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新建築 1967年10月 第42巻 第10号
源氏物語必携 2
若い星
ひげの研究と最新毛生法
印度哲学仏教学 第21号
女性史学 = The annals of women's history : 年報 第5号
あゝ彼の赤い夕陽 : 血で彩られた夕日
新建築 1977年5月 第52巻 第5号 <ローズ・ガーデン>
日中文化研究 (3)
戦後日本国家の諸問題 <社会科学選書>
國文學 : 解釈と教材の研究 銀河鉄道の夜と春と修羅 39(5)(570)
三叉書翰
ちゃんばら芸術史 元版
モンテッソーリ教育 第18号
北海の太閤 木下斗南 附・世界の北方政策とヤクーツ民族の独立
近世商人意識の研究 : 家訓及店則と日本商人道 <日本商業史の研究 ; 2>
信用制度の体系的論究
組織能力を活かす経営 : 3M社の自己超越ストーリー
注解民事訴訟法 2 (総則 2 訴訟費用・訴訟手続(前))
呉文炳蒐集手蹟目録 2冊揃
入矢教授・小川教授退休記念中国文学・語学論集 京都大学文学部中国語学中国文学研究室 刊行年 昭和49年 ページ数 797p 小川環樹教授入矢義高教授年譜略・編年著作目録,獅子舞について(浜一衛) 詩話輯本について(倉田淳之助) 先秦文に於ける否定形の一様式(池田武雄) 音訳漢字に対する音注の諸相-『大唐西域記』を例として(水谷真成) 「春」「秋」之詞性(清水茂) "次第"攷(田中謙二) 落魄と落拓(荒井健) 悼亡詩についてー潘岳から元[シン]まで(入谷仙介) 「関関雎鳩」のこと(吉田恵) 鄭風"淫奔"詩覚書(筧久美子) 「楚辞」における時間の相貌(横山弘) "空言""空文"考-司馬遷太史公自序 報任少卿書に見える"空言"と"空文"の解釈について(今鷹真) 「浮雲蔽白日」について(都留春雄) 張衡の立場-張衡の自然観序章(金谷治) 「巌巌鍾山首」篇考(伊藤正文) 何晏詩考(福島吉彦) 不遇の史書「三国志」のために(雑喉潤) 阮籍小論-「詠懐詩」を中心として(井波律子) 摯虞文章流別志論攷(興膳宏) 「神仙伝」の復元(小南一郎)淵明の楽府-怨詩楚調示[ホウ]主簿[トウ]治中詩注(一海知義) [ユ]信「擬詠懐詩」考-阮籍「詠懐詩」との相違をめぐって(山田英雄) 詩人上官昭容論-その伝記(西村富美子) 李白の詩における月の比喩(武部利男) 杜甫と薬草(改稿)-「同谷七歌」黄精考(黒川洋一) 『劉賓客文集』の<集記>について(中津浜渉) 百錬鏡-白氏文集札記(平岡武夫) 柳宗元「宋清・郭[タク]駝・梓人伝」考(筧文生) 李賀『秦王飲酒』をめぐってー李長吉体と杜詩(森瀬寿三) 邵雍における杜牧(山内春夫) 蘇東坡の詞について(村上哲見) 蘇軾嶺外詩攷(山本和義) 朱子の詩について(上野日出刀) 功利学派陳亮の「変通の理」について(庄司荘一) 元好問の詩(林雪光) 元雑劇の構成-「薛仁貴」と「酷寒亭」を中心にして(中鉢雅量) 鉄と竜-楊維[テイ]像にかんして(松村昂) 白燕詩攷(福本雅一) 水滸伝における隠遁の道-文簡本水滸伝からの示唆(橋本尭)
建築雜誌 第126集 第1625号 (2011年12月) <特集 : 国・人・土のデザイン② 不安定な大地とどうつながるか>
新建築 1978年12月 第53巻 第14号
戦後成金の没落 : うたかたの経営20年史(杉浦つな・山崎晃嗣・安藤明・洪仁栄・神彰 他) <カッパ・ビジネス>
自動車技術 37(6)
科学史 <日本現代史大系>
建築雜誌 第126集 第1623号 (2011年10月) <特集 : 検証 東日本大震災と建築学会>
おかねの話 <岩波新書>
聞きかじり見かじり読みかじり 坂東三津五郎随筆集
土佐英傑読本
高周波医学 <高周波科学論叢 ; 第5輯. 高周波応用>
建築雜誌 第126集 第1619号 (2011年6月) <特集 : 建築の境界 Exploring Architectural Boundaries>
軍事史学 31(3)(123)
新建築 1971年5月 第46巻 第5号
信濃町誌
グリーン・タフ : 緑色凝灰岩 <地下の科学シリーズ ; 14>
海風 : 歌集 <アララギ叢書 ; 第104>
競争と革新-自動車産業の企業成長
新建築 1979年3月 54(3)
日本諸學振興委員會研究報告 特輯 第3篇 (經濟學)
萬葉集全注 (巻第四)
樺戸集治監獄話著者 寺本界雄 出版社 樺戸行刑資料刊行会 刊行年 平成2 月形に樺戸集治監が誕生したのは、開拓使が一定の使命を果たし、全国では憲法制定や議会の設置への気運が高まっていた、こうした大きな変革の時代でした。そもそも集治監とはどんな施設なのでしょう。集治監は、今でいえば重罪犯を収容する特別な刑務所。徳川時代、重罪人は各地の藩ごとの監獄が扱い、罪によって伊豆七島や隠岐などに流されていました。藩の制度を廃止した明治の廃藩置県(1871 年)によって、受刑者は府県の監獄が収容するようになります。しかしまもなく、明治政府を主導した旧薩摩藩や長州藩のリーダーたちが進める政治への不満が募り、各地で旧士族の反乱が勃発しました。1874(明治7)年の「佐賀の乱」、76 (明治9)年の熊本の「神風連の乱」、福岡の「秋月の乱」、山口の「萩の乱」などです。そして1877(明治10)年には維新の立役者であった西郷隆盛を担ぐ、大規模な西南戦争が勃発します。立ち上がった旧士族たちはいずれもやがて政府に鎮圧されて敗北を喫し、首謀者たちは重罪人のレッテルを貼られることになりました。こうした旧士族の重罪人たちは、騒乱が起こった各県の監獄に収監される手はずになります。しかしその数があまりに多かったために、内務省が一元的に直轄する専用施設が必要になりました。これが集治監です。集治監は1878(明治11)年、まず東京(小菅集治監)と仙台(宮城集治監)に建てられ、3カ所めとして北海道が選ばれます。なにしろ当時の北海道の内陸の多くは未開の原野が広がり、本州から見ればまさに最果ての流刑地ともいえる土地でした。立地調査の段階から初代の典獄(監獄長)となるまで、北海道の集治監立ち上げに深く関わったのは、福岡藩出身で内務官僚だった月形潔(1847~1894)でした。樺戸集治監の開設には、さらに北海道の開拓という重要な目的がありました。1879(明治12)年、内務卿伊藤博文が太政大臣三条実美に建議書をあげます。社会を乱した凶悪犯や政治犯たちは、ただ徒食させることは許されない。ロシアへの備えの意味からも開拓が急務である北海道に送り込んで、開墾や道路建設などにつかせるのが良い、とするものです。
南原繁対話 民族と教育
南原繁 対話 民族と教育
近代日本の争点 上
伊東巳代治関係文書目録 <憲政資料室所蔵資料目録 ; 第2>
これからの強化学習
上田整次先生の思出
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