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「俳人百家撰」現代文改編 無名庵主工藤芝蘭子先生喜寿出版記念
昭和落語名作選集
無名庵日記
EO 反逆の宇宙 非存在への旅
庵日記・横日記 服部土芳自筆本復刻 解説共2冊
講談雑誌 昭和16年8月(第27巻第8号)―恐怖の廊下事件(海野十三)、黒谷尼僧記(横溝正史)、青空女学校(北町一郎)、鉄舟とその妻(山手樹一郎)、凱旋舞台(宇井無愁)ほか
本朝話人伝
むかしの寄席
ふるさとの芭蕉 フォト・ガイドブック11
はせを 5版
芭蕉全伝
太陽 16巻1号=No.177(1978年1月) <特集 : 芭蕉 おくのほそ道 全紀行>
丈草百句 内藤丈草 著 草木屋出版部 昭和16 54p 19cm 無刊記。上村占魚旧蔵蔵印。内藤丈草、寛文2年(1662年) - 元禄17年2月24日(1704年3月29日))は現在の愛知県犬山市出身の江戸時代前・中期の俳人。名は本常。通称は林右衛門、号を丈草、別号を仏幻庵など。松尾芭蕉の門人となり、蕉門十哲の一人となった。経歴尾張藩犬山領主成瀬家家臣・内藤源左衛門の長子として生まれる。丈草の父源左衛門は、実姉の松寿院が成瀬正虎の愛妾だった縁で、成瀬家に仕官が許された。丈草は14歳で寺尾直竜に出仕する。寺尾直竜は俳諧を嗜み、不木と号した俳人であった。18歳の頃、名古屋に遊学し、穂積元庵に漢学を学んだとされる。貞享5年(1688年)8月、27歳にして遁世。遁世後、玉堂和尚ゆかりの寺院で過ごし、奥の細道の旅から帰った松尾芭蕉に出逢う[1]。やがて、『猿蓑』の跋を執筆するほどの信頼を得て、元禄6年(1693年)無名庵に入るが、翌年、芭蕉が亡くなる[1]。芭蕉の喪が明けると、竜ヶ岡に仏玄庵を結び、大行脚や経塚建立を果たした[1]。元禄17年(1704年)2月14日、43歳没。
はせを (芭蕉)
(大衆雑誌/都々逸雑誌) 街歌 昭和8年12月~10年11月(改題第1号~通巻第21号)のうち計16冊―自著白夜低唱に就いて(長谷川伸)、北行歌日記(平山蘆江)、冬ざれ(杉原残華)、笑へ写楽(今井敏夫)、旅三景(亀屋忠兵衛)、盲言愚感(吉田喜一郎)、初恋の憂鬱(小林益子)、東海、北陸、楽屋覗記(タチバナエンヂロ)、長崎小唄(平山蘆江)、早春旅情(肥田郁郎)、恋ざめ(平澤壽子)、シヤンスといふ言葉(岡谷喜三太)、寄席の都々逸今昔(正岡蓉)、白夜低唱に哭く(1)(松崎天民)、(追悼)松崎天民の事(平山蘆江)、洒竹文庫のこと(山村魏)、玄人芸と素人評(本山荻舟)、矢板のつゞし(甲賀三郎)、小説・菩薩祭(1~3)(平山蘆江)ほか
続 旅人芭蕉
旅人芭蕉 続
天野雉彦旧蔵色紙群 40枚一括
俳人丈艸
劇と映画 大正14年12月号 五代目菊五郎 市川羽左衛門 尾上梅幸 歌右衛門 エステル・ラルストン ノーマ・シエラアー ヴルマ・バンキー ジャキー・ターガン トム・ミックス アイリン・プリングル ミー・マレー 柳さく子 3巻12号
長等の桜 難からの散くら 滋賀県
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