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白洲次郎―日本で一番カッコイイ男 (KAWADE夢ムック)
戦後政治の証言
週刊朝日 1991年10月4日
週刊朝日 1991年10月25日
週刊朝日 昭和29年 12月19日号 第59巻 第52号 表紙/『西銀座』風間完 政局フラッシュ・バック/ニュース・カメラマンの眼から 池田勇人のナミダ/宮沢喜一 町村合併の成績/関口泰
週刊朝日 1991年3月15日
朝日ジャーナル 1974年 第16巻 第32号 特集/30年目の8・15/<対談>「安保と成長」を問い直す/宮沢喜一/神島二郎/ダラスの戦争花嫁/片山修/戦後文学の可能性/岡庭昇
私は思う 郷里に帰って
週刊朝日 1980年7月4日増大号
朝日ジャーナル 1974年 第16巻 第48号 15万人警備のなかのフォード訪日/強まるか日本への風圧/編集部/日本人の屈折した心をどこまで理解できたか-典型的米国人フォード氏/宮沢喜一
東京-ワシントンの密談 <中公文庫 シリーズ戦後史の証言 : 占領と講和 1>
中央公論 昭和49年7月特大号 特集:豊かさの中の自由と公正 中ソ緊迫の内幕 フルベ族割礼歌採集記
日本館 <万国博関連資料>
2002FIFA ワールドカップ大会報告書
日付のある対話
近現代史料・関係文書目録 1豊福保次関係文書目録、2中澤佑・山本親雄関係文書目録、4高橋亀吉関係文書目録、5海原治(1~2)、6藤波孝生(1~2)、7宮澤喜一(1~4)、8松本重治、9川崎堅雄・竪山利忠、10今井武夫、11香山健一、12永田秀二郎・亮一、13奥野誠亮、14宝珠山昇、15関之、16金杉秀信・曽祢益
日本館:The Japanese Pavilion(日本万国博覧会記念写真帖)
THIS IS 読売 1990年4月 新創刊特別号 特集:四実力者が大討論─当面は海部単独、将来は連立も 特別寄稿・新たな「人間主義」の地平 他
私の英語体験
覇を競う
読書人の蹣跚
田中角栄の「人を動かす」極意 どこが急所か、どう攻めるか 「角栄名勝負物語」から
民藝 = The mingei 第207号 昭和45年3月号 <特集 : 万博・日本民芸館 (万国博関連資料)>
証言 私の昭和史 全6巻揃 (旺文社文庫)/シリーズ戦後史の証言・占領と講和 全8巻揃 (中公文庫) の14冊
巻末御免
大空白の時代
総理執務室の空耳 : 黒河小太郎政治小説集 <新潮文庫>
宰相の器 人心は、どんな男に向かうのか 集英社文庫
官僚たちの八月十五日 <旺文社文庫>
白洲次郎と白洲正子 乱世に生きた二人 (武相荘開館七年 時を経て想う、父次郎と母正子/白洲正子 美の世界/白洲次郎 プリンシプルのある人生)/白洲次郎 (コロナ・ブックス) 二冊一括
あぶない銀行おっかけマップ
田中角栄の「人を動かす」極意 : どこが急所か、どう攻めるか 「角栄名勝負物語」から <カッパ・ブックス>
総理の座 <文春文庫> 増訂版
梶山静六死に顔に笑みをたたえて
首相官邸の決断 : 内閣官房副長官 石原信雄の2600日
人を動かす、人を活かす : 田中角栄から野村克也までの成功例 <カッパ・ブックス>
日本万国博覧会政府出展報告 <万国博関連資料>
総理の娘 : 知られざる権力者の素顔
台湾青年 2001年1月号 483
巻頭随筆 文春文庫
太陽 3巻10号=No.28(1965年10月) <特集 : チェコの子どもの夜と霧>
政治家と回想録 : 読み直し語りつぐ戦後史 <講談社文庫>
保守の肖像 初版第1刷
戦後日本首相の外交思想 : 吉田茂から小泉純一郎まで
内閣総理大臣の日本経済
後藤田正晴と十二人の総理たち : もう鳴らない"ゴット・フォン"
政治記者後藤基夫 後藤基夫さんを偲ぶ文集刊行会 1985年 全 314ページ後藤基夫(1918年10月20日 - 1983年4月5日)日本のジャーナリスト、朝日新聞社常務取締役。大分県佐賀関町生まれ。第三高等学校を経て1941年12月東京帝国大学法学部政治学科卒業、1942年1月朝日新聞社入社、翌2月陸軍東部第62部隊入営。主計少尉として中国湖北省で終戦を迎える(ポツダム宣言受諾後に主計中尉)。1946年2月に朝日新聞社に復職。同年6月東京本社政経部員、1950年1月政治部員、1956年10月アメリカ総局員、1958年2月政治部に復帰、1960年1月政治部次長、1963年2月ロンドン支局長、1966年6月論説委員、1967年1月論説副主幹、1969年12月東京本社編集局長、1973年9月取締役・大阪本社代表、1974年6月常務取締役、1978年12月総合企画室担当(東京本社)、1981年4月東京本社代表となり、在職中に脳出血のため死去。享年66(満64歳)。東大在学中に昭和研究会の教育機関「昭和塾」に入り、三木清の影響を受けた。「室町将軍」と呼ばれた同郷の右翼の大物三浦義一(父親が元大分市長、衆議院議員)と親しく、政界の裏情報にも通じて「書かざる大記者」と呼ばれた。宮沢喜一は後藤を「一番親しい友人」と呼んでいる。「書かざる大記者」ゆえに敵対する政治家の双方から相談を持ち込まれることも多く、政治記者として読売新聞社の渡邉恒雄も一目置く存在だった。中ソ対立が社内の派閥抗争に波及していた当時の朝日においては、親中派の重鎮の一人で、東京本社編集局長時代の1971年秋に特派員団長として北朝鮮と中国を訪問し、金日成首相、周恩来首相と会見。総合企画室担当時代の1980年にも北朝鮮を訪れている。「書かざる大記者」のため、書いたものは少ないが、晩年、雑誌『世界』に連載された石川真澄、内田健三との鼎談で、戦後政治についての見聞の一部を語っている。
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