕彰会に寄贈された。
 これらの資料について、妻の今野きみはこう書く。

「主人は『種蒔く人』のことをいつも誇りにしており、それに関する資料は、どんな小さな新聞の切れ端でも、大切に大切に保存しておりました。そんな姿をみて、わたしも自然に影響を受け、主人が遺した手紙や原稿、メモ書き、それに作品の掲載された古い雑誌、単行本類は、出来るだけ大事に保存して参りました」(「資料保存の思い出」『「種蒔く人」七十年記念誌』)
 ここには、資料を残すことで、自分の存在を世に残したいという今野の執念のような思いが籠っているようだ。

 今野の死去を受けて、金子洋文は『秋田魁新報』に「今野賢三の思い出」を寄稿した。その原稿と掲載紙の切り抜きは、同館所蔵の「金子洋文資料」に収蔵されている。

金子洋文「今野賢三の思い出」の原稿と切り抜き
金子洋文「今野賢三の思い出」の原稿と切り抜き

 
 金子洋文は1985年、東京の自宅で死去。90歳。小牧近江は1978年に84歳で亡くなっているので、3人の同級生のうち、金子が最後まで生きたことになる。

 2007年、遺族により原稿、書簡、新聞・雑誌切り抜きや写真、ノートなど約1万点にのぼる資料が、同館に寄贈された。このうち約8500点は『金子洋文資料目録』に掲載された。
 それらの多岐にわたる資料は「文学者・劇作家・国会議員として一時代を成した金子洋文の面目躍如たるものがある。同時にその潔癖なまでに徹底した資料保存能力にも驚かされる」と、『土崎図書館100年史』にある。
 
 たしかに、金子資料をいくつか見せてもらったが、保存状態はどれもよかった。その中には、『種蒔く人』東京版も2冊含まれている。

金子資料の『種蒔く人』東京版
金子資料の『種蒔く人』東京版

 
 自身の執筆文についても、原稿と掲載紙誌の切り抜きが揃っているので、あとで検証がしやすい。

金子洋文「『種蒔く人』と同級生三人」の原稿と切り抜き
金子洋文「『種蒔く人』と同級生三人」の原稿と切り抜き

 
 金子宛の書簡は4155通と多く、差出人には武者小路実篤、志賀直哉、青野季吉、川端康成、荒畑寒村、花柳章太郎らがいる。その一部は、大きな台紙に複数の葉書が貼り込まれており、スクラップブック好きには見ていて飽きない。
「金子資料の書簡からは、当時の人的ネットワークが読み取れます」と、藤原さんは話す。

 2021年には、『「種蒔く人資料室」目録2』を刊行。その後、寄贈された資料を掲載している。
 これらの資料は、キャビネットに収められており、そこから閲覧したい資料を取り出すかたちだった。
 しかし、ちょっとでも書庫の内部を見たいという私の希望を受けて、藤原さんらは郷土資料を収めた書庫に案内してくれた。
 その表示には「金子文庫」とある。「種蒔く人資料室」の金子洋文資料に属さない、書籍をここに収蔵しているのだ。文学や演劇関係の本が並ぶ。

金子文庫の棚
金子文庫の棚

 
金子文庫の演劇関係
金子文庫の演劇関係

 
 その向かいには、「近江谷ハル文庫」もある。小牧近江の叔母にあたる人で、土崎で教員をしていたそうだ。国文学関係の本が多かった。小牧はこのハルから「文学的感化」を受けたという(『『種蒔く人』の射程』)。

港に立って

 藤原さんによれば、『種蒔く人』関係の資料はだいたい整理が終わっているという。
「今後はデジタル化を含め、資料をより多くの方に知ってもらい、活用していただけるような展示や広報を進めていきたいです」

 創刊100周年にあたる2021年には、「雑誌『種蒔く人』を彩った人々」という展示を行ない、リモートで講演を開催した。100周年を機に見学者は増え、資料についての問い合わせも多くなったという。

 前回も触れたが、『種蒔く人』関係の資料は、県立図書館、県立博物館、あきた文学資料館、市立土崎図書館の4カ所が所蔵している。いずれもかけがえのない資料だが、このように分散していると、調べにくいことも多いのではないか。
 いずれは、各館の所蔵情報を一括して検索できるデータベースをつくってほしいと願う。
 それは、土崎生まれの3人の同級生が『種蒔く人』に託した思いを後世に伝えることにもつながるのではないか。

 取材を終えて、天雲さんに港に連れて行ってもらう。
 かつての土崎港は、現在は「あきた港」と呼ばれている。そこには「ポートタワー・セリオン」が建つ。100メートルの高さにある展望室からは、日本海や土崎の市街地が見渡せた。

 先述の顕彰会の座談会では、なぜ土崎で『種蒔く人』が生まれたかが論じられている。田口勝一郎(今野の資料を守った人物だ)は、土崎は川の運輸と海上交通の接点であり、京都や大坂から新しい風俗や文化が入ってくる場所だった。そこに活気が生まれたことが、大衆的な運動につながったのだと指摘する。
 タワーから見る風景は、その言葉が素直に納得できるような、気持ちのいいものだった。
 
 
 
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。

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