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万葉の発想 <万葉集>
文化と伝統を語る : 原太郎対談集
悲情城市の人びと : 台湾と日本のうた
イラスト日本まるごと事典 <Bilingual books 17>
中国少数民族歌垣調査全記録1998
歌と宗教 : 歌うこと。そして祈ること <ポプラ新書 020>
過疎地の伝統芸能の再生を願って 現代民俗芸能論
サブカルで読むセクシュアリティ 欲望を加速させる装置と流通
サブカルで読むセクシュアリティ : 欲望を加速させる装置と流通
「音楽と思索」
声と文字 : 上代文学へのアプローチ
万葉集の民俗学 <万葉集> 初版
世界の名曲303
文化研究の新地平 : グローバル時代の世界文化 <桜美林大学人文文化研究論集 2>
百首通見(ちくま学芸文庫)
文化研究の新地平 グローバル時代の世界文化 桜美林大学人文文化研究論集 2
音楽の友 34(1) 1976年 (全12幸)
和歌史のなかの万葉集 <万葉集>
文化の転換 : 日本的生き方の創造
こころ、祈り、歌、わが人生
五木ひろしファイティングポーズの想い
1984年の歌謡曲 <イースト新書 080>
歌謡圏史 5 <志田延義著作集>
「百首通見」 <ちくま学芸文庫 百人一首>
歌人内山眞弓
歌人内山真弓
むすんでひらいて考 : ルソーの夢
日韓唱歌の源流 : すると彼らは新しい歌をうたった <はじめて音楽と出会う本>
童謡で、あの日にかえりたい。 : 忘れていませんか?ニッポン人の涙
日本歌謠史講話
気候と音楽 : 日本やドイツの春と歌
[12点] 岡崎女子短期大学 研究紀要 第34号、第36号、第38号、第39号、第40号、第41号、第42号、第43号、第44号、第45号、第46号、第47号
梓みちよ『こんにちは赤ちゃん/梓みちよ第2集』東京キング/SKG-5010インチレコード/梓みちよ「こんにちは赤ちゃん / 梓みちよ第2集 (1964年・SKG-50・東海林修・中村八大編曲)第1面 こんにちは赤ちゃん 月光価千金 プリンセスプリンセス ブルーヴェルヴェット第2面 ダンケ・シェーン 恋はロマンチック 永遠に愛して 悲しみがいっぱい 盤質良好です。梓みちよ(1943年6月4日[1] - 2020年1月29日)、日本の歌手、女優。本名は林 美千代。血液型はO型。株式会社アラベスク所属で株式会社プロダクション尾木と業務提携。日本統治下の朝鮮釜山市生まれ。福岡県福岡市博多区出身。福岡女学院中学校・高等学校2年中退。宝塚音楽学校中退。1960年代から1970年代を中心にヒットを飛ばした。アメリカンポップスから歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つ。1960年、福岡女学院高校を2年で中退して宝塚音楽学校に入学。同校在学中に渡辺プロダクションのオーディションに応募し合格し、上京し契約する。約1年間のレッスンを経て、1962年に“ボサノバ娘”のキャッチフレーズでキングレコードより「ボッサ・ノバでキッス」でデビューし、歌手として本格的に活動を始める。芸名の名付け親は渡辺プロダクション創業者の渡辺晋。「梓弓のようにしなやかで強くなって欲しい」の意味で名付けられたという。1963年7月、『夢であいましょう』の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)が大ヒットとなり、同年12月の第5回日本レコード大賞の大賞を受賞。また『第14回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たし、人気歌手としての地位を得た。また同曲は翌1964年3月の第36回選抜高校野球大会の開会式入場行進曲に採用された。更には1964年5月に東京都文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待されて、昭和天皇の御前でこの歌を披露した。明治時代以降において日本芸能界初の天覧歌謡曲となる。
CD3枚組 台湾情台湾歌4 江蕙 Kang Hūi(カン・フイ)江蕙(台湾語白話字:Kang Hūi(カン・フイ)、中国語ピンイン:Jiāng Huì(チァン・フエイ)、1961年9月1日- )は台湾の女性歌手。専ら台湾語(台湾ホーロー語)で唱っており、「台語天后」(意訳:台湾語歌謡の女王)と称されている。2015年6月27日の第26回金曲賞で「特別貢献賞」を受賞した。同年9月13日の高雄コンサートをもって芸能界を引退した。 江蕙と彼女が活躍する台湾語歌謡界について理解する為には、台湾語の歴史的事情に注意を払う必要がある。台湾は、日本が第二次世界大戦敗戦後中華民国に返還され、内戦に敗れた中華民国政権が中央政府を1949年に台湾に移し、1990年代まで戒厳令で独裁強権政治が行われて来た。この間、台湾人には北京語が強要され、彼等の母語である台湾語(ホーロー語、客家語、原住民諸語)は抑圧され、蔑ろにされて来た。こうした事情から、当時の恐怖政治下では、中国語は現代的で洒落たもの、台湾語は古臭くて格好悪いもの、と言う暗黙裏の位置付けがあった。従って、現代的な欧米のポップスや日本のニューミュージックの影響が及んだのは、先ず中国語の歌謡曲であり(校園民歌など)、台湾語の歌は昔ながらの民謡や日本の歌謡曲の翻訳にほぼ限られていた。この様な状況に対して、欧米日のポップスと比べて遜色のない現代的なメロディーを台湾語で歌う、と言う変革をもたらした代表選手が江蕙である。その様な現代台湾語ポップスの萌芽としては潘越雲の「情字這条路」(1988年)などが先行したが、決定打は江蕙が1992年に出した「酒後的心聲」と言える。日本人の耳には1980年代に流行したポップス演歌に似ているが、同曲はそれ以前のド演歌とは一線を画すもので、台湾全土の老若男女に受け入れられ、伝説的な大ヒットとなった。台湾では既に中国語世代が主流となってはいるが、今日では、台湾語の曲を聞いたりカラオケで歌うことに恥ずかしさや抵抗感はないし、中華人民共和国に於てさえ一部では江蕙を始めとする台湾語曲が人気を得ている。
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