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近世歴史資料集成第8期 第6巻 江戸幕府編纂物篇 【5】 東韃地方紀行(上、中、下) 北夷分界餘話(一~九、附録) 北蝦夷地部(一~五) 原文篇・解読篇 解説篇 索引篇

中国書店
 福岡県福岡市博多区中呉服町
49,500
近世歴史資料研究会(編)、科学書院[霞ケ関出版刊行]、2017年8月、516p、26-27cm
近世歴史資料集成第8期

第6巻 江戸幕府編纂物篇篇[5]
東韃地方紀行(上、中、下) 北夷分界餘話(一~九、附録) 北蝦夷地部(一~五) 原文篇・解読篇 解説篇 索引篇: 原文篇(上製532ページ); 解読篇 解説篇 索引篇(並製314ページ); 附録(A全版 北蝦夷島地圖)

本巻は、十九世紀初頭、貿易の拡大と不凍港の確保のために、蝦夷島、樺太島に向けて進出してきたロシアの南下政策が実行されている状況で、日本国の領土と資源を保全する目的を持って、これらの地域の調査を、幕府の命令により実行した間宮林蔵の著作を掲載した。国内経済の疲弊、生産力の低下、生産関係の矛盾の露呈などの現象が複合して、諸外国からの鎖国体制の変革要求などもあいまって、日本国内は、危機の前兆の様相を呈していた。「東韃地方紀行」、「北夷分界餘話」、「北蝦夷島地圖」の名称を附されたこれらの三部作は、文化七(一八一○)年の成立で、翌、文化八(一八一一)年、幕府に献上された。これらの資料群は、「間宮林蔵北蝦夷等見分関係記録」(全十四帖七鋪)として、平成三年、国の重要文化財に指定された。いずれも国立公文書館の所藏である。また、「北蝦夷地部」は国立国会圖書館所蔵で、「北夷分界餘話」の流布版として刊行された。構成はほぼ同一であるが、圖版に異同が見られ、「北夷分界餘話」に掲載されていないものが、数多く発見された。両方の資料を比較・検討することによって、偉大な学問的成果が得られることを待望する次第である。間宮林蔵のこれらの著作は、いずれも、弟子の村上貞助が編集・筆記していることを附記しておきたい。

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近世歴史資料研究会(編) 、科学書院[霞ケ関出版刊行] 、2017年8月 、516p 、26-27cm
近世歴史資料集成第8期 第6巻 江戸幕府編纂物篇篇[5] 東韃地方紀行(上、中、下) 北夷分界餘話(一~九、附録) 北蝦夷地部(一~五) 原文篇・解読篇 解説篇 索引篇: 原文篇(上製532ページ); 解読篇 解説篇 索引篇(並製314ページ); 附録(A全版 北蝦夷島地圖) 本巻は、十九世紀初頭、貿易の拡大と不凍港の確保のために、蝦夷島、樺太島に向けて進出してきたロシアの南下政策が実行されている状況で、日本国の領土と資源を保全する目的を持って、これらの地域の調査を、幕府の命令により実行した間宮林蔵の著作を掲載した。国内経済の疲弊、生産力の低下、生産関係の矛盾の露呈などの現象が複合して、諸外国からの鎖国体制の変革要求などもあいまって、日本国内は、危機の前兆の様相を呈していた。「東韃地方紀行」、「北夷分界餘話」、「北蝦夷島地圖」の名称を附されたこれらの三部作は、文化七(一八一○)年の成立で、翌、文化八(一八一一)年、幕府に献上された。これらの資料群は、「間宮林蔵北蝦夷等見分関係記録」(全十四帖七鋪)として、平成三年、国の重要文化財に指定された。いずれも国立公文書館の所藏である。また、「北蝦夷地部」は国立国会圖書館所蔵で、「北夷分界餘話」の流布版として刊行された。構成はほぼ同一であるが、圖版に異同が見られ、「北夷分界餘話」に掲載されていないものが、数多く発見された。両方の資料を比較・検討することによって、偉大な学問的成果が得られることを待望する次第である。間宮林蔵のこれらの著作は、いずれも、弟子の村上貞助が編集・筆記していることを附記しておきたい。 納入までに3週間ほどかかります。

政治記者後藤基夫 後藤基夫さんを偲ぶ文集刊行会 1985年 全 314ページ後藤基夫(1918年10月20日 - 1983年4月5日)日本のジャーナリスト、朝日新聞社常務取締役。大分県佐賀関町生まれ。第三高等学校を経て1941年12月東京帝国大学法学部政治学科卒業、1942年1月朝日新聞社入社、翌2月陸軍東部第62部隊入営。主計少尉として中国湖北省で終戦を迎える(ポツダム宣言受諾後に主計中尉)。1946年2月に朝日新聞社に復職。同年6月東京本社政経部員、1950年1月政治部員、1956年10月アメリカ総局員、1958年2月政治部に復帰、1960年1月政治部次長、1963年2月ロンドン支局長、1966年6月論説委員、1967年1月論説副主幹、1969年12月東京本社編集局長、1973年9月取締役・大阪本社代表、1974年6月常務取締役、1978年12月総合企画室担当(東京本社)、1981年4月東京本社代表となり、在職中に脳出血のため死去。享年66(満64歳)。東大在学中に昭和研究会の教育機関「昭和塾」に入り、三木清の影響を受けた。「室町将軍」と呼ばれた同郷の右翼の大物三浦義一(父親が元大分市長、衆議院議員)と親しく、政界の裏情報にも通じて「書かざる大記者」と呼ばれた。宮沢喜一は後藤を「一番親しい友人」と呼んでいる。「書かざる大記者」ゆえに敵対する政治家の双方から相談を持ち込まれることも多く、政治記者として読売新聞社の渡邉恒雄も一目置く存在だった。中ソ対立が社内の派閥抗争に波及していた当時の朝日においては、親中派の重鎮の一人で、東京本社編集局長時代の1971年秋に特派員団長として北朝鮮と中国を訪問し、金日成首相、周恩来首相と会見。総合企画室担当時代の1980年にも北朝鮮を訪れている。「書かざる大記者」のため、書いたものは少ないが、晩年、雑誌『世界』に連載された石川真澄、内田健三との鼎談で、戦後政治についての見聞の一部を語っている。

暢気堂書房
 東京都東久留米市滝山
5,000
S棚55箱
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政治記者後藤基夫 後藤基夫さんを偲ぶ文集刊行会 1985年 全 314ページ後藤基夫(1918年10月20日 - 1983年4月5日)日本のジャーナリスト、朝日新聞社常務取締役。大分県佐賀関町生まれ。第三高等学校を経て1941年12月東京帝国大学法学部政治学科卒業、1942年1月朝日新聞社入社、翌2月陸軍東部第62部隊入営。主計少尉として中国湖北省で終戦を迎える(ポツダム宣言受諾後に主計中尉)。1946年2月に朝日新聞社に復職。同年6月東京本社政経部員、1950年1月政治部員、1956年10月アメリカ総局員、1958年2月政治部に復帰、1960年1月政治部次長、1963年2月ロンドン支局長、1966年6月論説委員、1967年1月論説副主幹、1969年12月東京本社編集局長、1973年9月取締役・大阪本社代表、1974年6月常務取締役、1978年12月総合企画室担当(東京本社)、1981年4月東京本社代表となり、在職中に脳出血のため死去。享年66(満64歳)。東大在学中に昭和研究会の教育機関「昭和塾」に入り、三木清の影響を受けた。「室町将軍」と呼ばれた同郷の右翼の大物三浦義一(父親が元大分市長、衆議院議員)と親しく、政界の裏情報にも通じて「書かざる大記者」と呼ばれた。宮沢喜一は後藤を「一番親しい友人」と呼んでいる。「書かざる大記者」ゆえに敵対する政治家の双方から相談を持ち込まれることも多く、政治記者として読売新聞社の渡邉恒雄も一目置く存在だった。中ソ対立が社内の派閥抗争に波及していた当時の朝日においては、親中派の重鎮の一人で、東京本社編集局長時代の1971年秋に特派員団長として北朝鮮と中国を訪問し、金日成首相、周恩来首相と会見。総合企画室担当時代の1980年にも北朝鮮を訪れている。「書かざる大記者」のため、書いたものは少ないが、晩年、雑誌『世界』に連載された石川真澄、内田健三との鼎談で、戦後政治についての見聞の一部を語っている。

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