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文士とっておきの話
全国文学館ガイド (増補改訂版.)
片隅の美術と文学の話
よちよち文藝部
小説の終焉 <岩波新書>
日本の作家
片隅の美術と文学の話 (初版)
人生の隣 <福武文庫>
安部公房初期作品掲載雑誌 18冊+切り抜き1種 計19品一括// 『人間』昭和26年5月号(「バベルの塔の狸」)/ 『個性』24年1月号(「薄明の彷徨」)/ 『表現』24年8月号(「デンドロカカリヤ」)/ 『次元』昭和23年6月号(「異端者の告発」) /『 次元』昭和23年8月号(「平和について」*エッセイ)) /『思潮』昭和23年8月号(「鴉沼」) /『文学季刊』第8集 昭和23年11月発行(「虚構」) / 『近代文學』昭和23年5月号(「生の言葉」*エッセイ) / 『近代文學』昭和23年9月号(「絶望への抵抗」*エッセイ) / 『近代文學』昭和24年1月号(「音楽と夜への誘い―ー名もなき夜のためにⅤ」) / 『綜合文化』昭和23年9月号(「名もなき夜のためにⅢ」 /『綜合文化』昭和23年12月号(「名もなき夜のためにⅥ」) /『文藝』昭和26年10月号(「詩人の生涯」*グラビアに石川淳との写真) /『文藝』昭和29年12月号(「奴隷狩」*福永武彦「深淵」併載) / 『群像』昭和26年7月号(「手」) / 『群像』昭和27年1月号(「ノアの方舟」) /『文學界』昭和30年2月号(「倖せな被害者堀田善衛」*作家論) /『婦人公論』昭和30年3月号(「ルポルタージュ 青春のたまり場をゆく」) /「手段」(『文藝』昭和31年1月号からの切り抜き8頁、5枚)
挨拶はたいへんだ <朝日文庫> 初版1刷
大阪ろまん 石浜恒夫著 、全国書房 、昭42 、234p 図版 、B6初版 ビニルカバーなし 帯イタミ 石濱恒夫(1923年〈大正12年〉2月24日 - 2004年〈平成16年〉1月9日、80歳没)大阪府大阪市出身。父は歴史学者(東洋史学)の石濱純太郎。従兄に小説家の藤沢桓夫がいる。2人の娘のうち長女は女優の京春上、次女はエッセイスト、挿絵画家の石浜紅子。大阪高等学校を経て、東京帝国大学文学部美術史学科在学中から父の友人であった織田作之助などの影響を受けて文学を志し、大学卒業後に川端康成に弟子入りし、鎌倉の川端の私邸に住み込み師事した。1968年(昭和43年)に川端がノーベル文学賞を受賞した際には、ストックホルムでの授賞式に同行している。また、大学在学中に学徒出陣で召集され、陸軍戦車学校に入り、戦車部隊配属となる。その部隊で一緒だったのがのちの司馬遼太郎であり、石濱と司馬はこの時以来、司馬が亡くなるまで親交が深かった。また、司馬と同様に西長堀アパートに居住していたこともある。1946年に文学同人誌『文学雑誌』に参加し、小説家としての活動を始める。1953年に発表した「らぷそでい・いん・ぶるう」が芥川賞候補となった。1957年に、同人誌『近代説話』を司馬、寺内大吉らとはじめる。歌謡曲の作詞も手がけ、地元大阪を舞台とした数々のヒット曲を世に送り出した。テレビドラマの脚本も数多く手がけた。若い頃からヨットマンとしても知られ、1977年には娘の紅子他1人と共に、ヨットで大西洋を無寄港で横断した。1985年に文楽の桐竹勘十郎とともに「大阪芸術賞」を受賞。2004年(平成16年)1月9日、肺癌のために死去。80歳没。「大阪芸術賞」の贈呈理由として、「大阪をこよなく愛し、大阪の盛り場の叙情を血肉化する数少ない作家」であり、「大阪の風俗・人情を哀感を込めて描く」作家として作品は高く評価されており、「大阪文壇の発展に寄与した功績は大きい」。
福永武彦全集 第14・15巻 (随筆・評論 2)
去る人来る影
谷崎潤一郎 口述筆記 原稿用紙 『親父の話』 昭和35頃 ●「雪後庵用箋」原稿用紙13枚 校正入
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