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氷魚 : 歌集 <アララギ叢書 ; 第8篇> (ひを) <アララギ叢書 ; 第8篇>
中国美術の研究
年刊詩集 第2(1948年版)
寒竹 : 歌集 <アララギ叢書 ; 第30篇>
現代詩手帖 11(9)
書論 (9)
日本外史新釈
聖将東郷平八郎伝 <偉人伝全集 ; 第19巻>
白秋 第1輯 (年纂二千六百年度作品)
シナリオ : 映画芸術の原点 : Scenarioの月刊誌 24(3)(225)
キネマ旬報 1069号 通巻1883号 1991年11月上旬号
修学院離宮の復原的研究 <奈良国立文化財研究所学報 ; 第2冊>
藝術新潮 1975年12月 第26巻 第12号 <特集① : 解禁「チベット」 ; 特集② : 現代の「細密画」>
日本美術工芸 昭和45年2月 第377号 <聖徳太子孝養画像の変遷>
池大雅名画譜
史実探訪日本冤罪史
住宅建築 1994年3月 第228号 <特集 : 内と外のつながり 結界の意匠>
SD スペースデザイン No.355 1994年4月 <特集 : 堂夢の時感 半過去から半未来へ 木島安史の世界>
藝術新潮 1971年6月号 第22巻 第6号
藝術新潮 昭和28年1月号 第4巻 第1号 <特集 : 日本画壇 梅原龍三郎>
新建築 1999年3月 第74巻 第3号
天平の文化 上・下 再版 再版
横尾忠則グラフィック大全 <署名あり>
部落問題資料文献叢書 第5巻 特殊部落研究 <近代文芸資料複刻叢書 第7集>
海風 : 歌集 <アララギ叢書 ; 第104>
おかあさんあのね2 小学3-4年生の生活と意見
キネマ旬報 1085号通巻1899号 1992年7月上旬号夏の特別号 東宝創立60周年記念特集
白石城著者 片倉信光 出版社 白石市文化財愛護友の会 刊行年 昭57「図録解読」欠 白石で片倉といえば、仙台藩祖伊達政宗の忠臣、小十郎景綱。片倉信光(1909~85)は、白石城主片倉家の15代目に当たる。天正19年(1591)豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与えた。蒲生氏家臣蒲生源左衙門郷成は、白石城を築城し城主となった。慶長3年(1598)上杉領となるや上杉氏家臣甘糟備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。慶長5年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後明治維新まで260余年間片倉氏の居城となった。白石城は標高76メートルの最頂部には本丸・二ノ丸・中ノ丸・西曲輪、中段には沼ノ丸・南ノ丸・巽曲輪・帯曲輪・厩曲輪を置き丘の上に館堀川を巡らし、南は空堀で斤陵を切断、館堀川を隔てた平地には三ノ丸・外曲輪を配置した平山城である。本丸は高さ9メートル余の石垣の上に土塁を囲み三階櫓・巽櫓・坤櫓・大手門・裏三階門を備え、御成御殿・表・奥の諸建物があった。二ノ丸以下はすべて土塁で囲み、木柵をまわした崖を利用する等中世と近世城郭を併用した縄張であった。元和の一国一城令以後も仙台藩は仙台城と白石城の二城が許され、明治維新には奥羽越列藩同盟がこの城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城された。その後按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の変転期には一役を担う重要な城であった。白石城主「片倉氏」初代片倉小十郎景綱は、伊達輝宗(政宗の父)に見出され、梵天丸(後の政宗)の傅役となり、終生政宗につかえました。小田原参陣の時、時期の遅れを説いて秀吉との対決も辞さずとした成実と和平を説いて参陣を主張した景綱の話は有名。
大名列伝 1・2 (武功篇 上・下)
新建築 1992年01月号
落花帚記
武顕戦跡画集
太陽 17巻5号=No.193 (1979年5月) <特集 : 書と文具>
新建築 1994年4月号 1994年4月号(No.69)
群居 33号 ローコスト住宅
近世大名墓の考古学―東アジア文化圏における思想と祭祀
日本廿六聖人殉教記 初版 函欠
禅と音楽 正派邦楽会初代家元中島雅楽之都 著 昭36年初版 函 新思社 初代家元 中島雅楽之都(なかしまうたしと)正派の創始者、初代家元中島雅楽之都は1896(明治29)年3月21日京都に生まれ、6才のときから箏の道に入る。1913(大正2)年長野市において「正派生田流」の名のもとに、本格的に教授活動を始める。看板を掲げるにあたり、善光寺大本願・大宮智栄上人ほか地元の名士たちの後援をうけ、正統な生田流を修行した者であるという意味でつけられたのが 「正派」の名のおこりである。わずか17才の若さで一派をたてた雅楽之都は、7年後には東京に本拠地をうつし、日本各地はもとより旧満州国、蒙古にまで精力的に足を運んで、箏曲の普及に努めた。こうして蒔かれた正派の種は大きく育まれ、やがて全国に多くの幹部を養成する源となり、現在の組織の基盤となっている。一方、雅楽之都は自らも常に研鑚を惜しまずに芸と人格をみがくことに努め、《和歌の浦》《松籟譜》《四方の海》など優れた数々の作品を発表。三弦は熊本まで出向いて長谷幸輝師に師事。ここで同世代の宮城道雄と知り合い、二人の若き箏曲家は熱く芸を語り、生涯の楽友として新しい邦楽界を担っていった。ほか坪内逍遥、山田耕筰、町田佳聲、中尾都山、田辺尚雄などの各氏にも知遇を得、様々な面での教えをうけている。正派は、当時の箏曲界では画期的であった施策を次々と打ち出した。伝統的な口伝教授の限界を感じての公刊楽譜の発行、洋・邦楽理論をふくんだ筆記と実技を平行させた試験による准師範試験の施行、全国組織としての評議員制などであり、これらはその後、年々充実の度を増しながら現在に至り、正派の特色として高い評価をうけている。組織としては、いわゆる「家元制度」の長所を生かしながら、近代社会に対応できるようなあり方が求められるようになり、1956(昭和31)年9月、邦楽団体では初めて文部省より「財団法人正派邦楽会」の認可を受ける。総裁・理事長には初代家元が就任。また初代家元は、世界的視野に立って日本文化の積極的な担い手となる音楽家を育てるための、専門の学校が必要であると長年考えていた。この意図が周囲に理解されて、1959(昭和34)年に正派音楽院が開校され、現在までに多数の優秀な人材を世に送りだしている。
湖東焼の研究
浦上切支丹史
文士の肖像110人
群居 第12号 1986年7月 <特集 : 不法占拠>
近世防長諸家系図綜覧
越後佐渡に於ける順徳天皇聖蹟誌
賭博に関する調査 <司法資料 ; 第121号>
世界の旅 第8 イタリア
「現代思想と政治」 資本主義・精神分析・哲学
吉田清成関係文書六 書類篇2 京都大学史料叢書15
山形県史 資料篇 第7~10 検地帳 上中下・馬見ヶ崎川水利史料
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