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585件

史料纂集古記録編 第105回配本 舜旧記7〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
9,900
鎌田純一・藤本元啓校訂、八木書店、平30、1冊
品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

吉田兼右の子、兼見の弟、神道家梵舜(一五五三-一六三二)の三十歳より没年までの日記。京都吉田山下の神竜院の住職で、兄兼見とともに豊国社の創立に功労があり、のちに家康に神道伝授を約束した事もあった。元和二年(一六一六)家康を久能山に葬った際、天海と争った事は有名である。朝廷にも関係があり、当時の中央における諸般の情勢をみる上で最も貴重な資料の一つである。

〔収録範囲〕
1627〔寛永4〕~1630〔寛永7〕
○吉田家伝書物を関白近衛信尋へ上申す
○九条忠栄に祗候し八雲御抄一巻を進上す
○大町流目薬龍丹膏始めて調合す
○仁和寺皆明院紀伊山伏護摩の事を尋ねらる
○吉田家系図の末々を浄雲院へ進む
○姫百合の種植
○豊国社再興の瑞夢を見る
○東河原に操り高館見物
○浄勝院へ近衛前久自筆の源氏物語を進上す
○南都社家より元々集来る
○四条河原能見物
○西洞院時慶所にて日本書紀神代巻講読
○以心崇伝へ藤氏・源氏系図を貸出す
○中宮徳川和子着帯
○和子の御産平安祈祷
○梵舜の刀等盗む小者を召取
○兼見卿記
○徳川家光疱瘡平癒の祈祷
○日本書紀三十冊人皇紀摺本を家本にて校合
○尾州徳川義直摂津有馬を経て伏見に来る
○日本書紀人皇紀箱出来
○九条忠栄より諏訪系図について尋問あり
○梵舜養猫盗まる
○大角山城へ椿の接ぎ無心す
○豊臣秀吉三十三回忌
○豊国社の社領社家等を元の如く安堵せらる様祈念せしむ
○以心崇伝煩気により灸点記し進上

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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9,900
鎌田純一・藤本元啓校訂 、八木書店 、平30 、1冊
品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 吉田兼右の子、兼見の弟、神道家梵舜(一五五三-一六三二)の三十歳より没年までの日記。京都吉田山下の神竜院の住職で、兄兼見とともに豊国社の創立に功労があり、のちに家康に神道伝授を約束した事もあった。元和二年(一六一六)家康を久能山に葬った際、天海と争った事は有名である。朝廷にも関係があり、当時の中央における諸般の情勢をみる上で最も貴重な資料の一つである。 〔収録範囲〕 1627〔寛永4〕~1630〔寛永7〕 ○吉田家伝書物を関白近衛信尋へ上申す ○九条忠栄に祗候し八雲御抄一巻を進上す ○大町流目薬龍丹膏始めて調合す ○仁和寺皆明院紀伊山伏護摩の事を尋ねらる ○吉田家系図の末々を浄雲院へ進む ○姫百合の種植 ○豊国社再興の瑞夢を見る ○東河原に操り高館見物 ○浄勝院へ近衛前久自筆の源氏物語を進上す ○南都社家より元々集来る ○四条河原能見物 ○西洞院時慶所にて日本書紀神代巻講読 ○以心崇伝へ藤氏・源氏系図を貸出す ○中宮徳川和子着帯 ○和子の御産平安祈祷 ○梵舜の刀等盗む小者を召取 ○兼見卿記 ○徳川家光疱瘡平癒の祈祷 ○日本書紀三十冊人皇紀摺本を家本にて校合 ○尾州徳川義直摂津有馬を経て伏見に来る ○日本書紀人皇紀箱出来 ○九条忠栄より諏訪系図について尋問あり ○梵舜養猫盗まる ○大角山城へ椿の接ぎ無心す ○豊臣秀吉三十三回忌 ○豊国社の社領社家等を元の如く安堵せらる様祈念せしむ ○以心崇伝煩気により灸点記し進上 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第166回配本 勘仲記3 1282年〔弘安5〕10月~1284年〔弘安7〕3月

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂、八木書店、平25、1冊
勘解由小路(広橋)兼仲(1244-1308)の日記。広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の『民経記』など代々日記を残した。本記は蒙古襲来に関する具体的な状況、将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関連、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる13世紀後半の一級史料。

【収録】③1282年〔弘安5〕10月~1284年〔弘安7〕3月
●興福寺・春日社関係の記事(弘安5年12月21日条)
 興福寺衆徒の強訴で運び込まれ、法成寺に置かれたままになっていた春日社の神木がようやく帰った。延引されていた年中行事も行われるようになったが、興福寺と多武峯との争いの方は収まらず、兼仲はとばっちりを受けて放氏されてしまう。
●文庫と家の文書の管理(弘安6年6月19日・21日条)
 兄が亡くなり、家を継いだ兼仲に対して、3年後、家の文書管理を認める院宣と関白家御教書が出された。兼仲は早速吉田亭に付属する文庫に赴いて蔵を開け、虫払いをした。文書が「家」そのものであり、安堵の対象でもあった。
●鎌倉円覚寺の額(弘安6年10月22日条)
 鎌倉幕府の執権北条時宗から円覚寺に後宇多天皇筆の勅額が欲しいという申し入れがあった。しかし数ヶ月後、鎌倉からは時宗の危篤と出家、さらに死去の報がもたらされ、その穢れによって京都では神事が停止された。
●真言律宗の僧、叡尊の説戒(弘安7年3月18日・同年10月19日条)
 関白の兼平は、しばしば叡尊を招いて談義を聞き、説戒を受けた。後宇多天皇も受戒しているし、兼仲は叡尊の草庵にも赴いている。こうした信仰を背景に、叡尊は宇治川の網代の破却を求めたり、神社の人事に関与したり、朝廷への働きかけを行った。

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂 、八木書店 、平25 、1冊
勘解由小路(広橋)兼仲(1244-1308)の日記。広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の『民経記』など代々日記を残した。本記は蒙古襲来に関する具体的な状況、将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関連、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる13世紀後半の一級史料。 【収録】③1282年〔弘安5〕10月~1284年〔弘安7〕3月 ●興福寺・春日社関係の記事(弘安5年12月21日条)  興福寺衆徒の強訴で運び込まれ、法成寺に置かれたままになっていた春日社の神木がようやく帰った。延引されていた年中行事も行われるようになったが、興福寺と多武峯との争いの方は収まらず、兼仲はとばっちりを受けて放氏されてしまう。 ●文庫と家の文書の管理(弘安6年6月19日・21日条)  兄が亡くなり、家を継いだ兼仲に対して、3年後、家の文書管理を認める院宣と関白家御教書が出された。兼仲は早速吉田亭に付属する文庫に赴いて蔵を開け、虫払いをした。文書が「家」そのものであり、安堵の対象でもあった。 ●鎌倉円覚寺の額(弘安6年10月22日条)  鎌倉幕府の執権北条時宗から円覚寺に後宇多天皇筆の勅額が欲しいという申し入れがあった。しかし数ヶ月後、鎌倉からは時宗の危篤と出家、さらに死去の報がもたらされ、その穢れによって京都では神事が停止された。 ●真言律宗の僧、叡尊の説戒(弘安7年3月18日・同年10月19日条)  関白の兼平は、しばしば叡尊を招いて談義を聞き、説戒を受けた。後宇多天皇も受戒しているし、兼仲は叡尊の草庵にも赴いている。こうした信仰を背景に、叡尊は宇治川の網代の破却を求めたり、神社の人事に関与したり、朝廷への働きかけを行った。 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編213 瑞龍公実録

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
18,000
徳川林政史研究所編/深井雅海・藤田英昭・川島孝一校訂、八木書店、2022年、414頁、A5判、1冊
【新刊書の定価販売です】尾張徳川家の2代当主、徳川光友(1625-1700)の事績録
記録の少ない近世初期の重要な史料!
本史料は、本多六兵衛の編纂にかかるもので、慶安3年(1650)6月、光友の藩主就任からはじまり、死去の翌年元禄14年(1701)、光友の御霊屋作事が完了するまでの期間が編年体で書かれている。その記述から光友の活動はもとより、尾張藩政の整備過程と社会情勢を窺うことが出来る。また、尾張徳川家と、幕府、諸大名や朝廷との通行関係、徳川将軍家(家光、家綱、綱吉)や水戸・紀伊徳川家、松平諸家との関係が時系列をたどりながら知ることが可能となる。
【収録年月】慶安3年(1650)~元禄14年(1701) 解題・関係系図・年表を付録 ※発送まで1~3営業日お時間いただきます
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18,000
徳川林政史研究所編/深井雅海・藤田英昭・川島孝一校訂 、八木書店 、2022年 、414頁 、A5判 、1冊
【新刊書の定価販売です】尾張徳川家の2代当主、徳川光友(1625-1700)の事績録 記録の少ない近世初期の重要な史料! 本史料は、本多六兵衛の編纂にかかるもので、慶安3年(1650)6月、光友の藩主就任からはじまり、死去の翌年元禄14年(1701)、光友の御霊屋作事が完了するまでの期間が編年体で書かれている。その記述から光友の活動はもとより、尾張藩政の整備過程と社会情勢を窺うことが出来る。また、尾張徳川家と、幕府、諸大名や朝廷との通行関係、徳川将軍家(家光、家綱、綱吉)や水戸・紀伊徳川家、松平諸家との関係が時系列をたどりながら知ることが可能となる。 【収録年月】慶安3年(1650)~元禄14年(1701) 解題・関係系図・年表を付録 ※発送まで1~3営業日お時間いただきます

史料纂集古記録編 第150回配本 経覚私要鈔7〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
11,000
小泉宜右校訂、八木書店、令5、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

 奈良興福寺大乗院別当第18世門主経覚(1395~1473)の日乗。『私要鈔』の名は、原本の表紙に題せられたところである。原本は、独立行政法人国立公文書館に所蔵され、欠年もあるが、応永22年(1415)から文明4年(1472)までが現存。

 その内容は、興福寺内の寺務・寺領支配から国人の動向、大和の情勢、京都の動静にまでおよび、朝幕関係から幕府内部の動向も書かれている。嘉吉の乱から応仁・文明の乱勃発の時期までの政治・社会・経済史研究の一級史料である。

 本巻には、文正元年(1466)9月に山名・細川の政変が起こり、政所執事と蔭涼軒主が没落し、守護達は山名持豊と細川勝元の許に集まり対立。翌年正月、京都御霊社の合戦を機に応仁の乱に発展していく過程が克明に活写されている。

 この時期の史料としては、『大乗院寺社雑事記』とならぶ基本史料といえる。経覚は、本拠地の奈良から、常に京都の情勢を見据え、絶えず関心をはらっている。これには、彼の摂関家出身という貴族の出自が大きく影響している。

【経覚(1395-1473)】
応永2年(1395)、関白九条経教の子として誕生。同14年に出家し、同17年に大乗院門跡となる。同33年に興福寺別当となり、永享3年(1431)・寛正2年(1461)・文明元年(1469)の都合4度別当に補任されている。この間、 幕府の命に抗して隠居したこともあるが、幕府要人とは良好な関係を結び、将軍足利義教、管領畠山持国、三宝院満済などの交誼を得ている。経覚は、大乗院門跡・興福寺別当という興福寺の実力者として、大和国内にも影響力をもった。文明5年(1473)、79歳で寂す。

〔収録範囲〕
1465〔寛正6〕~1468〔応仁2〕

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第150回配本 経覚私要鈔7〔オンデマンド版〕

11,000
小泉宜右校訂 、八木書店 、令5 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。  奈良興福寺大乗院別当第18世門主経覚(1395~1473)の日乗。『私要鈔』の名は、原本の表紙に題せられたところである。原本は、独立行政法人国立公文書館に所蔵され、欠年もあるが、応永22年(1415)から文明4年(1472)までが現存。  その内容は、興福寺内の寺務・寺領支配から国人の動向、大和の情勢、京都の動静にまでおよび、朝幕関係から幕府内部の動向も書かれている。嘉吉の乱から応仁・文明の乱勃発の時期までの政治・社会・経済史研究の一級史料である。  本巻には、文正元年(1466)9月に山名・細川の政変が起こり、政所執事と蔭涼軒主が没落し、守護達は山名持豊と細川勝元の許に集まり対立。翌年正月、京都御霊社の合戦を機に応仁の乱に発展していく過程が克明に活写されている。  この時期の史料としては、『大乗院寺社雑事記』とならぶ基本史料といえる。経覚は、本拠地の奈良から、常に京都の情勢を見据え、絶えず関心をはらっている。これには、彼の摂関家出身という貴族の出自が大きく影響している。 【経覚(1395-1473)】 応永2年(1395)、関白九条経教の子として誕生。同14年に出家し、同17年に大乗院門跡となる。同33年に興福寺別当となり、永享3年(1431)・寛正2年(1461)・文明元年(1469)の都合4度別当に補任されている。この間、 幕府の命に抗して隠居したこともあるが、幕府要人とは良好な関係を結び、将軍足利義教、管領畠山持国、三宝院満済などの交誼を得ている。経覚は、大乗院門跡・興福寺別当という興福寺の実力者として、大和国内にも影響力をもった。文明5年(1473)、79歳で寂す。 〔収録範囲〕 1465〔寛正6〕~1468〔応仁2〕 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第129回配本 妙法院日次記18〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
12,100
妙法院史研究会(村山修一・今中寛司・杣田善雄・三崎義泉)校訂、八木書店、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

京都東山七条にある天台の名刹妙法院の坊官が、元禄七年(一六九四)より明治九年(一八七六)まで約二百年にわたって書継いできた同寺の記録。本書は、寺の歴史だけに止まらず、朝廷・公家・京都所司代・町奉行などの動勢や、幕府の公家政策、京都の庶民生活、学問・芸術にわたる文化人の活動、天変天災の実情等、広汎な内容を含み、学界未知の史料が少なくない。

〔収録範囲〕
1775〔安永4〕~1778〔安永7〕
○弁官より院家以下の名簿提出の通知
○三条大橋小橋大破につき牛馬通差留の雑色触
○広橋家より禁裏へ能書方御伝授の御達
○議奏より諸秤は悉く守随方役人改めを請くべし、との触書
○当番流行風邪にて無人
○年貢米売払う約諾にて前金を受取りながら米を江戸廻しにして売払うとの風聞につき議奏触
○妙法院門跡知行所の届書
○禁裏御用の鮎不漁につき賀茂川上流禁漁との方内触
○近来耕作を怠け奉公稼出の者多く尓今村方残人数を相糺し田畑を荒さぬよう伝奏触
○寛文以降の諸国御領私領宗門改帳を取集めよとの武辺の指示につき当年(安永六年)よりは一宗ごとに一冊となすも御知行所宗門改帳は各村方町方より提出せし故不可能との伝奏への書付
○朱墨は朱座の外よりは売出すことは許さず
○秤改の節は秤をすべて見せ改請するようとの伝奏触
○新田畑開発は公儀より仰付られず私領開発は公儀より仰付との伝奏触
○所司代火消屋敷内にて出火


#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第129回配本 妙法院日次記18〔オンデマンド版〕

12,100
妙法院史研究会(村山修一・今中寛司・杣田善雄・三崎義泉)校訂 、八木書店 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 京都東山七条にある天台の名刹妙法院の坊官が、元禄七年(一六九四)より明治九年(一八七六)まで約二百年にわたって書継いできた同寺の記録。本書は、寺の歴史だけに止まらず、朝廷・公家・京都所司代・町奉行などの動勢や、幕府の公家政策、京都の庶民生活、学問・芸術にわたる文化人の活動、天変天災の実情等、広汎な内容を含み、学界未知の史料が少なくない。 〔収録範囲〕 1775〔安永4〕~1778〔安永7〕 ○弁官より院家以下の名簿提出の通知 ○三条大橋小橋大破につき牛馬通差留の雑色触 ○広橋家より禁裏へ能書方御伝授の御達 ○議奏より諸秤は悉く守随方役人改めを請くべし、との触書 ○当番流行風邪にて無人 ○年貢米売払う約諾にて前金を受取りながら米を江戸廻しにして売払うとの風聞につき議奏触 ○妙法院門跡知行所の届書 ○禁裏御用の鮎不漁につき賀茂川上流禁漁との方内触 ○近来耕作を怠け奉公稼出の者多く尓今村方残人数を相糺し田畑を荒さぬよう伝奏触 ○寛文以降の諸国御領私領宗門改帳を取集めよとの武辺の指示につき当年(安永六年)よりは一宗ごとに一冊となすも御知行所宗門改帳は各村方町方より提出せし故不可能との伝奏への書付 ○朱墨は朱座の外よりは売出すことは許さず ○秤改の節は秤をすべて見せ改請するようとの伝奏触 ○新田畑開発は公儀より仰付られず私領開発は公儀より仰付との伝奏触 ○所司代火消屋敷内にて出火 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第65回配本 義演准后日記2〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
12,100
酒井信彦校訂、八木書店、令2、1冊
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豊臣秀吉の帰依を受け、醍醐寺を造営した三宝院義演の日記

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

二条晴良の子、足利義昭の猶子、醍醐寺義演(一五五八-一六二六)の日記。秀吉の帰依をうけ、北政所・秀頼の外護により醍醐寺を造営した。本記は、慶長元年から寛永三年におよぶもので、当時の寺院の修法や行事等に詳しいのは勿論、近世初期の政治情勢を窺うべき記事が豊富である。また庭園や建築の歴史を究める上で不可欠の史料とされ、慶長三年の醍醐の花見の記事は夙に有名。

〔収録範囲〕
1599〔慶長4〕~1601〔慶長6〕
○秀頼伏見より大坂へ移徙
○五奉行衆元結を払う
○家康勢多数上洛
○落雷により東寺塔心柱焼く
○島津忠恒伊集院忠棟を殺す
○三成佐和山城に退く
○秀吉を阿弥陀峯に葬る
○豊国明神遷宮人々群集す
○秀吉一周忌
○大名残らず豊国社に参る
○家康の大坂下向は秀頼への礼か
○高野山衆徒と紛争あり
○応其理徳院を殺す
○家康大坂城二の丸に入る
○義演大坂城の華麗さに驚く
○秀頼三十三間堂千体仏を修理し応其奉行す
○堺に唐船を見物し大船に驚く
○寺誌編集のため醍醐要書を見る
○家康会津の上杉氏征討
○大坂の情勢不穏
○毛利輝元大坂城西丸へ入る
○三奉行家康の罪を列挙す
○西軍伏見城攻撃
○田辺城孤立す
○家康八万騎にて上洛という
○三成行長恵瓊梟首さる
○輝元降伏す
○家康根来寺再興を許す
○公家に新知を給すという
○家康禁裏に新知を上す
○伏見城遺構を御影堂に望む
○応其関ケ原戦後近江に退く
○秀頼神号を書す
○諸家諸門跡に新知加増

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求

史料纂集古記録編 第65回配本 義演准后日記2〔オンデマンド版〕

12,100
酒井信彦校訂 、八木書店 、令2 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 豊臣秀吉の帰依を受け、醍醐寺を造営した三宝院義演の日記 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 二条晴良の子、足利義昭の猶子、醍醐寺義演(一五五八-一六二六)の日記。秀吉の帰依をうけ、北政所・秀頼の外護により醍醐寺を造営した。本記は、慶長元年から寛永三年におよぶもので、当時の寺院の修法や行事等に詳しいのは勿論、近世初期の政治情勢を窺うべき記事が豊富である。また庭園や建築の歴史を究める上で不可欠の史料とされ、慶長三年の醍醐の花見の記事は夙に有名。 〔収録範囲〕 1599〔慶長4〕~1601〔慶長6〕 ○秀頼伏見より大坂へ移徙 ○五奉行衆元結を払う ○家康勢多数上洛 ○落雷により東寺塔心柱焼く ○島津忠恒伊集院忠棟を殺す ○三成佐和山城に退く ○秀吉を阿弥陀峯に葬る ○豊国明神遷宮人々群集す ○秀吉一周忌 ○大名残らず豊国社に参る ○家康の大坂下向は秀頼への礼か ○高野山衆徒と紛争あり ○応其理徳院を殺す ○家康大坂城二の丸に入る ○義演大坂城の華麗さに驚く ○秀頼三十三間堂千体仏を修理し応其奉行す ○堺に唐船を見物し大船に驚く ○寺誌編集のため醍醐要書を見る ○家康会津の上杉氏征討 ○大坂の情勢不穏 ○毛利輝元大坂城西丸へ入る ○三奉行家康の罪を列挙す ○西軍伏見城攻撃 ○田辺城孤立す ○家康八万騎にて上洛という ○三成行長恵瓊梟首さる ○輝元降伏す ○家康根来寺再興を許す ○公家に新知を給すという ○家康禁裏に新知を上す ○伏見城遺構を御影堂に望む ○応其関ケ原戦後近江に退く ○秀頼神号を書す ○諸家諸門跡に新知加増 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第145回配本 義演准后日記4〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
9,900
酒井信彦校訂、八木書店、令5、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!
豊臣秀吉の帰依を受け、醍醐寺を造営した三宝院義演の日記

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

二条晴良の子、足利義昭の猶子、醍醐寺義演(一五五八-一六二六)の日記。秀吉の帰依をうけ、北政所・秀頼の外護により醍醐寺を造営した。本記は、慶長元年から寛永三年におよぶもので、当時の寺院の修法や行事等に詳しいのは勿論、近世初期の政治情勢を窺うべき記事が豊富である。また庭園や建築の歴史を究める上で不可欠の史料とされ、慶長三年の醍醐の花見の記事は夙に有名。

〔収録範囲〕
1605〔慶長10〕~1607〔慶長12〕
○旧冬関東大地震の由
○桜樹百本余を増植、往古は桜会とて大法会あり
○朝鮮使節家康に謁す
○秀忠将軍宣下
○応仁の大乱以後初て寺家南門竣工す
○大仏千僧供会
○摂津池田逗留鼓の滝見物
○南都下向用意、西大門額作成のため大寺先例一見
○猿楽名人渋谷与兵衛子兄弟来る
○上醍醐如意輪堂五大堂御影堂火災焼失
○文殊院勢誉より進上物、勢誉は家康意に叶う威勢の者
○京都宿坊院御所建設の為取壊始む
○山上伽藍再興を大坂へ訴う
○南庭花盛り京中より見物群集
○方広寺大仏千僧会八宗出仕
○五大尊画幅箱新調を仰付く
○石清水八幡宮見物秀頼造営社殿壮麗広大
○山伏公事并に大隅村百姓相論家康へ訴訟
○太平記読始む
○家康に松虫を贈る
○秀頼北野経堂を再興
○近衛信尹に関白職を鷹司信房に譲渡すべきとの沙汰
○山上学侶伽藍完成御礼に大坂に赴く
○寺領人夫の淀普請への徴用を断る
○醍醐番匠駿河府中作事に徴さる
○結城秀康死去
○駿河城焼失

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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史料纂集古記録編 第145回配本 義演准后日記4〔オンデマンド版〕

9,900
酒井信彦校訂 、八木書店 、令5 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 豊臣秀吉の帰依を受け、醍醐寺を造営した三宝院義演の日記 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 二条晴良の子、足利義昭の猶子、醍醐寺義演(一五五八-一六二六)の日記。秀吉の帰依をうけ、北政所・秀頼の外護により醍醐寺を造営した。本記は、慶長元年から寛永三年におよぶもので、当時の寺院の修法や行事等に詳しいのは勿論、近世初期の政治情勢を窺うべき記事が豊富である。また庭園や建築の歴史を究める上で不可欠の史料とされ、慶長三年の醍醐の花見の記事は夙に有名。 〔収録範囲〕 1605〔慶長10〕~1607〔慶長12〕 ○旧冬関東大地震の由 ○桜樹百本余を増植、往古は桜会とて大法会あり ○朝鮮使節家康に謁す ○秀忠将軍宣下 ○応仁の大乱以後初て寺家南門竣工す ○大仏千僧供会 ○摂津池田逗留鼓の滝見物 ○南都下向用意、西大門額作成のため大寺先例一見 ○猿楽名人渋谷与兵衛子兄弟来る ○上醍醐如意輪堂五大堂御影堂火災焼失 ○文殊院勢誉より進上物、勢誉は家康意に叶う威勢の者 ○京都宿坊院御所建設の為取壊始む ○山上伽藍再興を大坂へ訴う ○南庭花盛り京中より見物群集 ○方広寺大仏千僧会八宗出仕 ○五大尊画幅箱新調を仰付く ○石清水八幡宮見物秀頼造営社殿壮麗広大 ○山伏公事并に大隅村百姓相論家康へ訴訟 ○太平記読始む ○家康に松虫を贈る ○秀頼北野経堂を再興 ○近衛信尹に関白職を鷹司信房に譲渡すべきとの沙汰 ○山上学侶伽藍完成御礼に大坂に赴く ○寺領人夫の淀普請への徴用を断る ○醍醐番匠駿河府中作事に徴さる ○結城秀康死去 ○駿河城焼失 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第38回配本 教言卿記3・教興卿記〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
8,800
臼井信義・嗣永芳照校訂、八木書店、令5、1冊
長らく品切れの書籍を復刊!

【内容説明】
『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

中納言正二位山科教言(一三二八-一四一〇)の日記。応永十二年山科家は火災にあい累代の記録を亡失したが、その後をうけて書き続けた日記で、他にあまり記録を残さないこの時代の重要な史料である。教言は義満の寵遇をうけ、また山科家が代々内蔵頭となるのもこの時からで、従って義満の行動や寮領支配を知る好個の史料であり、また禅僧の往来や、音楽・医薬関係の記事も豊富。

〔収録範囲〕
1408〔応永15〕~1410〔応永17〕・教興卿記
○義持公家方申沙汰は日野重光武家方申沙汰は伊勢貞行と定む
○義持徳大寺公俊及び広橋兼宣の邸に臨む
○日野重光三宝院満済を招請す
○大中中建甲斐より上洛
○遠江西郷土貢合戦のため来らず
○飛騨山科家領は斯波義将より国司姉小路尹綱に預けし地
○大中中建義持及び義嗣に謁す
○教興女千代傀儡張行
○義嗣大炊御門道場踊念仏聴聞
○今出川在家に放火あり
○勘解由小路室町酒屋放火さる
○教言鹿苑院に参詣し義満の木像を拝す
○義持義嗣及び北山院兵庫に遊ぶ
○太白真玄教言に蒸羹を贈る
○義持内蔵寮領率分所の存立を奉行に沙汰せしむ
○教興内蔵寮領率分所の事につき奉行飯尾貞之を訪う
○美濃革手郷長講堂門兵士役
○豊原定秋足利家の名笙達智門にて所作す
○日野家地蔵講
○白川家連歌
○北山院内裏御服料足を内蔵寮御服所に下す

「教興卿記」は教言卿記の第三と合冊、臼井信義・嗣永芳照校訂
従二位権中納言山科教興(一三四〇-一四一八)の日記。教興は父教言の後を嗣ぎ、内蔵頭となり、参議に任じた。その日記も『教言卿記』の後をうけて応永十七年(一四一〇)から同二十四年(一四一七)まで断続して残されている。内容的にも同記に準ずるものである。本叢書では、上掲の『教言卿記』第三冊にあわせて収める。

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史料纂集古記録編 第38回配本 教言卿記3・教興卿記〔オンデマンド版〕

8,800
臼井信義・嗣永芳照校訂 、八木書店 、令5 、1冊
長らく品切れの書籍を復刊! 【内容説明】 『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。 中納言正二位山科教言(一三二八-一四一〇)の日記。応永十二年山科家は火災にあい累代の記録を亡失したが、その後をうけて書き続けた日記で、他にあまり記録を残さないこの時代の重要な史料である。教言は義満の寵遇をうけ、また山科家が代々内蔵頭となるのもこの時からで、従って義満の行動や寮領支配を知る好個の史料であり、また禅僧の往来や、音楽・医薬関係の記事も豊富。 〔収録範囲〕 1408〔応永15〕~1410〔応永17〕・教興卿記 ○義持公家方申沙汰は日野重光武家方申沙汰は伊勢貞行と定む ○義持徳大寺公俊及び広橋兼宣の邸に臨む ○日野重光三宝院満済を招請す ○大中中建甲斐より上洛 ○遠江西郷土貢合戦のため来らず ○飛騨山科家領は斯波義将より国司姉小路尹綱に預けし地 ○大中中建義持及び義嗣に謁す ○教興女千代傀儡張行 ○義嗣大炊御門道場踊念仏聴聞 ○今出川在家に放火あり ○勘解由小路室町酒屋放火さる ○教言鹿苑院に参詣し義満の木像を拝す ○義持義嗣及び北山院兵庫に遊ぶ ○太白真玄教言に蒸羹を贈る ○義持内蔵寮領率分所の存立を奉行に沙汰せしむ ○教興内蔵寮領率分所の事につき奉行飯尾貞之を訪う ○美濃革手郷長講堂門兵士役 ○豊原定秋足利家の名笙達智門にて所作す ○日野家地蔵講 ○白川家連歌 ○北山院内裏御服料足を内蔵寮御服所に下す 「教興卿記」は教言卿記の第三と合冊、臼井信義・嗣永芳照校訂 従二位権中納言山科教興(一三四〇-一四一八)の日記。教興は父教言の後を嗣ぎ、内蔵頭となり、参議に任じた。その日記も『教言卿記』の後をうけて応永十七年(一四一〇)から同二十四年(一四一七)まで断続して残されている。内容的にも同記に準ずるものである。本叢書では、上掲の『教言卿記』第三冊にあわせて収める。 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第161回配本 松陰私語〔オンデマンド版〕

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
11,000
峰岸純夫・川崎千鶴校訂、八木書店、令5、1冊
【内容説明】
『松陰私語』は、上野国新田荘の新田岩松家純(源慶)の顧問僧松陰が、家純重臣の横瀬国繁らと協力し、鎌倉公方(後に古河公方)足利成氏と関東管領上杉氏(幕府支援)が対立抗争する十五世紀後半の享徳の乱の渦中をかいくぐってきた体験を記した回想録である。年老いて一線から退いて、新田岩松氏が家純の没後に内紛で分裂・抗争し勢力を失っていく姿を見て、過去の栄光の時代を亀鏡として示したいという松陰の意図から「新田岩松家記」として執筆されたものである。儒教の教えの五常(人・義・礼・智・信)にちなんで五巻構成をとり、『貞観政要』などの中国古典をふんだんに引用しながら叙述している。応仁の乱に先行して行われたこの乱は、東国戦国時代の開幕であり、この乱を記した貴重な同時代記録といってよい。五巻のうち第三巻は目録を残して本文は欠落している。
 原文は存在せず、一巻は新田義純旧蔵本、三から五巻は宮内庁書陵部本(新井白石書写)写本を定本にして他の諸本との比較校合も行っている。従来の翻刻は『続群書類従』や『群馬県史』(史料編中世一)などでなされているが、今回は徹底した翻刻作業と丹念な傍注記載、豊富な解題・解説によって読者の便宜を図っている。

松陰は、新田松陰軒とも称していることから新田岩松一族の出自とも考えられるが、詳細は不明である。記録中では成福寺とも称しているので、新田荘内外の成福寺の住持と考えられるが、この寺の所在は不明である。晩年の文亀三年(一五〇二)に世良田長楽寺の住持として長楽寺文書に記載されている。松陰の位牌と墓所は、本庄市東五塚の蔵国寺(長楽寺末)にあり、ここで没したと考えられる。江戸時代に松陰私語原本はこの寺にあったと記されている。

【目次】
凡例
本文 校訂
解題(附録史料)
参考史料
 太田道灌状(國學院大學本/肥前島原松平文庫本)
 新田岩松家記
解説
 1.筆者松陰と松陰私語執筆の意図
 2.松陰私語の編年整理
 3.武州五十子の陣
 4.城と陣所
 5.儀礼と贈答
 6.松陰私語解読の基礎
   1)松陰私語における語句や文章の表記について
  2)中国古典引用 『貞観政要』を中心に

人名索引
地名索引
件名索引

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史料纂集古記録編 第161回配本 松陰私語〔オンデマンド版〕

11,000
峰岸純夫・川崎千鶴校訂 、八木書店 、令5 、1冊
【内容説明】 『松陰私語』は、上野国新田荘の新田岩松家純(源慶)の顧問僧松陰が、家純重臣の横瀬国繁らと協力し、鎌倉公方(後に古河公方)足利成氏と関東管領上杉氏(幕府支援)が対立抗争する十五世紀後半の享徳の乱の渦中をかいくぐってきた体験を記した回想録である。年老いて一線から退いて、新田岩松氏が家純の没後に内紛で分裂・抗争し勢力を失っていく姿を見て、過去の栄光の時代を亀鏡として示したいという松陰の意図から「新田岩松家記」として執筆されたものである。儒教の教えの五常(人・義・礼・智・信)にちなんで五巻構成をとり、『貞観政要』などの中国古典をふんだんに引用しながら叙述している。応仁の乱に先行して行われたこの乱は、東国戦国時代の開幕であり、この乱を記した貴重な同時代記録といってよい。五巻のうち第三巻は目録を残して本文は欠落している。  原文は存在せず、一巻は新田義純旧蔵本、三から五巻は宮内庁書陵部本(新井白石書写)写本を定本にして他の諸本との比較校合も行っている。従来の翻刻は『続群書類従』や『群馬県史』(史料編中世一)などでなされているが、今回は徹底した翻刻作業と丹念な傍注記載、豊富な解題・解説によって読者の便宜を図っている。 松陰は、新田松陰軒とも称していることから新田岩松一族の出自とも考えられるが、詳細は不明である。記録中では成福寺とも称しているので、新田荘内外の成福寺の住持と考えられるが、この寺の所在は不明である。晩年の文亀三年(一五〇二)に世良田長楽寺の住持として長楽寺文書に記載されている。松陰の位牌と墓所は、本庄市東五塚の蔵国寺(長楽寺末)にあり、ここで没したと考えられる。江戸時代に松陰私語原本はこの寺にあったと記されている。 【目次】 凡例 本文 校訂 解題(附録史料) 参考史料  太田道灌状(國學院大學本/肥前島原松平文庫本)  新田岩松家記 解説  1.筆者松陰と松陰私語執筆の意図  2.松陰私語の編年整理  3.武州五十子の陣  4.城と陣所  5.儀礼と贈答  6.松陰私語解読の基礎    1)松陰私語における語句や文章の表記について   2)中国古典引用 『貞観政要』を中心に 人名索引 地名索引 件名索引 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

史料纂集古記録編 第156回配本 太梁公日記3

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
15,400
前田育徳会尊経閣文庫編・長山直治校訂、八木書店、2010年、288頁、A5、1冊
"【新刊書の定価販売です】 江戸幕府との交渉や江戸城内での儀礼、諸大名や一族と交際、藩内の年寄などからの藩政に関する伺いとそれに対する指示、寺社への参詣、遊興や日常生活など公私にわたって克明に記述されている。中でも隠居した先代の重教との関わりを示す記事が多く、とくに在府中は、朝のご機嫌伺いから始まり、日中は鞠・能・弓・鉄砲乗馬・騎射・鳥刺などの相手を勤め、夜は食事の相伴をするなど、親密にして恭敬な態度で接している。
 『太梁公日記』は、治脩が藩主としての心覚えとして書き始められたものと考えられるが、所々に記主治脩の感想が記され、かれの人柄が偲ばれる。また、重教の隠居と治脩の家督相続の経緯、藩内の財政事情や相続に伴う藩内人事も詳細に知ることが出来る。
 加賀藩の政治史は勿論のこと、当時の政治・社会・経済・文化・芸能・交通史の研究に貴重な史料を提供してくれる。※発送まで1~2営業日お時間いただきます"
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
15,400
前田育徳会尊経閣文庫編・長山直治校訂 、八木書店 、2010年 、288頁 、A5 、1冊
"【新刊書の定価販売です】 江戸幕府との交渉や江戸城内での儀礼、諸大名や一族と交際、藩内の年寄などからの藩政に関する伺いとそれに対する指示、寺社への参詣、遊興や日常生活など公私にわたって克明に記述されている。中でも隠居した先代の重教との関わりを示す記事が多く、とくに在府中は、朝のご機嫌伺いから始まり、日中は鞠・能・弓・鉄砲乗馬・騎射・鳥刺などの相手を勤め、夜は食事の相伴をするなど、親密にして恭敬な態度で接している。  『太梁公日記』は、治脩が藩主としての心覚えとして書き始められたものと考えられるが、所々に記主治脩の感想が記され、かれの人柄が偲ばれる。また、重教の隠居と治脩の家督相続の経緯、藩内の財政事情や相続に伴う藩内人事も詳細に知ることが出来る。  加賀藩の政治史は勿論のこと、当時の政治・社会・経済・文化・芸能・交通史の研究に貴重な史料を提供してくれる。※発送まで1~2営業日お時間いただきます"

史料纂集古記録編 第164回配本 太梁公日記4

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
15,400
前田育徳会尊経閣文庫編・長山直治校訂、八木書店、2012年、314頁、A5、1冊
"【新刊書の定価販売です】 江戸幕府との交渉や江戸城内での儀礼、諸大名や一族と交際、藩内の年寄などからの藩政に関する伺いとそれに対する指示、寺社への参詣、遊興や日常生活など公私にわたって克明に記述されている。中でも隠居した先代の重教との関わりを示す記事が多く、とくに在府中は、朝のご機嫌伺いから始まり、日中は鞠・能・弓・鉄砲乗馬・騎射・鳥刺などの相手を勤め、夜は食事の相伴をするなど、親密にして恭敬な態度で接している。
 『太梁公日記』は、治脩が藩主としての心覚えとして書き始められたものと考えられるが、所々に記主治脩の感想が記され、かれの人柄が偲ばれる。また、重教の隠居と治脩の家督相続の経緯、藩内の財政事情や相続に伴う藩内人事も詳細に知ることが出来る。
 加賀藩の政治史は勿論のこと、当時の政治・社会・経済・文化・芸能・交通史の研究に貴重な史料を提供してくれる。※発送まで1~2営業日お時間いただきます"
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
15,400
前田育徳会尊経閣文庫編・長山直治校訂 、八木書店 、2012年 、314頁 、A5 、1冊
"【新刊書の定価販売です】 江戸幕府との交渉や江戸城内での儀礼、諸大名や一族と交際、藩内の年寄などからの藩政に関する伺いとそれに対する指示、寺社への参詣、遊興や日常生活など公私にわたって克明に記述されている。中でも隠居した先代の重教との関わりを示す記事が多く、とくに在府中は、朝のご機嫌伺いから始まり、日中は鞠・能・弓・鉄砲乗馬・騎射・鳥刺などの相手を勤め、夜は食事の相伴をするなど、親密にして恭敬な態度で接している。  『太梁公日記』は、治脩が藩主としての心覚えとして書き始められたものと考えられるが、所々に記主治脩の感想が記され、かれの人柄が偲ばれる。また、重教の隠居と治脩の家督相続の経緯、藩内の財政事情や相続に伴う藩内人事も詳細に知ることが出来る。  加賀藩の政治史は勿論のこと、当時の政治・社会・経済・文化・芸能・交通史の研究に貴重な史料を提供してくれる。※発送まで1~2営業日お時間いただきます"

史料纂集古記録編89 通誠公記2

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
8,800
"今江廣道・小沼修一校訂 続群書類従完成会発行"、八木書店、1990年、308頁、A5、1冊
"【新刊書の定価販売です】 1689〔元禄2〕~1692〔元禄5〕
○近衛基熙より親長卿記三十三巻を借る
○伊勢両宮遷宮により奉幣使発遣
○久我家重宝紛失の由来
○大内記高辻長量伊勢一社奉幣の宣命作進の禄を望む
○四辻公韶左右方伶人に楽目録を賜う
○関東年頭使吉良義央上洛
○仙洞玉津島社御法楽和歌の詠進を命ぜらる
○琵琶法師をして平家物語を語らしむ
○過日の光物飛行の節醍醐辺の寺焼亡す
○老中阿部正武所司代松平信興参内
○武家伝奏より再び悲田宗に関する通達あり
○覚鑁上人に興教大師の謚号を賜う
○禁中七夕御会和歌懐紙を献ず
○元勅願寺南都秋篠寺薬師堂大破につき勧進僧来る
○佐々八幡近辺一町余焼亡
○南都大仏開眼供養結願
○毎夜光物飛ぶ
○幕府盲人座惣検校と職検校とを分離す
○石清水放生会宣命上卿を仰付らる
○天皇より色紙を賜わり和歌を書付くべく仰下さるるにより之を献ず
○武家伝奏より鉄炮改の事につき達あり
○参番の間御所の近く火事あり※発送まで1~2営業日お時間いただきます"
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史料纂集古記録編89 通誠公記2

8,800
"今江廣道・小沼修一校訂 続群書類従完成会発行" 、八木書店 、1990年 、308頁 、A5 、1冊
"【新刊書の定価販売です】 1689〔元禄2〕~1692〔元禄5〕 ○近衛基熙より親長卿記三十三巻を借る ○伊勢両宮遷宮により奉幣使発遣 ○久我家重宝紛失の由来 ○大内記高辻長量伊勢一社奉幣の宣命作進の禄を望む ○四辻公韶左右方伶人に楽目録を賜う ○関東年頭使吉良義央上洛 ○仙洞玉津島社御法楽和歌の詠進を命ぜらる ○琵琶法師をして平家物語を語らしむ ○過日の光物飛行の節醍醐辺の寺焼亡す ○老中阿部正武所司代松平信興参内 ○武家伝奏より再び悲田宗に関する通達あり ○覚鑁上人に興教大師の謚号を賜う ○禁中七夕御会和歌懐紙を献ず ○元勅願寺南都秋篠寺薬師堂大破につき勧進僧来る ○佐々八幡近辺一町余焼亡 ○南都大仏開眼供養結願 ○毎夜光物飛ぶ ○幕府盲人座惣検校と職検校とを分離す ○石清水放生会宣命上卿を仰付らる ○天皇より色紙を賜わり和歌を書付くべく仰下さるるにより之を献ず ○武家伝奏より鉄炮改の事につき達あり ○参番の間御所の近く火事あり※発送まで1~2営業日お時間いただきます"

史料纂集古記録編 第157回配本 勘仲記2 1278年〔弘安元〕~1282年〔弘安5〕9月

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・中込律子校訂、八木書店、2010年、352頁、A5、1冊
"【新刊書の定価販売です】 藤原(広橋)兼仲(一二四四―一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。国立歴史民俗博物館に自筆本八十七巻が所蔵されているほか、若干の断簡や逸文が伝わっている。日野流の広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の 『民経記』など、代々日記を残した。
 本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。
 とりわけ二度の蒙古襲来とその前後の京都の状況を知る重要な記事を多く含み、朝廷・寺社がこの事態にいかに対処したかを看取できる。※発送まで1~2営業日お時間いただきます"
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高橋秀樹・櫻井彦・中込律子校訂 、八木書店 、2010年 、352頁 、A5 、1冊
"【新刊書の定価販売です】 藤原(広橋)兼仲(一二四四―一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。国立歴史民俗博物館に自筆本八十七巻が所蔵されているほか、若干の断簡や逸文が伝わっている。日野流の広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の 『民経記』など、代々日記を残した。  本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。  とりわけ二度の蒙古襲来とその前後の京都の状況を知る重要な記事を多く含み、朝廷・寺社がこの事態にいかに対処したかを看取できる。※発送まで1~2営業日お時間いただきます"

史料纂集古記録編225 平戸記2 初版

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
17,600
奈良中世日記研究会校訂(丹生谷哲一・生駒孝臣・岩田慎平・大島佳代・高正樹・斎木涼子・曽我部愛・吉江崇・・・
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます

『吾妻鏡』の欠落を補う、鎌倉時代史研究の基本史料!
承久の乱後、朝幕関係の転換期を生きた廷臣の日記

【内容説明】
〔『平戸記』とは〕
平経高(1180-1255)の日記。姓の「平」と民部卿の唐名である「戸部尚書」の「戸」から『平戸記』と呼ばれ、『経高卿記』とも称される。
平経高は治承4年(1180)、桓武平氏高棟流の平行範の子として生まれた。はじめ吉田経房の猶子となるが、のち復姓し蔵人、弁官を経て元仁元年(1224)45歳にして従三位に叙され、公卿となる。建長7年(1255)、76歳で薨ずるまで八朝(後鳥羽~後深草天皇)に仕え、博学にして故実に通じ、関白九条道家の側近の一人である。
現在、延応2(仁治元)・仁治3年、寛元2・3年の写本と部類記などに引用された逸文が伝存する。
本書は『吾妻鏡』で欠落する仁治3年の記事が収録されている。


【所収】仁治3年(1242)10月~寛元3年(1245)3月
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17,600
奈良中世日記研究会校訂(丹生谷哲一・生駒孝臣・岩田慎平・大島佳代・高正樹・斎木涼子・曽我部愛・吉江崇) 、八木書店 、2025年 、308頁 、A5 、1冊
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます 『吾妻鏡』の欠落を補う、鎌倉時代史研究の基本史料! 承久の乱後、朝幕関係の転換期を生きた廷臣の日記 【内容説明】 〔『平戸記』とは〕 平経高(1180-1255)の日記。姓の「平」と民部卿の唐名である「戸部尚書」の「戸」から『平戸記』と呼ばれ、『経高卿記』とも称される。 平経高は治承4年(1180)、桓武平氏高棟流の平行範の子として生まれた。はじめ吉田経房の猶子となるが、のち復姓し蔵人、弁官を経て元仁元年(1224)45歳にして従三位に叙され、公卿となる。建長7年(1255)、76歳で薨ずるまで八朝(後鳥羽~後深草天皇)に仕え、博学にして故実に通じ、関白九条道家の側近の一人である。 現在、延応2(仁治元)・仁治3年、寛元2・3年の写本と部類記などに引用された逸文が伝存する。 本書は『吾妻鏡』で欠落する仁治3年の記事が収録されている。 【所収】仁治3年(1242)10月~寛元3年(1245)3月

史料纂集古記録編91 通兄公記1

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
11,000
"今江廣道・藤森馨・平井誠二校訂 続群書類従完成会発行"、八木書店、1991年、336頁、A5、1・・・
"【新刊書の定価販売です】 1723〔享保9〕~1728〔享保13〕
○和歌御会始に詠進すべく命ぜらる
○通兄参内始めて論語講談を陪聴す
○南方大火夜半に至るも鎮火せず
○松崎辺狼鳴く
○通兄叙従三位勅許
○天皇の御笛御師範を辻高房に仰付らる
○神祇伯雅冬王より神拝奉幣等の作法の伝授を受く
○祖父通誠の墓所に参詣す
○清涼殿に於て闘鶏御覧
○高倉永房等将軍吉宗息家重元服につき発足
○武家伝奏并に院伝奏関東下向
○狂人宮中に入り捕えらる
○徳川吉宗母浄円院逝去
○盂蘭盆の日は両親健在の人のみ番と称して候す
○南方御文庫の御記を北方御文庫に移す
○栄貞親王宣下将軍猶子
○久我通夏辞権中納言
○通兄任権中納言の慶を奏す
○泉涌寺の東山院御廟に参詣す
○天皇より通兄の書の献上を命ぜらる
○徳川家重疱瘡を病む
○如意嶽に遊山
○徳川吉宗日光社参
○立坊慶賀の関東使拝謁
○連日の大雨にて淀八幡辺洪水
○東宮の院行啓の供奉を命ぜらる
○鹿苑院金閣寺を観る
○東山院聖忌御経供養の参仕を命ぜらる※発送まで1~2営業日お時間いただきます"
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史料纂集古記録編91 通兄公記1

11,000
"今江廣道・藤森馨・平井誠二校訂 続群書類従完成会発行" 、八木書店 、1991年 、336頁 、A5 、1冊
"【新刊書の定価販売です】 1723〔享保9〕~1728〔享保13〕 ○和歌御会始に詠進すべく命ぜらる ○通兄参内始めて論語講談を陪聴す ○南方大火夜半に至るも鎮火せず ○松崎辺狼鳴く ○通兄叙従三位勅許 ○天皇の御笛御師範を辻高房に仰付らる ○神祇伯雅冬王より神拝奉幣等の作法の伝授を受く ○祖父通誠の墓所に参詣す ○清涼殿に於て闘鶏御覧 ○高倉永房等将軍吉宗息家重元服につき発足 ○武家伝奏并に院伝奏関東下向 ○狂人宮中に入り捕えらる ○徳川吉宗母浄円院逝去 ○盂蘭盆の日は両親健在の人のみ番と称して候す ○南方御文庫の御記を北方御文庫に移す ○栄貞親王宣下将軍猶子 ○久我通夏辞権中納言 ○通兄任権中納言の慶を奏す ○泉涌寺の東山院御廟に参詣す ○天皇より通兄の書の献上を命ぜらる ○徳川家重疱瘡を病む ○如意嶽に遊山 ○徳川吉宗日光社参 ○立坊慶賀の関東使拝謁 ○連日の大雨にて淀八幡辺洪水 ○東宮の院行啓の供奉を命ぜらる ○鹿苑院金閣寺を観る ○東山院聖忌御経供養の参仕を命ぜらる※発送まで1~2営業日お時間いただきます"

史料纂集古記録編 第219回配本 礼物軌式

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
17,600
徳川林政史研究所編/深井雅海・藤田英昭校訂、八木書店、令5、1冊
【内容説明】
「礼物軌式」(れいもつきしき)は、尾張徳川家より、幕府への献上物(時献上)の仕立方について、文化13年(1816)時点の情報を図解入りでまとめた書である。現存するものは、写本で全5冊。季節ごとに冊が分けられ、春・夏・秋・冬の各1冊ずつと、附録の1冊で全5冊という構成になっている。
序と奥書によれば、成立は文化13年の5月。内容は、春夏秋冬が江戸城の表への献上、附録が江戸城の大奥への献上物について解説が載せられている。序によれば、「調進之法」(献上の作法)は、古式に則り、常に旧録を参照にしてきたが、明暦の大火によって旧録の半分が失われ、口伝で補ってきた。元文年間に不明点を調査し、一書にまとめたが、さらに異同を正し脱漏を補ったものが「礼物軌式」である。さらに奥書によれば、編纂者の5名(小倉六兵・竹村逸平・鬼頭長十郎・武藤与一郎・生駒斧三郎)は、いずれも尾張藩士であった。

【目次】
礼物軌式 春
礼物軌式 夏
礼物軌式 秋
礼物軌式 冬
礼物軌式 附録

【解題】
「礼物軌式」の概要            髙橋喜子
「礼物軌式」に見る献上品調達と江戸    宮澤歩美
「礼物軌式」にみられる知多郡師崎村の産物 萱田寛也

#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
17,600
徳川林政史研究所編/深井雅海・藤田英昭校訂 、八木書店 、令5 、1冊
【内容説明】 「礼物軌式」(れいもつきしき)は、尾張徳川家より、幕府への献上物(時献上)の仕立方について、文化13年(1816)時点の情報を図解入りでまとめた書である。現存するものは、写本で全5冊。季節ごとに冊が分けられ、春・夏・秋・冬の各1冊ずつと、附録の1冊で全5冊という構成になっている。 序と奥書によれば、成立は文化13年の5月。内容は、春夏秋冬が江戸城の表への献上、附録が江戸城の大奥への献上物について解説が載せられている。序によれば、「調進之法」(献上の作法)は、古式に則り、常に旧録を参照にしてきたが、明暦の大火によって旧録の半分が失われ、口伝で補ってきた。元文年間に不明点を調査し、一書にまとめたが、さらに異同を正し脱漏を補ったものが「礼物軌式」である。さらに奥書によれば、編纂者の5名(小倉六兵・竹村逸平・鬼頭長十郎・武藤与一郎・生駒斧三郎)は、いずれも尾張藩士であった。 【目次】 礼物軌式 春 礼物軌式 夏 礼物軌式 秋 礼物軌式 冬 礼物軌式 附録 【解題】 「礼物軌式」の概要            髙橋喜子 「礼物軌式」に見る献上品調達と江戸    宮澤歩美 「礼物軌式」にみられる知多郡師崎村の産物 萱田寛也 #八木書店出版物/-/-

史料纂集古記録編221 東武実録1

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
17,600
小池 進校訂、八木書店、2024年、312頁、A5判
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます

初翻刻! 江戸幕府の事業継承…家康と家光をつなぐ世襲の要、秀忠の事績!

【内容説明】
江戸幕府が編纂した二代将軍徳川秀忠の事績録。全40巻17冊。
徳川家康が死去した元和2年(1616)正月朔日条から徳川秀忠が死去する寛永9年(1632)12月までを編年体で記載する。

旗本の松平忠冬が、天和3年(1683)12月に徳川綱吉の命を受け、翌年の貞享元年11月に浄書終了後、12月3日に献上された。忠冬は、『家忠日記』を残した家康の武将松平家忠の流れをくむ深溝松平の系統で、のちに『家忠日記増補追加』を献上したことでも知られる。

書名の「東武」は、武蔵国ないしは江戸の別称であるが、本書では江戸幕府を指す。
記述は比較的簡略であるが、幕府の法令等原文を収録している点に特色がある。

『東武実録』の献上本は現存しないが、写本は数多い。今回の翻刻にあたっては、国立公文書館の旧内閣文庫本を底本とし、詳細な校訂注(人名・地名)と標出(頭注)を施し利用の便宜を図った。
影印は、汲古書院より刊行された『内閣文庫所蔵史籍叢刊』に所収されている。

【目次】
【所収】元和2年(1616)~寛永4年(1627)
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可 適格請求
17,600
小池 進校訂 、八木書店 、2024年 、312頁 、A5判
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます 初翻刻! 江戸幕府の事業継承…家康と家光をつなぐ世襲の要、秀忠の事績! 【内容説明】 江戸幕府が編纂した二代将軍徳川秀忠の事績録。全40巻17冊。 徳川家康が死去した元和2年(1616)正月朔日条から徳川秀忠が死去する寛永9年(1632)12月までを編年体で記載する。 旗本の松平忠冬が、天和3年(1683)12月に徳川綱吉の命を受け、翌年の貞享元年11月に浄書終了後、12月3日に献上された。忠冬は、『家忠日記』を残した家康の武将松平家忠の流れをくむ深溝松平の系統で、のちに『家忠日記増補追加』を献上したことでも知られる。 書名の「東武」は、武蔵国ないしは江戸の別称であるが、本書では江戸幕府を指す。 記述は比較的簡略であるが、幕府の法令等原文を収録している点に特色がある。 『東武実録』の献上本は現存しないが、写本は数多い。今回の翻刻にあたっては、国立公文書館の旧内閣文庫本を底本とし、詳細な校訂注(人名・地名)と標出(頭注)を施し利用の便宜を図った。 影印は、汲古書院より刊行された『内閣文庫所蔵史籍叢刊』に所収されている。 【目次】 【所収】元和2年(1616)~寛永4年(1627)

史料纂集古記録編 第221回配本 東武実録1

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
17,600
小池 進校訂、八木書店、令6、1冊
初翻刻! 江戸幕府の事業継承…家康と家光をつなぐ世襲の要、秀忠の事績!

【内容説明】
江戸幕府が編纂した二代将軍徳川秀忠の事績録。全40巻17冊。
徳川家康が死去した元和2年(1616)正月朔日条から徳川秀忠が死去する寛永9年(1632)12月までを編年体で記載する。

旗本の松平忠冬が、天和3年(1683)12月に徳川綱吉の命を受け、翌年の貞享元年11月に浄書終了後、12月3日に献上された。忠冬は、『家忠日記』を残した家康の武将松平家忠の流れをくむ深溝松平の系統で、のちに『家忠日記増補追加』を献上したことでも知られる。

書名の「東武」は、武蔵国ないしは江戸の別称であるが、本書では江戸幕府を指す。
記述は比較的簡略であるが、幕府の法令等原文を収録している点に特色がある。

『東武実録』の献上本は現存しないが、写本は数多い。今回の翻刻にあたっては、国立公文書館の旧内閣文庫本を底本とし、詳細な校訂注(人名・地名)と標出(頭注)を施し利用の便宜を図った。
影印は、汲古書院より刊行された『内閣文庫所蔵史籍叢刊』に所収されている。

【目次】
【所収】元和2年(1616)~寛永4年(1627)

#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
17,600
小池 進校訂 、八木書店 、令6 、1冊
初翻刻! 江戸幕府の事業継承…家康と家光をつなぐ世襲の要、秀忠の事績! 【内容説明】 江戸幕府が編纂した二代将軍徳川秀忠の事績録。全40巻17冊。 徳川家康が死去した元和2年(1616)正月朔日条から徳川秀忠が死去する寛永9年(1632)12月までを編年体で記載する。 旗本の松平忠冬が、天和3年(1683)12月に徳川綱吉の命を受け、翌年の貞享元年11月に浄書終了後、12月3日に献上された。忠冬は、『家忠日記』を残した家康の武将松平家忠の流れをくむ深溝松平の系統で、のちに『家忠日記増補追加』を献上したことでも知られる。 書名の「東武」は、武蔵国ないしは江戸の別称であるが、本書では江戸幕府を指す。 記述は比較的簡略であるが、幕府の法令等原文を収録している点に特色がある。 『東武実録』の献上本は現存しないが、写本は数多い。今回の翻刻にあたっては、国立公文書館の旧内閣文庫本を底本とし、詳細な校訂注(人名・地名)と標出(頭注)を施し利用の便宜を図った。 影印は、汲古書院より刊行された『内閣文庫所蔵史籍叢刊』に所収されている。 【目次】 【所収】元和2年(1616)~寛永4年(1627) #八木書店出版物/-/-

史料纂集古記録編211 勘仲記8 正応5年(1292)11月~正安3年(1301)11月

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂、八木書店、2025年、344頁、A5判
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます
蒙古襲来前後の朝廷の様子や、持明院・大覚寺両統迭立など、重要な事件を目撃した実務官人の克明な記録を自筆本により翻刻

【内容説明】
■史料纂集本勘仲記の特長
●自筆本を底本とする最善の本文を提供。
●断簡や逸文、日記本文が現存しない部分の日記目録も収録。
●墨継ぎや文字間隔、追筆・挿入・抹消に見られる兼仲の筆録意識を読み取るなど、最新の研究成果に基づく、最善の本文を提供。

■勘仲記とは
藤原(広橋)兼仲(一二四四—一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。
 本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。

【目次】
【所収】正応5年(1292)11月~正安3年(1301)11月・補遺/解題(高橋秀樹)
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可 適格請求
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂 、八木書店 、2025年 、344頁 、A5判
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます 蒙古襲来前後の朝廷の様子や、持明院・大覚寺両統迭立など、重要な事件を目撃した実務官人の克明な記録を自筆本により翻刻 【内容説明】 ■史料纂集本勘仲記の特長 ●自筆本を底本とする最善の本文を提供。 ●断簡や逸文、日記本文が現存しない部分の日記目録も収録。 ●墨継ぎや文字間隔、追筆・挿入・抹消に見られる兼仲の筆録意識を読み取るなど、最新の研究成果に基づく、最善の本文を提供。 ■勘仲記とは 藤原(広橋)兼仲(一二四四—一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。  本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。 【目次】 【所収】正応5年(1292)11月~正安3年(1301)11月・補遺/解題(高橋秀樹)

史料纂集古記録編219 礼物軌式

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
17,600
徳川林政史研究所編/深井雅海・藤田英昭校訂、八木書店、2023年、234頁
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます

【内容説明】
「礼物軌式」(れいもつきしき)は、尾張徳川家より、幕府への献上物(時献上)の仕立方について、文化13年(1816)時点の情報を図解入りでまとめた書である。現存するものは、写本で全5冊。季節ごとに冊が分けられ、春・夏・秋・冬の各1冊ずつと、附録の1冊で全5冊という構成になっている。
序と奥書によれば、成立は文化13年の5月。内容は、春夏秋冬が江戸城の表への献上、附録が江戸城の大奥への献上物について解説が載せられている。序によれば、「調進之法」(献上の作法)は、古式に則り、常に旧録を参照にしてきたが、明暦の大火によって旧録の半分が失われ、口伝で補ってきた。元文年間に不明点を調査し、一書にまとめたが、さらに異同を正し脱漏を補ったものが「礼物軌式」である。さらに奥書によれば、編纂者の5名(小倉六兵・竹村逸平・鬼頭長十郎・武藤与一郎・生駒斧三郎)は、いずれも尾張藩士であった。
【解題】
「礼物軌式」の概要 髙橋喜子
「礼物軌式」に見る献上品調達と江戸 宮澤歩美
「礼物軌式」にみられる知多郡師崎村の産物 萱田寛也
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17,600
徳川林政史研究所編/深井雅海・藤田英昭校訂 、八木書店 、2023年 、234頁
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます 【内容説明】 「礼物軌式」(れいもつきしき)は、尾張徳川家より、幕府への献上物(時献上)の仕立方について、文化13年(1816)時点の情報を図解入りでまとめた書である。現存するものは、写本で全5冊。季節ごとに冊が分けられ、春・夏・秋・冬の各1冊ずつと、附録の1冊で全5冊という構成になっている。 序と奥書によれば、成立は文化13年の5月。内容は、春夏秋冬が江戸城の表への献上、附録が江戸城の大奥への献上物について解説が載せられている。序によれば、「調進之法」(献上の作法)は、古式に則り、常に旧録を参照にしてきたが、明暦の大火によって旧録の半分が失われ、口伝で補ってきた。元文年間に不明点を調査し、一書にまとめたが、さらに異同を正し脱漏を補ったものが「礼物軌式」である。さらに奥書によれば、編纂者の5名(小倉六兵・竹村逸平・鬼頭長十郎・武藤与一郎・生駒斧三郎)は、いずれも尾張藩士であった。 【解題】 「礼物軌式」の概要 髙橋喜子 「礼物軌式」に見る献上品調達と江戸 宮澤歩美 「礼物軌式」にみられる知多郡師崎村の産物 萱田寛也

史料纂集古記録編226 花月日記6 初版

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂、八木書店、2025年、312頁、A5、1冊
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます

「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻!
【内容説明】
江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。
 「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。
 退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。
 日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。
【目次】
【所収】文政9年(1826)正月~文政11年(1828)12月・解題
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可 適格請求
18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂 、八木書店 、2025年 、312頁 、A5 、1冊
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます 「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻! 【内容説明】 江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。  「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。  退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。  日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。 【目次】 【所収】文政9年(1826)正月~文政11年(1828)12月・解題

史料纂集古記録編220 花月日記5

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂、八木書店、2024年、312頁、1
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます

「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻!
【内容説明】
江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。
 「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。
 退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。
 日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。
【目次】
【所収】文政5年(1822)正月~文政8年(1825)12月
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18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂 、八木書店 、2024年 、312頁 、1
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます 「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻! 【内容説明】 江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。  「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。  退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。  日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。 【目次】 【所収】文政5年(1822)正月~文政8年(1825)12月

史料纂集古記録編216 花月日記4

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂、八木書店、2023年、328頁、A5判、1冊
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます

「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻!
【内容説明】
江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。
 「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。
 退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。
 日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。
【所収】文化15年(1818)正月~文政4年(1821)12月
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18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂 、八木書店 、2023年 、328頁 、A5判 、1冊
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます 「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻! 【内容説明】 江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。  「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。  退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。  日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。 【所収】文化15年(1818)正月~文政4年(1821)12月

渡海僧がみた宋代中国■参天台五臺山記を読む■

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
4,950
森 公章著、八木書店、令7、1冊
平安時代の僧が書いた旅日記を読み解き、約1000年前の中国や旅の様子を知る!
中国に渡航し、聖地である天台山・五臺山を巡礼した平安時代の天台僧・成尋の旅日記『参天台五臺山記』。470日間書き続けられた日記を読解・解説し、当時の風俗・習慣・食生活・動植物・交通事情・旅の様子を知る。

【内容説明】
①470日連続して記された旅日記『参天台五臺山記』の世界
 延久4・5年(1072・1073)、中国に渡航し、天台宗の本山である天台山や文殊信仰の聖地、五臺山を巡礼した平安時代の天台僧・成尋60歳の旅日記『参天台五臺山記』。470日間欠かさず書き続けられた日記をわかりやすい文体で読み解き、当時の旅を体感する。
②克明に記された北宋中国の風俗・文化を知る
 『参天台五臺山記』には仏教関係のみならず、宋代中国で最も充実した神宗期(在位1067~1085)の政治・経済・社会・文化などの見聞が記録される。さらに風俗・習慣・食生活・動植物までもが詳細に書かれており、約1,000年前の宋代中国の様子を知ることができる。
③平安時代の天台僧が過ごした旅の日常を知る
 『参天台五臺山記』には、中国の水陸交通や、毎日の金銭の収支・物価までもが克明に記されており、平安時代の旅がどのように行われたのかを知ることができる。
④図版を交え、原点史料を読む醍醐味を知る
 著者は史料纂集古記録編『参天台五臺山記』第一・第二(八木書店、2023年)の校訂を担当。その最新の研究成果を踏まえ、図版を交えて、生き生きと描かれた旅日記を読み解く。

#八木書店出版物/-/-
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4,950
森 公章著 、八木書店 、令7 、1冊
平安時代の僧が書いた旅日記を読み解き、約1000年前の中国や旅の様子を知る! 中国に渡航し、聖地である天台山・五臺山を巡礼した平安時代の天台僧・成尋の旅日記『参天台五臺山記』。470日間書き続けられた日記を読解・解説し、当時の風俗・習慣・食生活・動植物・交通事情・旅の様子を知る。 【内容説明】 ①470日連続して記された旅日記『参天台五臺山記』の世界  延久4・5年(1072・1073)、中国に渡航し、天台宗の本山である天台山や文殊信仰の聖地、五臺山を巡礼した平安時代の天台僧・成尋60歳の旅日記『参天台五臺山記』。470日間欠かさず書き続けられた日記をわかりやすい文体で読み解き、当時の旅を体感する。 ②克明に記された北宋中国の風俗・文化を知る  『参天台五臺山記』には仏教関係のみならず、宋代中国で最も充実した神宗期(在位1067~1085)の政治・経済・社会・文化などの見聞が記録される。さらに風俗・習慣・食生活・動植物までもが詳細に書かれており、約1,000年前の宋代中国の様子を知ることができる。 ③平安時代の天台僧が過ごした旅の日常を知る  『参天台五臺山記』には、中国の水陸交通や、毎日の金銭の収支・物価までもが克明に記されており、平安時代の旅がどのように行われたのかを知ることができる。 ④図版を交え、原点史料を読む醍醐味を知る  著者は史料纂集古記録編『参天台五臺山記』第一・第二(八木書店、2023年)の校訂を担当。その最新の研究成果を踏まえ、図版を交えて、生き生きと描かれた旅日記を読み解く。 #八木書店出版物/-/-

〔OD版〕史料纂集古記録編 第8回配本 言国卿記1

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
9,900
豊田武・飯倉晴武校訂、八木書店、2023年、294頁、A5判、1
【新刊書の定価販売です】
※こちらの商品は、受注生産となっておりますので、印刷期間を含めてお届けまで1~2週間程度お時間をいただきます。また、受注生産の性質上、キャンセルをお受けできませんのでご了承ください。

【内容説明】
山科言国(一四五二*一五〇三)の日記。言国は言継の祖父で言経の曽祖父。山科家は、音楽の家として知られ、また教言以来、代々内蔵頭を兼ねる家である。その日記・記録は、職掌関係や音楽の記事に詳しく、所領関係のものも多く含まれる。日次記は文明六年(一四七四)から文亀二年(一五〇二)まで現存し、応仁・文明の乱から戦国初期にかけての京都情勢にも多く筆を費している。

〔収録範囲〕
1474〔文明6〕~1475〔文明7〕
○足利義政義尚年始の参内
○公卿幕府に参賀義政対面せず
○言国坂本へ下向
○山門軍勢出陣の風説
○言国等坂本浜へ退避
○延暦寺僧徒と杉生坊と合戦あり
○義政小河の新第に移徙
○禁裏へ梅の枝進上
○日野富子参内貝覆い
○足利義政第にて伏見宮邦高親王元朊
○言国山吊政豊に太刀を贈る
○言国隆憲に古今和歌集を返す
○地蔵縁起絵詞
○義政女入江殿寂す
○東軍の足軽其外大吊勢土岐の在所等を焼払う
○西軍西京を焼く
○言国書写の古今集を冷泉本にて校合
○関所通過の過書を乞う
○言国禁裏より御器旅寝を借る
○大沢久守ら浜の弁財天に参る
○織手方より薬玉の糸進上さる
○言国双調楽を習う
○西軍奈良に攻入るも白鹿陣中に駆入り敗軍す
○言国立花
○御記の虫払
○義尚猿楽を催す
○山吊政豊細川政元と講和
○勝仁親王方に浄土双六あり
○鎌倉府より刀黄金進上
○義政邸にて小笠原政清蟇目射儀を行い狐妖を払う
○禁裏に放火あり
○橘通任諸国絵図を書写す
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〔OD版〕史料纂集古記録編 第8回配本 言国卿記1

9,900
豊田武・飯倉晴武校訂 、八木書店 、2023年 、294頁 、A5判 、1
【新刊書の定価販売です】 ※こちらの商品は、受注生産となっておりますので、印刷期間を含めてお届けまで1~2週間程度お時間をいただきます。また、受注生産の性質上、キャンセルをお受けできませんのでご了承ください。 【内容説明】 山科言国(一四五二*一五〇三)の日記。言国は言継の祖父で言経の曽祖父。山科家は、音楽の家として知られ、また教言以来、代々内蔵頭を兼ねる家である。その日記・記録は、職掌関係や音楽の記事に詳しく、所領関係のものも多く含まれる。日次記は文明六年(一四七四)から文亀二年(一五〇二)まで現存し、応仁・文明の乱から戦国初期にかけての京都情勢にも多く筆を費している。 〔収録範囲〕 1474〔文明6〕~1475〔文明7〕 ○足利義政義尚年始の参内 ○公卿幕府に参賀義政対面せず ○言国坂本へ下向 ○山門軍勢出陣の風説 ○言国等坂本浜へ退避 ○延暦寺僧徒と杉生坊と合戦あり ○義政小河の新第に移徙 ○禁裏へ梅の枝進上 ○日野富子参内貝覆い ○足利義政第にて伏見宮邦高親王元朊 ○言国山吊政豊に太刀を贈る ○言国隆憲に古今和歌集を返す ○地蔵縁起絵詞 ○義政女入江殿寂す ○東軍の足軽其外大吊勢土岐の在所等を焼払う ○西軍西京を焼く ○言国書写の古今集を冷泉本にて校合 ○関所通過の過書を乞う ○言国禁裏より御器旅寝を借る ○大沢久守ら浜の弁財天に参る ○織手方より薬玉の糸進上さる ○言国双調楽を習う ○西軍奈良に攻入るも白鹿陣中に駆入り敗軍す ○言国立花 ○御記の虫払 ○義尚猿楽を催す ○山吊政豊細川政元と講和 ○勝仁親王方に浄土双六あり ○鎌倉府より刀黄金進上 ○義政邸にて小笠原政清蟇目射儀を行い狐妖を払う ○禁裏に放火あり ○橘通任諸国絵図を書写す

〔OD版〕史料纂集古記録編 第149回配本 勘仲記1 

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
11,000
高橋秀樹・櫻井彦・中込律子校訂、八木書店、2023年、306頁、A5判、1冊
【新刊書の定価販売です】
※こちらの商品は、受注生産となっておりますので、印刷期間を含めてお届けまで1~2週間程度お時間をいただきます。また、受注生産の性質上、キャンセルをお受けできませんのでご了承ください。

【内容説明】
■勘仲記とは
藤原(広橋)兼仲(一二四四—一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。国立歴史民俗博物館に自筆本九十巻が所蔵されているほか、若干の断簡や逸文が伝わっている。日野流の広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の 『民経記』など、代々日記を残した。
 本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。
 とりわけ二度の蒙古襲来とその前後の京都の状況を知る重要な記事を多く含み、朝廷・寺社がこの事態にいかに対処したかを看取できる。

■藤原兼仲
父は経光、母は藤原親実の女。正嘉二年(一二五七)十四歳で叙爵し、治部少輔や摂関家の政所別当などを勤めた。兄兼頼が弘安三年(一二八〇)死去した後、家を継いで四十一歳で蔵人となり、弁官や亀山上皇の院司にもなった。正応五年(一二九二)に蔵人頭から参議となって公卿に列し、永仁元年(一二九三)には権中納言となったが、翌年、これを辞し、延慶元年(一三〇八)六十五歳で死去した。

〔収録範囲〕
①1274年〔文永11〕~1277年〔建治3〕
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可 適格請求
11,000
高橋秀樹・櫻井彦・中込律子校訂 、八木書店 、2023年 、306頁 、A5判 、1冊
【新刊書の定価販売です】 ※こちらの商品は、受注生産となっておりますので、印刷期間を含めてお届けまで1~2週間程度お時間をいただきます。また、受注生産の性質上、キャンセルをお受けできませんのでご了承ください。 【内容説明】 ■勘仲記とは 藤原(広橋)兼仲(一二四四—一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。国立歴史民俗博物館に自筆本九十巻が所蔵されているほか、若干の断簡や逸文が伝わっている。日野流の広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の 『民経記』など、代々日記を残した。  本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。  とりわけ二度の蒙古襲来とその前後の京都の状況を知る重要な記事を多く含み、朝廷・寺社がこの事態にいかに対処したかを看取できる。 ■藤原兼仲 父は経光、母は藤原親実の女。正嘉二年(一二五七)十四歳で叙爵し、治部少輔や摂関家の政所別当などを勤めた。兄兼頼が弘安三年(一二八〇)死去した後、家を継いで四十一歳で蔵人となり、弁官や亀山上皇の院司にもなった。正応五年(一二九二)に蔵人頭から参議となって公卿に列し、永仁元年(一二九三)には権中納言となったが、翌年、これを辞し、延慶元年(一三〇八)六十五歳で死去した。 〔収録範囲〕 ①1274年〔文永11〕~1277年〔建治3〕

史料纂集古記録編 第225回配本 平戸記2

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
17,600
奈良中世日記研究会校訂(丹生谷哲一・生駒孝臣・岩田慎平・大島佳代・高正樹・斎木涼子・曽我部愛・吉江崇・・・
『吾妻鏡』の欠落を補う、鎌倉時代史研究の基本史料!
承久の乱後、朝幕関係の転換期を生きた廷臣の日記

【内容説明】
〔『平戸記』とは〕
平経高(1180-1255)の日記。姓の「平」と民部卿の唐名である「戸部尚書」の「戸」から『平戸記』と呼ばれ、『経高卿記』とも称される。
平経高は治承4年(1180)、桓武平氏高棟流の平行範の子として生まれた。はじめ吉田経房の猶子となるが、のち復姓し蔵人、弁官を経て元仁元年(1224)45歳にして従三位に叙され、公卿となる。建長7年(1255)、76歳で薨ずるまで八朝(後鳥羽~後深草天皇)に仕え、博学にして故実に通じ、関白九条道家の側近の一人である。
現在、延応2(仁治元)・仁治3年、寛元2・3年の写本と部類記などに引用された逸文が伝存する。

〔本書の特長〕
①底本に古写本を採用した最良のテキストを提供
『平戸記』の自筆原本はなく、南北朝期の書写と推定される伏見宮本、「明暦」の印記をもつ東山御文庫所蔵本(新写本)を主たる底本として翻刻・校訂を行った。長らく「史料大成」本が使用されてきたが、古写本を底本としていないという現況に鑑み、今回新たに諸写本を調査した上で校合を施した。また、標出(内容の要約)を付して読解の便宜を図った。
②鎌倉時代の研究に不可欠の第一級の史料
『平戸記』には鎌倉幕府の基本文献である『吾妻鏡』で欠落する仁治3年の記事が収録されている。記主の経高は、承久の乱後の親幕府派に信任され、朝廷の政務や故実に通じた人物として人々から一目置かれていた。そのため、本書は公武に関わる記事に富む。

【目次】
【所収】仁治3年(1242)10月~寛元3年(1245)3月

#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
17,600
奈良中世日記研究会校訂(丹生谷哲一・生駒孝臣・岩田慎平・大島佳代・高正樹・斎木涼子・曽我部愛・吉江崇) 、八木書店 、令7 、1冊
『吾妻鏡』の欠落を補う、鎌倉時代史研究の基本史料! 承久の乱後、朝幕関係の転換期を生きた廷臣の日記 【内容説明】 〔『平戸記』とは〕 平経高(1180-1255)の日記。姓の「平」と民部卿の唐名である「戸部尚書」の「戸」から『平戸記』と呼ばれ、『経高卿記』とも称される。 平経高は治承4年(1180)、桓武平氏高棟流の平行範の子として生まれた。はじめ吉田経房の猶子となるが、のち復姓し蔵人、弁官を経て元仁元年(1224)45歳にして従三位に叙され、公卿となる。建長7年(1255)、76歳で薨ずるまで八朝(後鳥羽~後深草天皇)に仕え、博学にして故実に通じ、関白九条道家の側近の一人である。 現在、延応2(仁治元)・仁治3年、寛元2・3年の写本と部類記などに引用された逸文が伝存する。 〔本書の特長〕 ①底本に古写本を採用した最良のテキストを提供 『平戸記』の自筆原本はなく、南北朝期の書写と推定される伏見宮本、「明暦」の印記をもつ東山御文庫所蔵本(新写本)を主たる底本として翻刻・校訂を行った。長らく「史料大成」本が使用されてきたが、古写本を底本としていないという現況に鑑み、今回新たに諸写本を調査した上で校合を施した。また、標出(内容の要約)を付して読解の便宜を図った。 ②鎌倉時代の研究に不可欠の第一級の史料 『平戸記』には鎌倉幕府の基本文献である『吾妻鏡』で欠落する仁治3年の記事が収録されている。記主の経高は、承久の乱後の親幕府派に信任され、朝廷の政務や故実に通じた人物として人々から一目置かれていた。そのため、本書は公武に関わる記事に富む。 【目次】 【所収】仁治3年(1242)10月~寛元3年(1245)3月 #八木書店出版物/-/-

史料纂集古記録編 第224回配本 鍋島直郷参府記

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
165,000
井上敏幸・進藤康子校訂、八木書店、令7、1冊
享保から宝暦への大きな変革の時代、
江戸の文芸と政治を記した文人大名・鍋島直郷の随筆

【内容説明】
本書は肥前鹿島藩第6代藩主鍋島直郷(1718~1770)の随筆を翻刻し、注釈を加えたもので、巻頭に原本全文のモノクロ影印を収録する。原題は『席珍』(鹿島市民図書館蔵)である。
直郷は、祖父の第4代藩主直條の文事を継承すべく、広く学問、詩歌の道に励んだ文人大名として知られる。
『席珍』は延享元年(1744)5月に鹿島を出て延享4年6月に戻るまで、また翌年の寛延元年(1748)に江戸へ登った春までの参勤交代の間を記録する。原本はほぼ直郷の自筆で、多岐に渡る直郷の文事情報収集の跡を辿ることができる貴重なものである。

〔さまざまな文事活動の記録〕
勅使烏丸光栄・冷泉為村を迎えた江戸歌壇の様子や、長幸寺の亨弁、長泉寺の大邑通仙など寺のサロンに属する文人たち、肥前鹿島祐徳院ゆかりの者たちとの交流が書き留められている。
また琉球国和歌宗匠や寛延元年の朝鮮通信使の姓名を書写するなど、『席珍』からは直郷の文事への強い意欲と多岐にわたる情報網が知られる。

〔直郷がみた江戸の「当時」〕
直郷は江戸滞在中、吉宗還暦の祝いや将軍の代替わりにかかわる行事、桃園天皇の即位、宝暦事件前の栄華の様子などを記し、政治の目まぐるしい動きを注視していた様子がうかがえる。

本書は、文人大名・鍋島直郷が、享保から宝暦への大きな時代の変革の様相を、その中心地である江戸において写し取った随筆であり、日本近世史・近世文学史にとって新見に■がる要素が多々含まれている。

【目次】
影印編
翻刻編(翻刻・脚注)

〔解題〕
書誌/『席珍』の概要(進藤康子)
文人大名鍋島直郷(井上敏幸)

#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
165,000
井上敏幸・進藤康子校訂 、八木書店 、令7 、1冊
享保から宝暦への大きな変革の時代、 江戸の文芸と政治を記した文人大名・鍋島直郷の随筆 【内容説明】 本書は肥前鹿島藩第6代藩主鍋島直郷(1718~1770)の随筆を翻刻し、注釈を加えたもので、巻頭に原本全文のモノクロ影印を収録する。原題は『席珍』(鹿島市民図書館蔵)である。 直郷は、祖父の第4代藩主直條の文事を継承すべく、広く学問、詩歌の道に励んだ文人大名として知られる。 『席珍』は延享元年(1744)5月に鹿島を出て延享4年6月に戻るまで、また翌年の寛延元年(1748)に江戸へ登った春までの参勤交代の間を記録する。原本はほぼ直郷の自筆で、多岐に渡る直郷の文事情報収集の跡を辿ることができる貴重なものである。 〔さまざまな文事活動の記録〕 勅使烏丸光栄・冷泉為村を迎えた江戸歌壇の様子や、長幸寺の亨弁、長泉寺の大邑通仙など寺のサロンに属する文人たち、肥前鹿島祐徳院ゆかりの者たちとの交流が書き留められている。 また琉球国和歌宗匠や寛延元年の朝鮮通信使の姓名を書写するなど、『席珍』からは直郷の文事への強い意欲と多岐にわたる情報網が知られる。 〔直郷がみた江戸の「当時」〕 直郷は江戸滞在中、吉宗還暦の祝いや将軍の代替わりにかかわる行事、桃園天皇の即位、宝暦事件前の栄華の様子などを記し、政治の目まぐるしい動きを注視していた様子がうかがえる。 本書は、文人大名・鍋島直郷が、享保から宝暦への大きな時代の変革の様相を、その中心地である江戸において写し取った随筆であり、日本近世史・近世文学史にとって新見に■がる要素が多々含まれている。 【目次】 影印編 翻刻編(翻刻・脚注) 〔解題〕 書誌/『席珍』の概要(進藤康子) 文人大名鍋島直郷(井上敏幸) #八木書店出版物/-/-

〔OD版〕史料纂集古記録編 第45回配本 三藐院記

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
8,800
近衛通隆・名和修・橋本政宣校訂、八木書店、2023年、242頁、1冊
【新刊書の定価販売です】
※こちらの商品は、受注生産となっておりますので、印刷期間を含めてお届けまで1~2週間程度お時間をいただきます。また、受注生産の性質上、キャンセルをお受けできませんのでご了承ください。


【内容説明】
近衛家第十七代、関白信尹(一五六五−一六一四)の日記。信尹が左大臣となったのが天正十三年、秀吉の権勢が確立した時期であった。直情径行にして、秀吉の征韓に従わんとして勅勘を蒙り薩摩に配せられた。本記には、この下向記をはじめ、天正十八年より慶長十五年までの自筆日記を収める。当時の政情のみならず、書道・和歌・連歌等文化史の資料としても興味深いものがある。

〔収録範囲〕
1592〔文禄元〕~1606〔慶長11〕
○勅勘を蒙り薩摩坊津に流さる
○島津忠恒と幽斎見送る
○薩摩山川着
○唐船を見物す
○長旅なりしも皆々恙く到着するは歎きの中の歓び
○何かにつけ不如意千万の所
○鹿児島を出船し帰路の途に着く
○曼殊院と松梅院の確執を調停す
○菅原道真七百年忌
○松梅院禅昌碁盤を進む
○里村昌叱より源氏物語の講釈を受く
○秀吉関白たらんとす
○秀吉竜山の猶子とならんとす
○関白はやがて信輔に与奪の条件
○関白の濫觴は一天下を預り申すを言う
○秀吉関白勅許においては万事近衛家の意見を守るべきを約す
○二条昭実関白を辞し秀吉に関白宣下あり
○昭実信輔関白相論三問三答状
○光厳院は当朝の御正流
○秀吉小田原征伐
○秀吉自ら外征の意を決す
○秀吉秀次を養子とす
○秀次左大臣を望み信輔これを遺恨に思う
○前田玄以は公家の作法に不案内
○秀次は若輩無智
○秀吉入唐せんとし京を発す
○東常縁は僧正遍昭の子孫とする説
○後陽成譲位は幕府の援助不要
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可 適格請求
8,800
近衛通隆・名和修・橋本政宣校訂 、八木書店 、2023年 、242頁 、1冊
【新刊書の定価販売です】 ※こちらの商品は、受注生産となっておりますので、印刷期間を含めてお届けまで1~2週間程度お時間をいただきます。また、受注生産の性質上、キャンセルをお受けできませんのでご了承ください。 【内容説明】 近衛家第十七代、関白信尹(一五六五−一六一四)の日記。信尹が左大臣となったのが天正十三年、秀吉の権勢が確立した時期であった。直情径行にして、秀吉の征韓に従わんとして勅勘を蒙り薩摩に配せられた。本記には、この下向記をはじめ、天正十八年より慶長十五年までの自筆日記を収める。当時の政情のみならず、書道・和歌・連歌等文化史の資料としても興味深いものがある。 〔収録範囲〕 1592〔文禄元〕~1606〔慶長11〕 ○勅勘を蒙り薩摩坊津に流さる ○島津忠恒と幽斎見送る ○薩摩山川着 ○唐船を見物す ○長旅なりしも皆々恙く到着するは歎きの中の歓び ○何かにつけ不如意千万の所 ○鹿児島を出船し帰路の途に着く ○曼殊院と松梅院の確執を調停す ○菅原道真七百年忌 ○松梅院禅昌碁盤を進む ○里村昌叱より源氏物語の講釈を受く ○秀吉関白たらんとす ○秀吉竜山の猶子とならんとす ○関白はやがて信輔に与奪の条件 ○関白の濫觴は一天下を預り申すを言う ○秀吉関白勅許においては万事近衛家の意見を守るべきを約す ○二条昭実関白を辞し秀吉に関白宣下あり ○昭実信輔関白相論三問三答状 ○光厳院は当朝の御正流 ○秀吉小田原征伐 ○秀吉自ら外征の意を決す ○秀吉秀次を養子とす ○秀次左大臣を望み信輔これを遺恨に思う ○前田玄以は公家の作法に不案内 ○秀次は若輩無智 ○秀吉入唐せんとし京を発す ○東常縁は僧正遍昭の子孫とする説 ○後陽成譲位は幕府の援助不要

史料纂集古記録編 第218回配本 平戸記1

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
17,600
奈良中世日記研究会校訂(丹生谷哲一・生駒孝臣・岩田慎平・大島佳代・高正樹・斎木涼子・曽我部愛・吉江崇・・・
『吾妻鏡』の欠落を補う、鎌倉時代史研究の基本史料!
承久の乱後、朝幕関係の転換期を生きた廷臣の日記

【内容説明】
〔『平戸記』とは〕
平経高(1180-1255)の日記。姓の「平」と民部卿の唐名である「戸部尚書」の「戸」から『平戸記』と呼ばれ、『経高卿記』とも称される。
平経高は治承4年(1180)、桓武平氏高棟流の平行範の子として生まれた。はじめ吉田経房の猶子となるが、のち復姓し蔵人、弁官を経て元仁元年(1224)45歳にして従三位に叙され、公卿となる。建長7年(1255)、76歳で薨ずるまで八朝(後鳥羽~後深草天皇)に仕え、博学にして故実に通じ、関白九条道家の側近の一人である。
現在、延応2(仁治元)・仁治3年、寛元2・3年の写本と部類記などに引用された逸文が伝存する。

〔本書の特長〕
①底本に古写本を採用した最良のテキストを提供
『平戸記』の自筆原本はなく、南北朝期の書写と推定される伏見宮本、「明暦」の印記をもつ東山御文庫所蔵本(新写本)を主たる底本として翻刻・校訂を行った。長らく「史料大成」本が使用されてきたが、古写本を底本としていないという現況に鑑み、今回新たに諸写本を調査した上で校合を施した。また、標出(内容の要約)を付して読解の便宜を図った。
②鎌倉時代の研究に不可欠の第一級の史料
『平戸記』には鎌倉幕府の基本文献である『吾妻鏡』で欠落する仁治3年の記事が収録されている。記主の経高は、承久の乱後の親幕府派に信任され、朝廷の政務や故実に通じた人物として人々から一目置かれていた。そのため、本書は公武に関わる記事に富む。第1冊には高麗国牒状など外交の記事、仁治改元における年号勘文や除目における聞書など朝廷政務に関わる文書、後嵯峨天皇の即位・大嘗祭の関連記事、関東の鎌倉幕府・京都の九条家の動向に関する記事などが収録されている。

【目次】
【所収】延応2年(1240)正月~仁治3年(1242)9月

#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
17,600
奈良中世日記研究会校訂(丹生谷哲一・生駒孝臣・岩田慎平・大島佳代・高正樹・斎木涼子・曽我部愛・吉江崇) 、八木書店 、令5 、1冊
『吾妻鏡』の欠落を補う、鎌倉時代史研究の基本史料! 承久の乱後、朝幕関係の転換期を生きた廷臣の日記 【内容説明】 〔『平戸記』とは〕 平経高(1180-1255)の日記。姓の「平」と民部卿の唐名である「戸部尚書」の「戸」から『平戸記』と呼ばれ、『経高卿記』とも称される。 平経高は治承4年(1180)、桓武平氏高棟流の平行範の子として生まれた。はじめ吉田経房の猶子となるが、のち復姓し蔵人、弁官を経て元仁元年(1224)45歳にして従三位に叙され、公卿となる。建長7年(1255)、76歳で薨ずるまで八朝(後鳥羽~後深草天皇)に仕え、博学にして故実に通じ、関白九条道家の側近の一人である。 現在、延応2(仁治元)・仁治3年、寛元2・3年の写本と部類記などに引用された逸文が伝存する。 〔本書の特長〕 ①底本に古写本を採用した最良のテキストを提供 『平戸記』の自筆原本はなく、南北朝期の書写と推定される伏見宮本、「明暦」の印記をもつ東山御文庫所蔵本(新写本)を主たる底本として翻刻・校訂を行った。長らく「史料大成」本が使用されてきたが、古写本を底本としていないという現況に鑑み、今回新たに諸写本を調査した上で校合を施した。また、標出(内容の要約)を付して読解の便宜を図った。 ②鎌倉時代の研究に不可欠の第一級の史料 『平戸記』には鎌倉幕府の基本文献である『吾妻鏡』で欠落する仁治3年の記事が収録されている。記主の経高は、承久の乱後の親幕府派に信任され、朝廷の政務や故実に通じた人物として人々から一目置かれていた。そのため、本書は公武に関わる記事に富む。第1冊には高麗国牒状など外交の記事、仁治改元における年号勘文や除目における聞書など朝廷政務に関わる文書、後嵯峨天皇の即位・大嘗祭の関連記事、関東の鎌倉幕府・京都の九条家の動向に関する記事などが収録されている。 【目次】 【所収】延応2年(1240)正月~仁治3年(1242)9月 #八木書店出版物/-/-

史料纂集古記録編 第226回配本 花月日記6

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂、八木書店、令7、1冊
「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻!

【内容説明】
江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。白河藩主致仕の日をもって起筆、以後逝去の前年までの日記。定信の見識を通じての、当代の世情、事件、及び政治・文化面の具体的な記述、様々な人物への評言には、実に興味深いものがある。
 若くして徳川幕府老中首座・将軍補佐となり、「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。
 退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。
 日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。
 なお、「浴恩園」は閉鎖された旧築地市場(東京都中央区)の広大な跡地に眠っている。数十年にわたり地下に埋もれてきたが、都などは東京五輪・パラリンピック後の再開発に伴い、初の発掘調査を検討。庭園の再発見と実態解明に期待が高まっている。

【目次】
【所収】文政9年(1826)正月~文政11年(1828)12月・解題

#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂 、八木書店 、令7 、1冊
「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻! 【内容説明】 江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。白河藩主致仕の日をもって起筆、以後逝去の前年までの日記。定信の見識を通じての、当代の世情、事件、及び政治・文化面の具体的な記述、様々な人物への評言には、実に興味深いものがある。  若くして徳川幕府老中首座・将軍補佐となり、「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。  退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。  日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。  なお、「浴恩園」は閉鎖された旧築地市場(東京都中央区)の広大な跡地に眠っている。数十年にわたり地下に埋もれてきたが、都などは東京五輪・パラリンピック後の再開発に伴い、初の発掘調査を検討。庭園の再発見と実態解明に期待が高まっている。 【目次】 【所収】文政9年(1826)正月~文政11年(1828)12月・解題 #八木書店出版物/-/-

史料纂集古記録編 第220回配本 花月日記5

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂、八木書店、令6、1冊
「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻!

【内容説明】
江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。白河藩主致仕の日をもって起筆、以後逝去の前年までの日記。定信の見識を通じての、当代の世情、事件、及び政治・文化面の具体的な記述、様々な人物への評言には、実に興味深いものがある。
 若くして徳川幕府老中首座・将軍補佐となり、「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。
 退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。
 日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。
 なお、「浴恩園」は閉鎖された旧築地市場(東京都中央区)の広大な跡地に眠っている。数十年にわたり地下に埋もれてきたが、都などは東京五輪・パラリンピック後の再開発に伴い、初の発掘調査を検討。庭園の再発見と実態解明に期待が高まっている。

【目次】
【所収】文政5年(1822)正月~文政8年(1825)12月

#八木書店出版物/-/-
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
18,700
岡嶌偉久子・山根陸宏校訂 、八木書店 、令6 、1冊
「寛政の改革」を断行した老中松平定信の晩年の日記初の全文翻刻! 【内容説明】 江戸幕府老中、松平定信(1758~1829)の晩年の日記。白河藩主致仕の日をもって起筆、以後逝去の前年までの日記。定信の見識を通じての、当代の世情、事件、及び政治・文化面の具体的な記述、様々な人物への評言には、実に興味深いものがある。  若くして徳川幕府老中首座・将軍補佐となり、「寛政の改革」を断行した松平定信が白河藩主致仕の日(文化9年4月6日 55歳)を以て起筆、以後、逝去前年の文政11年末まで書き続けた17年間の日次記がこの『花月日記』である。  退隠後は、住居を江戸築地の藩邸下屋敷「浴恩園」に移し、自ら「楽翁」また「花月翁」と称した。優雅な擬古文でつづられた当『花月日記』の記述の多くは、約2万坪の大庭園「浴恩園」での、四季の花々を愛で、月を賞し、心知れる友と語らう、風流清雅な日々の記といってよい。文中には、その時々に数多の和歌が詠み込まれ、さながら歌日記の態をなしている。定信生前に歌集として版行されたのは『三草集』930余首のみであるが、この『花月日記』に詠み込まれた歌は各年300~400首を超える。  日記中によく登場する人々は子息や娘たち、近親、またごく親しい友人たちである。記述中には幕政に対する批判は厳に慎んでいる。繰り返されているのは当代の御代の豊かさに対する賛辞と感謝である。しかし、やはりその中には、定信自身の思い、考え、また志といったものも、折々に現れてくる。定信の心情が思われる。  なお、「浴恩園」は閉鎖された旧築地市場(東京都中央区)の広大な跡地に眠っている。数十年にわたり地下に埋もれてきたが、都などは東京五輪・パラリンピック後の再開発に伴い、初の発掘調査を検討。庭園の再発見と実態解明に期待が高まっている。 【目次】 【所収】文政5年(1822)正月~文政8年(1825)12月 #八木書店出版物/-/-

史料纂集古記録編224 鍋島直郷参府記 初版

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
16,500
井上敏幸・進藤康子校訂、八木書店、2025年、472頁、A5、1冊
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます

享保から宝暦への大きな変革の時代、
江戸の文芸と政治を記した文人大名・鍋島直郷の随筆

【内容説明】
本書は肥前鹿島藩第6代藩主鍋島直郷(1718~1770)の随筆を翻刻し、注釈を加えたもので、巻頭に原本全文のモノクロ影印を収録する。原題は『席珍』(鹿島市民図書館蔵)である。
直郷は、祖父の第4代藩主直條の文事を継承すべく、広く学問、詩歌の道に励んだ文人大名として知られる。
『席珍』は延享元年(1744)5月に鹿島を出て延享4年6月に戻るまで、また翌年の寛延元年(1748)に江戸へ登った春までの参勤交代の間を記録する。原本はほぼ直郷の自筆で、多岐に渡る直郷の文事情報収集の跡を辿ることができる貴重なものである。

〔さまざまな文事活動の記録〕
勅使烏丸光栄・冷泉為村を迎えた江戸歌壇の様子や、長幸寺の亨弁、長泉寺の大邑通仙など寺のサロンに属する文人たち、肥前鹿島祐徳院ゆかりの者たちとの交流が書き留められている。
また琉球国和歌宗匠や寛延元年の朝鮮通信使の姓名を書写するなど、『席珍』からは直郷の文事への強い意欲と多岐にわたる情報網が知られる。

〔直郷がみた江戸の「当時」〕
直郷は江戸滞在中、吉宗還暦の祝いや将軍の代替わりにかかわる行事、桃園天皇の即位、宝暦事件前の栄華の様子などを記し、政治の目まぐるしい動きを注視していた様子がうかがえる。

本書は、文人大名・鍋島直郷が、享保から宝暦への大きな時代の変革の様相を、その中心地である江戸において写し取った随筆であり、日本近世史・近世文学史にとって新見に繫がる要素が多々含まれている。

【目次】
影印編
翻刻編(翻刻・脚注)

〔解題〕
書誌/『席珍』の概要(進藤康子)
文人大名鍋島直郷(井上敏幸)
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可 適格請求
16,500
井上敏幸・進藤康子校訂 、八木書店 、2025年 、472頁 、A5 、1冊
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます 享保から宝暦への大きな変革の時代、 江戸の文芸と政治を記した文人大名・鍋島直郷の随筆 【内容説明】 本書は肥前鹿島藩第6代藩主鍋島直郷(1718~1770)の随筆を翻刻し、注釈を加えたもので、巻頭に原本全文のモノクロ影印を収録する。原題は『席珍』(鹿島市民図書館蔵)である。 直郷は、祖父の第4代藩主直條の文事を継承すべく、広く学問、詩歌の道に励んだ文人大名として知られる。 『席珍』は延享元年(1744)5月に鹿島を出て延享4年6月に戻るまで、また翌年の寛延元年(1748)に江戸へ登った春までの参勤交代の間を記録する。原本はほぼ直郷の自筆で、多岐に渡る直郷の文事情報収集の跡を辿ることができる貴重なものである。 〔さまざまな文事活動の記録〕 勅使烏丸光栄・冷泉為村を迎えた江戸歌壇の様子や、長幸寺の亨弁、長泉寺の大邑通仙など寺のサロンに属する文人たち、肥前鹿島祐徳院ゆかりの者たちとの交流が書き留められている。 また琉球国和歌宗匠や寛延元年の朝鮮通信使の姓名を書写するなど、『席珍』からは直郷の文事への強い意欲と多岐にわたる情報網が知られる。 〔直郷がみた江戸の「当時」〕 直郷は江戸滞在中、吉宗還暦の祝いや将軍の代替わりにかかわる行事、桃園天皇の即位、宝暦事件前の栄華の様子などを記し、政治の目まぐるしい動きを注視していた様子がうかがえる。 本書は、文人大名・鍋島直郷が、享保から宝暦への大きな時代の変革の様相を、その中心地である江戸において写し取った随筆であり、日本近世史・近世文学史にとって新見に繫がる要素が多々含まれている。 【目次】 影印編 翻刻編(翻刻・脚注) 〔解題〕 書誌/『席珍』の概要(進藤康子) 文人大名鍋島直郷(井上敏幸)

史料纂集古記録編218 平戸記1

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
17,600
奈良中世日記研究会校訂(丹生谷哲一・生駒孝臣・岩田慎平・大島佳代・高正樹・斎木涼子・曽我部愛・吉江崇・・・
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます

『吾妻鏡』の欠落を補う、鎌倉時代史研究の基本史料!
承久の乱後、朝幕関係の転換期を生きた廷臣の日記
【内容説明】
〔『平戸記』とは〕
平経高(1180-1255)の日記。姓の「平」と民部卿の唐名である「戸部尚書」の「戸」から『平戸記』と呼ばれ、『経高卿記』とも称される。
平経高は治承4年(1180)、桓武平氏高棟流の平行範の子として生まれた。はじめ吉田経房の猶子となるが、のち復姓し蔵人、弁官を経て元仁元年(1224)45歳にして従三位に叙され、公卿となる。建長7年(1255)、76歳で薨ずるまで八朝(後鳥羽~後深草天皇)に仕え、博学にして故実に通じ、関白九条道家の側近の一人である。
現在、延応2(仁治元)・仁治3年、寛元2・3年の写本と部類記などに引用された逸文が伝存する。

〔本書の特長〕
①底本に古写本を採用した最良のテキストを提供
『平戸記』の自筆原本はなく、南北朝期の書写と推定される伏見宮本、「明暦」の印記をもつ東山御文庫所蔵本(新写本)を主たる底本として翻刻・校訂を行った。長らく「史料大成」本が使用されてきたが、古写本を底本としていないという現況に鑑み、今回新たに諸写本を調査した上で校合を施した。また、標出(内容の要約)を付して読解の便宜を図った。
②鎌倉時代の研究に不可欠の第一級の史料
『平戸記』には鎌倉幕府の基本文献である『吾妻鏡』で欠落する仁治3年の記事が収録されている。記主の経高は、承久の乱後の親幕府派に信任され、朝廷の政務や故実に通じた人物として人々から一目置かれていた。そのため、本書は公武に関わる記事に富む。第1冊には高麗国牒状など外交の記事、仁治改元における年号勘文や除目における聞書など朝廷政務に関わる文書、後嵯峨天皇の即位・大嘗祭の関連記事、関東の鎌倉幕府・京都の九条家の動向に関する記事などが収録されている。
【所収】延応2年(1240)正月~仁治3年(1242)9月
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17,600
奈良中世日記研究会校訂(丹生谷哲一・生駒孝臣・岩田慎平・大島佳代・高正樹・斎木涼子・曽我部愛・吉江崇) 、八木書店 、2023年 、330頁 、A5判 、1冊
【新刊書の定価販売です】※発送まで1~3営業日お時間いただきます 『吾妻鏡』の欠落を補う、鎌倉時代史研究の基本史料! 承久の乱後、朝幕関係の転換期を生きた廷臣の日記 【内容説明】 〔『平戸記』とは〕 平経高(1180-1255)の日記。姓の「平」と民部卿の唐名である「戸部尚書」の「戸」から『平戸記』と呼ばれ、『経高卿記』とも称される。 平経高は治承4年(1180)、桓武平氏高棟流の平行範の子として生まれた。はじめ吉田経房の猶子となるが、のち復姓し蔵人、弁官を経て元仁元年(1224)45歳にして従三位に叙され、公卿となる。建長7年(1255)、76歳で薨ずるまで八朝(後鳥羽~後深草天皇)に仕え、博学にして故実に通じ、関白九条道家の側近の一人である。 現在、延応2(仁治元)・仁治3年、寛元2・3年の写本と部類記などに引用された逸文が伝存する。 〔本書の特長〕 ①底本に古写本を採用した最良のテキストを提供 『平戸記』の自筆原本はなく、南北朝期の書写と推定される伏見宮本、「明暦」の印記をもつ東山御文庫所蔵本(新写本)を主たる底本として翻刻・校訂を行った。長らく「史料大成」本が使用されてきたが、古写本を底本としていないという現況に鑑み、今回新たに諸写本を調査した上で校合を施した。また、標出(内容の要約)を付して読解の便宜を図った。 ②鎌倉時代の研究に不可欠の第一級の史料 『平戸記』には鎌倉幕府の基本文献である『吾妻鏡』で欠落する仁治3年の記事が収録されている。記主の経高は、承久の乱後の親幕府派に信任され、朝廷の政務や故実に通じた人物として人々から一目置かれていた。そのため、本書は公武に関わる記事に富む。第1冊には高麗国牒状など外交の記事、仁治改元における年号勘文や除目における聞書など朝廷政務に関わる文書、後嵯峨天皇の即位・大嘗祭の関連記事、関東の鎌倉幕府・京都の九条家の動向に関する記事などが収録されている。 【所収】延応2年(1240)正月~仁治3年(1242)9月

史料纂集古記録編 第211回配本 勘仲記7 1288年〔正応元年〕10月~1282年〔同五年〕 211

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂、八木書店、2021年、250頁、A5判、1冊
【新刊書の定価販売です】 ※発送まで1~3営業日お時間いただきます
蒙古襲来前後の朝廷の様子や、持明院・大覚寺両統迭立など、重要な事件を目撃した実務官人の克明な記録を自筆本により翻刻

【内容説明】
■史料纂集本勘仲記の特長
●自筆本を底本とする最善の本文を提供。
●断簡や逸文、日記本文が現存しない部分の日記目録も収録。
●墨継ぎや文字間隔、追筆・挿入・抹消に見られる兼仲の筆録意識を読み取るなど、最新の研究成果に基づく、最善の本文を提供。


■勘仲記とは
藤原(広橋)兼仲(一二四四—一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。
 本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。


■勘仲記7の紹介
本冊には、正応元年(一二八八)十月から同五年(一二九二)九月までを収録しました。正応二年七月・九月、同四年十月の記事や正応四年・同五年の目録は、今回初めての翻刻となります。
この間の朝幕関係の特筆すべき記事として、鎌倉の宮将軍の交代劇があります。正応二年九月、幕府は朝廷に使者を遣わし、将軍惟康親王の帰京と後深草上皇皇子の将軍就任を申し入れてきます(同九日条)。後深草上皇がこれを受け容れたことで、久明親王の立親王の儀が執り行われ(十月一日条)、続いて元服(六日条)、征夷大将軍宣下(九日条)があり、翌日、六波羅より鎌倉に発ちました。
正応二年、記主の兼仲は、蔵人頭所望を後深草上皇と関白藤原家基に申し入れました(正応二年十月十五日条)。しかし、左中弁に転じ(同十七日条)、正応三年には右大弁、さらに左大弁となりますが、正応四年まで蔵人頭になることはできませんでした。
一方、兼仲は、正応五年、藤原資宣の出家・死去により日野流藤原氏の氏長者となり、氏寺日野法界寺で行われた日野八講を主催しました(九月二十三日条)。

【目次】
【所収】正応元年(1288)10月~正応5年(1292)9月
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可 適格請求
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂 、八木書店 、2021年 、250頁 、A5判 、1冊
【新刊書の定価販売です】 ※発送まで1~3営業日お時間いただきます 蒙古襲来前後の朝廷の様子や、持明院・大覚寺両統迭立など、重要な事件を目撃した実務官人の克明な記録を自筆本により翻刻 【内容説明】 ■史料纂集本勘仲記の特長 ●自筆本を底本とする最善の本文を提供。 ●断簡や逸文、日記本文が現存しない部分の日記目録も収録。 ●墨継ぎや文字間隔、追筆・挿入・抹消に見られる兼仲の筆録意識を読み取るなど、最新の研究成果に基づく、最善の本文を提供。 ■勘仲記とは 藤原(広橋)兼仲(一二四四—一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。  本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。 ■勘仲記7の紹介 本冊には、正応元年(一二八八)十月から同五年(一二九二)九月までを収録しました。正応二年七月・九月、同四年十月の記事や正応四年・同五年の目録は、今回初めての翻刻となります。 この間の朝幕関係の特筆すべき記事として、鎌倉の宮将軍の交代劇があります。正応二年九月、幕府は朝廷に使者を遣わし、将軍惟康親王の帰京と後深草上皇皇子の将軍就任を申し入れてきます(同九日条)。後深草上皇がこれを受け容れたことで、久明親王の立親王の儀が執り行われ(十月一日条)、続いて元服(六日条)、征夷大将軍宣下(九日条)があり、翌日、六波羅より鎌倉に発ちました。 正応二年、記主の兼仲は、蔵人頭所望を後深草上皇と関白藤原家基に申し入れました(正応二年十月十五日条)。しかし、左中弁に転じ(同十七日条)、正応三年には右大弁、さらに左大弁となりますが、正応四年まで蔵人頭になることはできませんでした。 一方、兼仲は、正応五年、藤原資宣の出家・死去により日野流藤原氏の氏長者となり、氏寺日野法界寺で行われた日野八講を主催しました(九月二十三日条)。 【目次】 【所収】正応元年(1288)10月~正応5年(1292)9月

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