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上代文学 = Early Japanese literature 第36号 昭和50年7月
みづゑ No.777 1969年10月 <特集 : 瞑想の宇宙図 チベット>
みづゑ No.769 1969年2月 <特集 : 三科の周辺 大正期の前衛運動>
美術手帖 1959年6月号増刊 No.159 <松方コレクション>
越後の誇り吉川高校醸造科の人々
1_ ニッサングラフ 1969年 2月号 昭和44年 日産 050112
1_ 鉄道ピクトリアル 1969年8月号 昭和44年 227 韓国の鉄道 020164
1_ COM こむ 1969年 3月1日 昭和44年 手塚治虫 山上たつひこ 010121
1_ 昭和名作推理小説 新潮社 平成元年 1969年 5月臨時増刊 210127
甦る昭和脇役名画館
1_ 長谷川修 ふうてん学生の孤独 初版 1969年 昭和44年 100300
1_ 新 ロシヤ語入門 石山正三 1969年 第12刷 昭和44年 岩波 110117
レーモン・アロン回想録 1 政治の誘惑
小山清全集
バーンスタインわが音楽的人生
1_ ニッサングラフ 1969年 1月号 昭和44年 日産 050113
1_ 鉄道ピクトリアル 1969年10月号 昭和44年 東武鉄道1800系誕生 020167
1_ 東北開発の基本構想 東北経済連合会 昭和44年 1969年 020138
1_ 鉄道ピクトリアル 1969年4月号 昭和44年 222 交流電気車 010076
ミース・ファン・デル・ローエ真理を求めて
1_ 世界文学全集 2 ダンテ 神曲 昭和43年 初版 1969年 しおり付 020239
ケルアックズタウン
SD スペースデザイン 1969年12月号 NO.62
ロジカル・ディレンマ ゲーデルの生涯と不完全性定理
ベトナム戦争の記録
日中関係基本資料集 : 1972年‐2008年 財団法人霞山会創立60周年記念出版
1_ 戦史叢書 31 海軍軍戦備 1 昭和十六年十一月まで 防衛庁 付表 揃い 昭和44年 1969年 080090
1_ 鉄道ピクトリアル 1969年11月号 昭和44年 西武鉄道 020166
1_ 月刊漫画 ガロ No.63 昭和44年 1969年 永島慎二 270270
1_ 週刊朝日 1969年8月5日号 昭和44年 070005
花椿 1970年2月 復刊 第236号 涙の特集
1_ 祝福の山 イージーホワイト 昭和44年 1969年 裸本 050035
1_ 南部貨幣史 限定500部 水原庄太郎 昭和44年 1969年 110063
思想 1972年10月号 第580号
「河口慧海への旅」 釈迦生誕地に巡礼した人びと
<ちくま文庫>ボルヘスとわたし : 自撰短篇集
連合赤軍事件を読む年表 : 事件の全貌をこの1冊に凝縮! <オフサイド・ブックス 22>
日中関係基本資料集 : 1972年‐2008年
運輸関係の諸問題に関する特別講演会 (第1回~第3回)
建築 1969年5月 第104号 <倉俣史朗の作品>
モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(13) 加害者に対する清算から被害状況をよむ
自存 上田秋夫詩集 著者 上田秋夫 出版社 啓明社 刊行年 昭和2年初版・函少痛高知県生まれ。詩人。青年期に作家ロマン・ロラン、詩人マルセル・マルチネらと親交を結ぶ。帰高後は詩作とパステル画にうちこむ傍ら、詩壇の選者として後進の育成に尽力。芸術家、人道主義者として精神の高みを求め清雅に生きた。1899(明治32)土佐郡土佐町に生まれる。本名秋夫(ときお)。高知県立第一中学校(現・追手前高等学校)に進学し片山敏彦と学友になる。1925(大正14)東京美術学校木彫部卒業。1926(昭和元)ロマン・ロラン危篤の誤報が掲載された新聞記事を見て、ロランに見舞の電報を打つ。ロランから返信が届き、以後、交流を深めてゆく。1927(昭和2)第1詩集『自存』出版。題名のみ「Ce qui est」と直訳しロランやマルセル・マルチネに送る。1928(昭和3)単身フランスに渡り1年3か月滞欧。ロラン、マルチネほか作家のヴィルドラックやシャトーブリアンらと交流し帰国。1930(昭和5)『マルチネ詩選』翻訳刊行。翌年『続マルチネ詩選』翻訳刊行、詩集『五月柱』、感想集『薔薇窗』を刊行。1932(昭和7)帰高。出版社「新生社」を設立し雑誌「映画高知」「鉱脈」を発行。1936(昭和11)感想集『氷花集』刊行。以後は高知新聞記者となり詩壇の選者として後進の育成に尽力。1969(昭和44)詩と画による個展開催。(「詩画展」はその後も2回開催)1995(平成7)3月22日、土佐市蓮池で死去。96歳。
アメリカにおける政教分離の原則 増補版
政治記者後藤基夫 後藤基夫さんを偲ぶ文集刊行会 1985年 全 314ページ後藤基夫(1918年10月20日 - 1983年4月5日)日本のジャーナリスト、朝日新聞社常務取締役。大分県佐賀関町生まれ。第三高等学校を経て1941年12月東京帝国大学法学部政治学科卒業、1942年1月朝日新聞社入社、翌2月陸軍東部第62部隊入営。主計少尉として中国湖北省で終戦を迎える(ポツダム宣言受諾後に主計中尉)。1946年2月に朝日新聞社に復職。同年6月東京本社政経部員、1950年1月政治部員、1956年10月アメリカ総局員、1958年2月政治部に復帰、1960年1月政治部次長、1963年2月ロンドン支局長、1966年6月論説委員、1967年1月論説副主幹、1969年12月東京本社編集局長、1973年9月取締役・大阪本社代表、1974年6月常務取締役、1978年12月総合企画室担当(東京本社)、1981年4月東京本社代表となり、在職中に脳出血のため死去。享年66(満64歳)。東大在学中に昭和研究会の教育機関「昭和塾」に入り、三木清の影響を受けた。「室町将軍」と呼ばれた同郷の右翼の大物三浦義一(父親が元大分市長、衆議院議員)と親しく、政界の裏情報にも通じて「書かざる大記者」と呼ばれた。宮沢喜一は後藤を「一番親しい友人」と呼んでいる。「書かざる大記者」ゆえに敵対する政治家の双方から相談を持ち込まれることも多く、政治記者として読売新聞社の渡邉恒雄も一目置く存在だった。中ソ対立が社内の派閥抗争に波及していた当時の朝日においては、親中派の重鎮の一人で、東京本社編集局長時代の1971年秋に特派員団長として北朝鮮と中国を訪問し、金日成首相、周恩来首相と会見。総合企画室担当時代の1980年にも北朝鮮を訪れている。「書かざる大記者」のため、書いたものは少ないが、晩年、雑誌『世界』に連載された石川真澄、内田健三との鼎談で、戦後政治についての見聞の一部を語っている。
60年代「燃える東京」を歩く
図書館情報学研究文献要覧 : 1970~1981 <20世紀文献要覧大系 12>
河内成幸 カリフォルニア国際版画展最高賞受賞作 大判木版画(凸凹摺り)『加速夢Ⅴ』 限定75部 ●額装 直筆サイン入
美術手帖 1969年3月号 <芸術家の時代は終わった? ロバート・モリス> 21(310)
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