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子規号

あきつ書店
 東京都千代田区神田三崎町
22,000
「雞頭」2巻9号、昭8
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子規号

22,000
「雞頭」2巻9号 、昭8

子規号

あきつ書店
 東京都千代田区神田三崎町
4,400
「このみづ」7号、昭22
(川口刊)
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子規号

4,400
「このみづ」7号 、昭22
(川口刊)

夏目漱石自筆書簡 正岡子規宛 漱石が子規に宛てた第7通目の書簡

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
22,000,000
明治22年9月27日夜「郎君より 妾へ」
■商品詳細

【書名】 夏目漱石自筆書翰 正岡子規宛 漱石が子規に宛てた第7通目の書簡
【巻冊】 一通
【著者】 
【成立】 明治22年9月27日夜「郎君より 妾へ」

★ 寒川鼠骨・廣瀬榮一舊藏
★ 「愛媛縣伊豫松山湊町四丁目十九番戸 正岡常規様平誌」
★ 「牛込喜久井町壱番地 夏目金之助 九月廿七日夜出」
★ 消印「東京牛込 廿二年九月 廿七日 ヲ便」
    到着印「伊豫 松山 廿二年十月 一日 ロ便」
    封筒の大きさ/縦/17.8㎝ 幅/6.4㎝
    書簡の大きさ/紙髙/16.5㎝ 長さ/121㎝
    毛筆57行
★ 文豪夏目漱石と近代文學の祖正岡子規の出會いはこの年、明治22年の1月頃より始まった。二人は同い年の22歳で、寄席通いという共通の趣味を通じて意氣投合したのだと推測されている。
★ この年二人はお互いの才能を認め合い人格的にも共鳴し合う記念すべき運命の年であったとされている。
★ この年の4月に子規は『無阿有洲 七草集』を脱稿して5月10日に初めて「子規」號してから松山へ歸郷してしまった。夏目金之助は5月25日に『七草集』の批評を書いてそこに初めて「漱石」の筆名を用いた。漱石は9月9日に脱稿した漢文紀行『木屑録』をいち早く子規に讀んでほしかったと考えられ、漱石が自分を「郎君」。子規を「妾」と見立てて子規の再試験を心配しながらも早く歸京するように促している内容で最も有名な書簡と云っても過言ではない。
★ しかし、これまで書簡の存在は全集などで知られていたが行方不明となっていた書簡である。『漱石全集』に翻刻されているが、封筒を含めて原本の情報は殆ど反映されていない。
★ 書簡の保存状態が頗る良くて開封方法も下を丁寧に糊を剥がしていて子規の晩年の漱石からの書簡と比べるといかに大切にしていたかがわかる。
★ 子規が亡くなるまで身の回りの世話をしていた弟子の寒川鼠骨にこの書簡を託したのであろう。空襲で焼失した子規庵の再建に盡力した霞ヶ浦の畔の實業家廣瀬榮一に託した記録が殘っている。戰時中鼠骨は廣瀬の邸宅に疎開していた。
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22,000,000
、明治22年9月27日夜「郎君より 妾へ」
■商品詳細 【書名】 夏目漱石自筆書翰 正岡子規宛 漱石が子規に宛てた第7通目の書簡 【巻冊】 一通 【著者】  【成立】 明治22年9月27日夜「郎君より 妾へ」 ★ 寒川鼠骨・廣瀬榮一舊藏 ★ 「愛媛縣伊豫松山湊町四丁目十九番戸 正岡常規様平誌」 ★ 「牛込喜久井町壱番地 夏目金之助 九月廿七日夜出」 ★ 消印「東京牛込 廿二年九月 廿七日 ヲ便」     到着印「伊豫 松山 廿二年十月 一日 ロ便」     封筒の大きさ/縦/17.8㎝ 幅/6.4㎝     書簡の大きさ/紙髙/16.5㎝ 長さ/121㎝     毛筆57行 ★ 文豪夏目漱石と近代文學の祖正岡子規の出會いはこの年、明治22年の1月頃より始まった。二人は同い年の22歳で、寄席通いという共通の趣味を通じて意氣投合したのだと推測されている。 ★ この年二人はお互いの才能を認め合い人格的にも共鳴し合う記念すべき運命の年であったとされている。 ★ この年の4月に子規は『無阿有洲 七草集』を脱稿して5月10日に初めて「子規」號してから松山へ歸郷してしまった。夏目金之助は5月25日に『七草集』の批評を書いてそこに初めて「漱石」の筆名を用いた。漱石は9月9日に脱稿した漢文紀行『木屑録』をいち早く子規に讀んでほしかったと考えられ、漱石が自分を「郎君」。子規を「妾」と見立てて子規の再試験を心配しながらも早く歸京するように促している内容で最も有名な書簡と云っても過言ではない。 ★ しかし、これまで書簡の存在は全集などで知られていたが行方不明となっていた書簡である。『漱石全集』に翻刻されているが、封筒を含めて原本の情報は殆ど反映されていない。 ★ 書簡の保存状態が頗る良くて開封方法も下を丁寧に糊を剥がしていて子規の晩年の漱石からの書簡と比べるといかに大切にしていたかがわかる。 ★ 子規が亡くなるまで身の回りの世話をしていた弟子の寒川鼠骨にこの書簡を託したのであろう。空襲で焼失した子規庵の再建に盡力した霞ヶ浦の畔の實業家廣瀬榮一に託した記録が殘っている。戰時中鼠骨は廣瀬の邸宅に疎開していた。

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