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鉄道業務研究資料 1卷1號 (昭17.4)-2巻2号 (昭18.1) 不揃15冊+業務研究資料索引(第2巻附録)
尾崎喜八詩稿 4篇
円地文子書簡
放送史編集資料 9冊
「新月会」 公演番組類七点
歐洲殊に露西亞に於ける東洋研究史 復刻版
紀元二千六百年記念宮城外苑整備事業関係資料一括
台湾総督府臨時情報部 部報 第1巻~第4巻 創刊號 【復刻版】
歌舞伎座パンフレット 大正9年2月~昭和19年1月興行内112冊
[仮題] 昭和戦前期 土地区画整理事業冊子資料ファイル <以下7冊綴>
稲取町立静岡県稲取実業学校 校舎新築工事資料
名古屋鉄道局甲府運輸事務所~甲府管理部 管内資料一括
信翁刀剣随筆
伊那電車軌道株式会社/伊那電気鉄道株式会社 株主配布資料一括
[仮題] 駒澤町野澤土地区画整理組合 設計及び起案書類綴
[仮題] 鉄道省~鉄道総局 客貨車資料ファイル <約60点収納>
新満洲地誌 再版
林子平傳 日本国防の先覚者 著者 松原晃 出版社 奥川書房 刊行年 昭17年初版 林子平(はやし しへい)元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。諱は友直。のちに六無斎主人と号した。高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。元文3年(1738年)、幕臣岡村良通の次男として江戸に生まれる。父の岡村良通は御書物奉行(620石)として仕えていたが、子平が3歳の頃、故あって浪人の身となり、家族を弟の林従吾(林道明)に預け諸国放浪の旅に出た。子平らは、大名家に往診にも行く開業医であった叔父の従吾のもとで養われる。まもなく、長姉と次姉は仙台藩の江戸屋敷に奉公するようになり、仙台藩5代藩主伊達吉村の侍女として仕えた。次姉のなお(きよ)はその容姿と心ばえが吉村に愛され、やがて6代藩主となる宗村の側室に抜擢され、お清の方と呼ばれるようになった。お清の方は1男1女をもうけた。男子はのちに三河国刈谷藩主土井利信の養嗣子となる土井利置、女子は出雲松江藩主松平治郷の正妻となる方子(青楽院)である。お清の方の縁で、養父の従吾は仙台藩の禄を受けるようになった。従吾の没後、子平の兄の林友諒が封を継ぎ、宝暦6年(1756年)に正式に仙台藩士として150石が下された。同年5月に宗村が死去すると、友諒は家族を引き連れ、仙台川内に移住した。子平は部屋住みの身で妻子は持たなかったが、仙台藩士として生活するようになった。子平はみずからの教育政策や経済政策を藩上層部に進言するが聞き入れられず、禄を返上して藩医であった兄友諒の部屋住みとなり、北は松前から南は長崎まで全国を行脚する。長崎や江戸で学び、大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周、工藤平助らと交友する。ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著し、「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」と喝破して、当時の人びとを驚かせた。『海国兵談』の序を書いたのは、仙台藩医工藤平助であった。また『富国策』では藩の家老佐藤伊賀にあて藩政について説いたが、採用はされなかった。
民法判例評釈〈第3〉
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